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がん診療の現場から

2018/7/24

病は「木」から

三沢市立三沢病院事業管理者 坂田 優

 昭和41年1月11日、一つのガスコンロから広がった火はあっという間に三沢市を火の海にして、住宅など828世帯を焼き尽くす歴史的な大火となった。町の中心部をなめつくした火災は旧三沢市立三沢病院の近所までせまったが、真夜中に5時間以上広がった火はようやく消し止められた。そのあとに桜の木が一本、焼けずに残った。

 それから約50年、この桜は生き残っている。旧三沢市立三沢病院は2010年に新築移転したが、旧病院のいわゆる重症個室の窓からは、大ぶりの桜が見られていた。
 季節によって桜は様相を変え、夏場は青々とした緑をたたえた大樹であり、冬は雪の綿帽子をかぶって楚々として、患者はもちろん我々職員も和ませてくれていた。そして4月に入ると一斉に花をつけて生命の力をはじけさせる。

      (写真:kenji ito)

 この桜は旧三沢市立三沢病院の重症個室の窓から大変よく見えたため、患者さんはことあるごとに「桜満開が見たいね」とか「この桜が咲くまでしっかりいきて」とか「来年も見れるといいな」とか、大きな心の支えになっていたようです。医師やスタッフも「桜 あの大火に生き残ったんだから、しっかり見ようね」を、朝の回診時のあいさつとして使っていました。どれほど和みの力になったかと思うと、桜の生命力に低頭します。老木のため虫がついたり病になったりして大変なこともありましたが、職員が一丸となって剪定や薬物治療を施し、毎年たわわな桜を満開にしてきました。三沢市でいつも2番目に満開になる木で、楽しみにしたものです。

 三沢市立三沢病院の新築移転の計画が立ち上がりましたが、桜は老木で根が広く地中に延びているため移植のためには根切りをしなければならず、生かして移植することが困難で費用も莫大にかかるということもあって、私(当時院長でした)に断りもなく建築業者や市の関係者が勝手に切り倒す計画をしていました。私はこれを聞いて職員や業者を恥知らずと一喝して、がんとして譲らず、「病院新築も大事だが大火で生き延びた生きた桜を切り倒すなど人殺しと同じで、考えられない」と抵抗し続けたものです。生きとし生けるものを大切にと教えながら、なんと浅はかな人の多いことかと、涙するほど怒ったのを思い出します。

 この桜の木に気をもらい、多くの重症患者さんが少しでも心安らかになり、希望を感じて生き延びた方さえいたからです。結局は跡地を貸す段になって桜の木を切り倒さないことを条件に交渉し、現在その条件を受け入れたところが使用しています。

 今も時々この桜を見に来ます。「おい元気か? おれもまだ現役だよ」と話しかけ、「あの時の○○さんはまだ通っているよ」とか‥‥。もちろん大勢の患者さんがなくなりました。ほとんどががんの方で、青森県はもちろん日本を見渡してもいち早く病名告知をして、外来化学療法から強力な抗がん薬治療を行っていた小さな病院は、この桜の「気」を心に抱いて進んできました。今、新病院では桜はもちろんですが「イチイ」の木をシンボルにおいて多くのがん患者さんを診ています。

 さて、なんのevidenceもない話に終始して、科学者からは顰蹙を買うのを恐れずに書くことにします。

 桜の木、それは「病は木から気をいただいてやすらぐ」を実践した年月を私に思い起こさせて、医療の原点に立ち返る日々を生む元になっています。皆さんの間近にもそんな例はありませんか??


坂田 優(さかた ゆう)氏
三沢市立三沢病院事業管理者

1973年弘前大学医学部卒、1992年弘前大学医学部第一内科助教授、1999年三沢市立三沢病院院長、2013年より現職。
効果的だが専門的な知識や技能が必要とされるがんの薬剤が登場し始めた1980年代から、消化器がんを中心に種々の固形がんに対する化学療法の実践、新規抗がん剤の臨床試験を積極的に行い、日本のがん化学療法の進化を支えてきた。
第83回日本胃癌学会会長、日本癌治療学会理事、弘前大学医学部臨床教授なども歴任。

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