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トレンド◎指導時間不足や運用の非効率を解消
独自の工夫で進化するICT卒前・卒後教育

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行を機に、医学部教育や医師の卒後教育のICT化が加速。ほとんどの大学医学部では、感染まん延期には従来の対面授業を遠隔での実施に切り替え、学会などのオンライン開催も当たり前となった。一方で、コロナ流行前から医学教育にICTを活用してきた大学や市中病院も、独自の工夫で取り組みを進化させている。ポストコロナの時代には、卒前・卒後教育の現場の風景は、今とは大きく異なるものになりそうだ。

 COVID-19流行下では、卒前・卒後の医学教育の進め方が大きく変わった。流行初期には、リアル開催の学会や対面式の学生の臨床実習が相次いで中止。各大学は、オンライン会議サービス「Zoom」などを用いた遠隔授業や、「Moodle」などの学習管理システム(LMS)の整備を急ピッチで進めた。また、学会や勉強会も、ほとんどがオンライン単独あるいは実会場とオンラインのハイブリッド開催へと移行し、卒前・卒後の両方でICTを生かした医学教育を受ける機会が増加した。

「コロナ下で、多くの医師や学生がオンライン学習のメリットを享受できる機会が増えたのは喜ばしい」と話す橋本市民病院の橋本忠幸氏。

 医学教育を取り巻くこうした変化について、「多くの医師や学生がZoomなどの使い方に習熟し、オンライン学習のメリットを享受できる機会が増えたのは喜ばしいことだ」と話すのは、橋本市民病院(和歌山県橋本市)総合内科副医長の橋本忠幸氏。同氏が運営に携わったIDATEN(日本感染症教育研究会)のオンラインセミナー(2021年11月13、14日開催)には、従来、実会場で開催していたときと比べ約10倍の1200人もの参加者が集まったという。

 医学教育のICT化がもたらすメリットは、大きく(1)時間的・空間的制約を超えた教育が可能となる、(2)忙しい臨床現場でもきめ細やかな教育が提供できる、(3)学習成果を可視化しやすくなる──の3点に集約される。

 (1)に関しては、遠隔授業やオンライン学会などを通して、かなり多くの医師や学生が既に享受しているといえるだろう。(2)のメリットを持たらすツールの一例が、チャットツール「Slack」などのオンライン上のコミュニケーションツールだ。福井大学副医学部長で医学部附属教育支援センター長を兼任する安倍博氏は、「臨床実習の現場では、教員が忙しく、対面で十分な指導ができないことが多い。そうした場合でも、コミュニケーションツールを使うことで、教員はすき間時間などを利用してコメントの入力ができるため、十分な指導が可能となる」と話す。

 (3)について、近年では学習成果や記録、評価などをオンラインで一元管理し、自己省察を繰り返すことで学びを深めていく「eポートフォリオ」の重要性が臨床実習や初期研修でも指摘されている。従来の紙媒体と比べ、学習成果の経時的な変化などを容易に確認できるのが特徴だ。「自分の学習成果が目に見える形で蓄積していくことで、自己肯定感の向上につながる利点もある」と橋本氏は語る。

独自の臨床実習支援システムで実習の質を高める

 COVID-19の流行下で進展したのは、「密」の回避などを目的として、主に(1)のメリットを生かそうとする動きだ。一方で、COVID-19の流行前から医学教育にICTを活用してきた組織では、(1)~(3)の利点を複合的に追求する形で取り組みが進められ、様々な工夫を取り入れることで進化を遂げてきた。「現場発」の取り組みのほか、医療機器やシステムを提供する企業のICTのサービスを利用し、医学教育の質向上や効率化を図るケースも出てきている(内視鏡下手術用ロボットの遠隔症例見学の事例を12月9日、仮想現実[VR]技術を利用した医学教育の事例を12月10日に公開予定)。

 現場発のユニークな取り組みの1つが、福井大学医学部の臨床実習支援システムの導入だ。臨床実習に特化したプラットフォーム「F.CESS」を独自に開発し、2018年度から運用している。F.CESSは、学生カルテの記載・指導や、経験した医行為・疾患の記録、実習評価などをオンライン上で完結できるシステムで、学生は病院内にあるF.CESS専用のパソコン室からアクセスし、実習に取り組む(写真1)。

写真1 福井大学医学部附属病院内にあるF.CESS専用のパソコン室

福井大の坂井豊彦氏(左)と安倍博氏。

 F.CESSの開発に携わった福井大学医学部教育支援センター准教授の坂井豊彦氏は「臨床実習の質を高める上では、学生自らが診療に参加している実感を持つことが重要だ。そのためには、担当患者ごとにカルテの記載を行ったり、学生・教員間の密なコミュニケーションを取ることが欠かせない」と話す。しかし、従来の実習では、教員が学生の指導に十分な時間を割けなかったり、各患者の電子カルテの中から学生が記載した部分を探す手間があったため、「診療参加型の実習を行う上で万全の環境だとはいえなかった」(坂井氏)。

 こうした従来型実習の課題を踏まえ、F.CESSでは、画面上で実際の患者カルテを参照表示しつつ、学生カルテの記載ができるように設計。さらに、画面右側にチャット形式のコミュニケーションツールを配置することで、教員が空き時間などに学生カルテへのフィードバックや質問への返答を入力できるようにした(図1)。「F.CESSの導入により、学生自身も『カルテの記載が上達した』との実感が得られているようだ。カルテの記載頻度の増加に加え、教員から適切なフィードバックをもらえるようになったことが大きな要因ではないか」と坂井氏は手応えを感じている。

図1 F.CESSの学生カルテ記載画面(氏名やコメントなどは全て仮のもの。提供:永和システムマネジメント)

 また、F.CESSはeポートフォリオとしての役割も担っており、実習中に経験した医行為・疾患や担当患者の割り振り、実習評価など、これまで紙媒体で運用していた様々な情報をオンラインで一元管理できる(表1)。「従来型の臨床実習では、診療科ごとに紙媒体で学習の記録や進捗状況を確認していたが、管理が大変な上に、診療科間での情報のやり取りが難しかった」と安倍氏。これに対し、F.CESSを活用すれば、全ての診療科での実習記録をペーパーレスで参照できるため、教員は学生の進捗状況を細かく把握できる上、実習全体を踏まえた総合的な評価が可能となる。

 さらに、F.CESSでは学生全体のデータを年度別や診療科別などの軸で分析できるため、「今後は臨床実習のプログラム見直し・改善にもF.CESSを役立てていきたい」と安倍氏は意気込んでいる。

表1 従来型実習とF.CESSを用いた実習の比較(取材を基に編集部作成)

F.CESS開発のきっかけは「2024年問題」

 福井大学がF.CESSの開発に乗り出した背景には、わが国の医学部が抱える「2024年問題」がある。2024年問題とは、2024年以降は世界医学教育連盟(WFME)が認定した医学部の卒業生でないと米国医師資格試験(USMLE)の受験が認められなくなるというもの。この方針は、2010年に米ECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)によって通達された。それまで、わが国にはWFMEから認証を受けた医療教育評価機関は存在しなかったが、この問題を受ける形で2015年に日本医学教育評価機構(JACME) が発足。2017年にWFMEの認証を受けた。

 現在、わが国の約6割の医学部がJACMEの医学教育分野別評価を既に受けており、残りの医学部も、遅くとも2024年までに受審を済ませる必要がある。とはいえ認証を受けるためには膨大な労力を要し、実習時間数の増加、見学型から診療参加型への実習内容の転換、適正な学生評価の実施など、現場の教員にかかる負担は大きい。こうした状況の中、「現場の教員の負担を少しでも軽減しつつ、2024年問題を乗り切るためには、臨床実習全体を俯瞰し、評価できるICTツールが必要だと考えた」と坂井氏はF.CESS開発の経緯を明かす。

 学内での利用にとどまらず、2019年には、ソフトウエア開発などを手掛ける永和システムマネジメントと提携し、2021年から他大学に向けてF.CESSの販売を開始した。同社の羽根田洋氏は「各大学でもICTの導入は行われているが、臨床実習全体を単一のシステムでカバーできるものは現時点ではF.CESSのみではないか」と話す。既に2大学が導入を予定しているほか、導入を検討中の大学もあるという。

既存のツールを活用し指導医不足を乗り切る

 一方、橋本氏が所属する橋本市民病院総合内科では、オンライン学習アプリ「Google Classroom」やSlackといった既存のICTツールを用いて卒後臨床研修の充実化を図っている。「当院総合内科では2015年に初期研修医の受け入れを開始し、3人の初期研修医が2カ月ごとに常にローテートしてくる。しかし、時期によって指導医の忙しさの濃淡があることに加え、指導医の数自体が減少した時期もあり、毎回同じ質の教育を提供することが難しいときもあった」と橋本氏は明かす。

 指導医が少ない中でも研修の質を維持すべく、橋本氏が中心となって2019年に導入したのがGoogle Classroomを用いたオンライン学習と対面学習を組み合わせた「ブレンド型学習」だ。研修医が1週間で1つのテーマに取り組めるよう、計8テーマに関連する問題と動画をあらかじめGoogle Classroomにアップロード。研修医は、毎週金曜日のレクチャーまでにGoogle Classroom上で問題を解き、必要に応じて動画を参照する。レクチャーは対面で行い、各研修医の解答が割れた問題を中心に指導医が解説、全体でディスカッションする──という流れだ。

 「以前は、指導医が忙しかったりして、全てのカリキュラムをこなすのは難しいこともあった」と橋本氏。他方、「ブレンド型学習」では、研修期間中に最低限取り組むべき内容をあらかじめGoogle Classroom上に提示しているため、研修医はカリキュラムを漏れなく学習できる。さらに、個別の事前学習でインプットを済ませ、対面でアウトプットを行う形にすることで、あらかじめ学習者の知識レベルをある程度そろえられるため、対面学習の質が高まるメリットもあるという。

 「ブレンド型学習」と同時に橋本氏が取り入れたのが、Slackを用いた「勉強日誌」だ。勉強日誌は、その日に勉強になった3つの事柄を箇条書きでSlack上に記録するもので、日々の研修の可視化に加え、指導医からのフィードバックで学びを深める狙いがある。勉強日誌自体は以前から紙媒体で運用していたが、「回収率が低いことが悩みの種だった」と橋本氏は振り返る。そこで、Slackのリマインダー機能を用いて、日誌の記入に関する通知が毎日決まった時間に届くようにした。

 研修医自身も、ICTを用いる利点を実感しているようだ。「研修医にアンケートを実施したところ、ブレンド型学習に関しては、時間的・空間的アクセスの良さを挙げる意見や、体系的な学習ができたとの声が聞かれた。勉強日誌については、振り返りにより毎日の復習ができる点を評価する声や、指導医からコメントをもらうのが楽しみだとの回答もあった」と橋本氏は話す。

 Slackを用いた勉強日誌は、橋本氏が予期していなかった効果ももたらした。「Slackは他の研修医も閲覧できるため、『周りの研修医に見られているという意識が働くことで、モチベーションの向上につながった』『チーム内全員のレベルが上がっていくのを実感できた』などと、協同効果を感じる研修医が多かったようだ」(同氏)。

 「指導医が不足している状況下でも、ICTを活用すれば、通常時と比べて研修医の満足度は下がらない可能性がある」とICT教育のメリットを実感する橋本氏だが、コロナ下のオンデマンド遠隔授業のような、単に対面教育を代替するだけのICT教育については「双方向性が損なわれることで、むしろ教育の質を下げてしまう恐れがある」と指摘する。COVID-19パンデミックを機に医学教育におけるICT化が進展したのは間違いないが、教育の質のさらなる向上につなげるためには、ICTの特性を生かし、従来の教育にはない付加価値を生み出すことが不可欠といえそうだ。

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Cadetto通信
日経メディカル Online編集部の「Cadetto.jp担当」約2名(飛び入りあり)が、時に熱く時にまったりとつづるコーナー。取材のこぼれネタや企画の予告編、耳よりなイベント、面白い人&面白い話、編集部の秘密、困っていることや皆さまへのお願いなどなど、自由度高め、文章短めで参ります。時には「病院ランチ食べ歩き」などの特別企画に変身することも。

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