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連載小説「坂の途中」

シーズン2 第8話
倒れたのは患者の息子

2018/12/25
崎長ライト

「バイタル取ります」
 先生はうなずき、ペンライトを出した。三津田さんはガラケーに向かって住所を淡々と伝えている。
「血圧180の100、パルス80で不整脈があるようです。SpO2 97%」
「了解」
「救急車は15分で到着予定です」
「了解」
 あたしはiPADに勘弁先生の診察所見を入力する。先生が少し首をかしげて、あたしを見た。
「これは何?」
 右を向いたままの顔で、右を向いたままの友永さんの目を指した。
「右共同偏視ですか」
 先生はうなずいて、友永さんに声をかけた。
「左手が動いていないですが、動きますか?」
「動くよ」
 友永さんの言葉に反して、左手は全く動かない。
「この所見は?」
 先生が目で聞いてきたが、あたしは頭を横に振った。
「ひだりはんそくくうかんむし」
 先生の言葉の意味が分からなかった。
 再度首をかしげると、先生はあたしからiPADを奪い取り「左半側空間無視」と入力した。
「分かるな」
 耳元で言われて、あたしはうなずいた。診断は明らかだ。
 脳梗塞で重要なサインは、意識障害、共同偏視、麻痺。先日、研修医セミナーで脳神経内科の立岩先生から習ったばかりだ。

「サキさんの様子を見ていてくれ。不安がらせないように」
 勘弁先生がささやき、あたしは急いで下に降りてベッドサイドにひざまずき、サキさんの手を握った。
「大丈夫です。心配しなくていいですよ」
 救急車の音が坂の下から聞こえ、まもなく救急隊がやってきた。あたしは救急隊員を2階に導き、隊員は友永さんを担架に乗せた。
「先生、どこへ?」
 病状を簡単に説明するあたしに隊員が聞いてきたが、勘弁先生が答えた。
「大学だな」
「あたしが同乗しましょうか?」
「助かります」
 救急隊は慣れた様子で、小雪の舞う中、友永さんを救急車に乗せる。あたしもコートを羽織って乗り込んだ。

(長崎大学病院脳神経内科・立石洋平氏のスライドを改変)

 大学病院に搬送されると、すぐに脳血管血栓回収術が行われ、無事成功した。脳神経内科の立岩先生に「完璧な対応だったよ」とほめられたのは、正直うれしかった。
 数日後、一般病棟に移された友永さんの病室にお見舞いに行くと、勘弁先生と三津田さん、ほかに数人が話を始めていた。
「サキさんはひとまず、デイケアで通っている老健のショートステイにいます」
「ありがとうございます。しばらくお願いします」
 友永さんの言葉は違和感なくスムーズだ。ちょっと、びっくり。あたしは、思わず割り込んだ。
「友永さん、麻痺は?」
「全然ありませんよ。おかげさまで」
 万歳して、ピースサインをしてくれた。
「すごい!」
 あたしも思わずピースサイン。患者さんに障害が起こり、それを治したという単純な事実なのだが、変化を目の当たりにすると、医者というのはすごい職業だと感じる。日本の医療の素晴らしさも改めて思った。

 あたしも少しは在宅チームの力になれたと喜んだのも束の間、勘弁先生たちの話が本題に入り、在宅医療の奥の深さも学ばされた。
 友永さんの回復は順調だが、退院後も同じように介護を続けられるのかは分からない。今後、母親のサキさんを施設に入れるべきか、在宅での介護を続けるか。その話し合いのために、関係者たちが友永さんの病室に集まっていたのだった。
 介護施設の空き状況をケアマネジャーらしき人が伝える。在宅としても、介護力は下がるだろうから、ケアプランの変更、在宅医療の方針も再検討が必要と、三津田さんが指摘する。さらに費用の問題、友永さん自身の健康維持の問題など、深刻な話が続く。友永さんはしっかりメモを取っていた。
 壁にもたれて話を黙って聞いていた勘弁先生が腕組みを解き、ベッド脇に立った。
「あんまりストイックに考えると、体に良くないですよ。友永さん」
「そうですね」
「せっかく拾った命です。楽しまなきゃ。なあ、アイ先生」
 輪の外にいたあたしに視線が集まった。
 えっ、ここであたしに振る?
 とっさに在宅手帖をめくると、キヨさんからもらったお気に入りの言葉が目に入った。
「そうですよ、友永さん。よかよか、なんとかなる!」
 どっと笑いが起きた。
 あたしの方言が微妙過ぎたのか、ガッツポーズが場違いだったのか、それとも皆が待っていた言葉だったのか。思った以上に笑いはやまなかった。
 友永さんはすかざす、ノートに大きく「よかよか」と記録する。
「アイ先生、いい言葉ですね。肝に銘じて頑張ります」
「いやいや、友永さん。それがストイック過ぎるんです!」
 また、笑いが起きた。

 勘弁先生と三津田さんとあたしは、病室を出た。
 ロビーに向かうエレベーターで、3人は何も話さなかった。あたしは友永さんから「命の恩人」と言われたことを思い出し、恥ずかしくて汗が出そうだったのだが、2人は次の仕事のことを考えていたのだろう。
 年内にやるべきことは、まだ山ほどある。エレベーターのドアが開くと、年の瀬を急ぐ人々がロビーを慌ただしく行き交っている。
「じゃあ、よいお年を」
「先生方もよいお年を」
「ありがとうございました。来年もよろしくお願いします!」
 別々の方向に歩いていった勘弁先生と三津田さんに、あたしは深々と頭を下げた。
 いい医者になりたい。来年も今年以上に頑張ろう。真剣に思った。


【参考文献・サイト】
1. 脳梗塞、サインは「FAST」 早期治療を.朝日新聞デジタル.2018年2月18日16時00分

2. 国立循環器病研究センター病院ウェブサイト「脳卒中

3. Sidsel Hastrup, Dorte Damgaard, Søren Paaske Johnsen, Grethe Andersen. Prehospital Acute Stroke Severity Scale to Predict Large Artery Occlusion:Design and Comparison With Other Scales. Stroke. 2016 Jul;47(7):1772-6.

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著者プロフィール

崎長ライト(ペンネーム)=濱田久之(長崎大学病院医療教育開発センター長)。長崎県の離島生まれ。予備校講師などを経て医師に。長崎県に医師をリクルートする新鳴滝塾事務局長としても県内外を奔走している。

連載の紹介

連載小説「坂の途中」
初期研修医・鈴木アイが、在宅医療を通して、様々な患者さんと出会い成長していく物語。指導医の僕はアイの奔放さに戸惑いながらも、診察Tipsを伝授していく。ゆったりとした時間が流れる坂の街で、心温まる物語が紡がれていく。

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