「腕、こんなに上げて、ええんか」
がんにおける作業療法は、主に、乳がん、肺がん、脳腫瘍、頭頸部がん、骨・軟部腫瘍、脊髄腫瘍、進行がん、末期がんの患者を対象に行われる(表)。このうち、特に対象患者数が多いのが乳がんだ。
表1 がんになったとき不自由になりやすい生活動作と、作業療法士ができる指導や助言の例(乳がん以外)
がんの種類 | 生活動作で困ること | 作業療法士による対処法 |
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舌がん、口腔底がん、咽頭がん、喉頭がん(リンパ節を切除した場合) | 首から肩にかけての筋肉(僧帽筋)に麻痺が生じることがあり、首や肩と背中の上部の痛みが生じ、腕を上げる動作がしづらくなる。例えば、棚の上の物を取る時に痛みが出る。 | 肩周囲の筋力を強くしたり、肩の筋肉の緊張をほぐしたりすることで、腕を上げることができるように練習したり、肩の痛みを軽減・予防したりする。 |
脳腫瘍 | 症状の進行や放射線治療を受けた場合の晩期の後遺症として、運動麻痺や高次脳機能障害(記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害が生じること)が起こることがある。 | 手足の麻痺を改善するためにリハビリを実施したり、高次脳機能への訓練を実施することで日常生活動作の改善を図り、在宅復帰などができるように指導する。 |
肺がん | 症状の進行に伴って呼吸機能が低下する。 | 楽に呼吸しやすい座り方、寝るときの姿勢、リラクゼーションの方法を指導する。呼吸苦を軽減するための動き方を指導する。 |
肺がん | 放射線や抗がん剤の治療による体のだるさ、しびれが起こる。 | ストレッチやマッサージなどでつらさを緩和させる。指先がしびれてボタンの開閉などに支障がある場合、残っている能力をうまく利用して、日常生活が送れるよう指導する。 |
骨転移 | 腰部の骨に転移した場合は、痛みや麻痺に伴い、座る、立つなどの動作が難しくなる。 | 車いすを選ぶ。ベッドから車いすに乗り移るとき、適切な動作を指導し、痛みが出ないよう工夫する。 |
乳がんの手術では、胸の皮膚の一部を切り開いたり、乳房のある皮膚全体を薄くはがしたりしてから、がんや乳房を切除するため、術後に痛みが出るだけでなく、創部が突っ張ることで肩を動かしにくくなる。また、腋の下のリンパ節を広く切除した場合は、この部分の皮膚がうまく伸びず、腕や肩を動かしたときに突っ張り感が出る。
切除後に乳房再建術を受けた場合も、例えば背中の一部の筋肉(広背筋)を切除して乳房へ移植した場合、肩関節を動かしにくくなる。いずれの場合も、主に、(1)腕を上下に動かす(2)横に開く(3)外側にひねる、という動作が難しくなる。
60代の男性Aさんは、以前から、左胸に痛みやしこりを感じていた。2011年夏に発赤が見られるようになり、医療機関で乳がんと診断され、胸筋温存乳房切除術を受けた。術中のセンチネルリンパ節生検で陽性と判定され、腋の下のリンパ節も切除した。ちなみに男性の乳がん患者の数は女性の乳がん死亡者の1%といわれるほど少ない。ベルランド総合病院でも、男性の乳がん患者はこの3年間で2例のみという。
乳がん術後のリハビリは、翌日から行う場合と、1週間後から行う場合の2種類があり、病院によってその考え方や方針が異なる。
ベルランド総合病院の場合は、術後約1週間は看護師と共に、ベッド上で指、手首、肘を動かす練習をしていき、術後の管が抜ける7日目から、作業療法士と本格的なリハビリを始めている。男性でも女性でも身体状況やリハビリの内容は同じである。
Aさんのリハビリの初日。担当の太氏が、まず術後のリハビリの必要性について説明すると、Aさんは「既に着替え、洗面、トイレで尻を拭くなどの動作などができない」と訴えた。さらに、「退院後に車の運転ができるかどうか心配だ」と話した。
太氏は、Aさんにベッドで仰向けになってもらった。左肩周囲を触ったところ、筋肉が張っており、痛みや不快感につながっていることが分かった。
術後、創部(傷口)には漿液(体液)がたまるので、ドレーンというチューブで排出を促す。Aさんにはこのチューブがついていて、抜糸もできていなかった。このため、Aさんは「創部を動かしたらいけない」と思い込んで、歯磨きや顔を洗う時には腕を腋の下にぴったりつけるような姿勢をとっていたという。
そこで太氏は、肩から背中にかけての筋肉を、マッサージやストレッチをしながらゆるめて、腕をまっすぐ上げてもらう動作を繰り返してもらった。
「腕、こんなに上げて、ええんか」。Aさんは驚きの声を上げた。