絶望の淵に落ち3カ月は酒浸りに
2009年に私が『妻を看取る日』(新潮社)という本を出したところ、見知らぬ読者から恐ろしいほど手紙やメールが届きました。ご主人や奥さんを亡くして何年か経っても、多くの方が苦しみ続けています。2011年には約36万人ががんで亡くなりましたが、そのうち20万人ぐらいが配偶者を遺して亡くなられているわけです。がんで亡くなる人は高齢社会の進行と共に増え続けているので、配偶者を亡くした方だけでも数年で2倍、3倍と増えていきます。それだけの人たちが、グリーフケアを受けずに苦しんでいるとすると、やはり、きちんとシステム化した対応が必要ではないでしょうか。
私が配偶者を例に挙げたのは、配偶者を亡くす衝撃は非常に大きく、またそういった体験をする人が多いからです。幸福な結婚生活か否かということはあるにしても、やはり、一般的には何十年と一緒に暮らしているわけで、人生の片割れがいなくなるのは大きな喪失です。妻は12歳年上で私は初婚、妻が再婚だったため親の反対にあい、駆け落ち同然で結婚しました。特に最初の3年間は社会を敵に回すような感じで、ずっと2人で向かい合って生きてきました。だから、妻が亡くなったときにはまさに半身をもがれたような感じでしたね。米国の文献では、奥さんを亡くした男性が「サメに手足を食いちぎられたような感じ」と表現している例もあるくらいです。
私の場合、妻を看取った直後から酒浸りになりました。ビールのようなアルコール度数の低い酒では酔わないから、ウイスキーや焼酎をロックであおるように強い酒を飲んで一時的に頭を麻痺させようとしましたが、それでも酔えない。だから睡眠剤を飲んで寝る。酒は飲めても食欲はないからどんどん痩せていく。仕事は続けていましたが、朝玄関で妻の靴がちらりと目に入ると涙が出てきて止まりませんでしたし、一緒に歩いた道にさしかかるとまた泣き出しそうになりました。
もう一人の自分が、「完全にこの男は『うつ』だな」と思いながら、奈落の底へ落ちていく自分を見ている感じでしたね。強い酒を飲み続けこれはまずいなと思いつつも、これで死んでもいいやと。自死しようとは考えませんでしたが、「生きていても仕方がない」と毎日思っていましたね。我ながらよく肝臓を傷めず、アルコール依存症にもならないで済んだと思います。
がんの場合は、震災や事故、それから自死で突然家族を失った人たちと比べれば、ある程度、本人や家族も覚悟ができます。それでも、私の場合がそうでしたが、覚悟はしているけど、実際に亡くなって口がきけなくなって話ができなくなり、体がだんだん冷たくなっていって、いずれ灰になるという事実は簡単には受け入れられません。がんが進んでベッドに横になっている時間が長くなっても、対話ができたり、体は温かったりする状態とは全く違います。