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連載小説「坂の途中」

シーズン2 第8話
倒れたのは患者の息子

2018/12/25
崎長ライト

 友永徹さん、63歳。「ストイック」を体現するような人生を歩んできたようだ。
 坂の街の高校を卒業後、東京の大学へ進学。一部上場のメーカーに就職して首都圏で勤務し、向こうの女性と結婚。一男一女に恵まれる。58歳のとき、課長職で早期退職し、母親の介護のために帰郷。その後、子どもの自立を機に離婚した。現在は坂の斜面に建つ築55年、木造の実家にて、ほぼ寝たきり(要介護4)の80代の母親の介護をひとりで行っている。
 無口で、真面目。几帳面である。
 友永さんはあらゆる責任を背負い、仕事を着々と遂行してゆく。部屋も浴室も自分で改修し、介護ベッドや介護浴槽を導入。ホームヘルパーの研修も修了した。「男の料理教室」に通って、得意料理はビーフストロガノフとシフォンケーキ。過疎化著しい斜面の町の自治会長も引き受けている。

「でもさ、俺、なんか苦手なんだよ。あの固さがさ~」
 勘弁先生は車窓の外を眺めながら話している。
 クリスマスが終わった年末。坂の街もお正月の支度で慌ただしいが、在宅医療に休みはない。
「友永さん、真面目ですもんね。いつも私たちの話をメモっとるでしょう」
 運転手の三津田さんがそう言うと、勘弁先生は大きく相槌を打つ。
「そうそう、それが凄くちゃんとした記録なのさ。出来の悪い研修医以上のメモ」
「すいませんね、出来が悪くて」
 あたしは、キヨさんからもらった紫陽花の刺しゅうの手帖をこれ見よがしに勘弁先生へ見せた。勘弁先生はいつものように手帖を無造作に受け取り、出席記録としているページに日付を書き入れ、判子を押して返してくれた。
「はい」
「どうも」
 判子はこれで18個。今日が今年最後の在宅医療実習となる。かなり頑張っているのだが、ねぎらいの言葉など当然のようになく、友永徹さんへの評論が続く。
「あれだけせっかちで几帳面で真面目だと、かえって人が寄り付かないんじゃないか? 奥さんもあのストイックなところを嫌って、離婚したのかもしれないなー」
「先生も、さぞやストイックだったんでしょうねー」
 チクリとやってみると、勘弁先生は敏感に反応した。
「えっ、俺の離婚も、俺が真面目で、几帳面過ぎたから?」
「いえいえ、そういう訳じゃあ」
 不穏な雰囲気に、三津田さんが割って入ってきた。
「友永さんは“ストイック”で真面目。勘弁先生は“スナック”でスケベ」
「……。かなわんなあ、三津田さん。当たらずとも遠からず」
 一瞬の間の後、勘弁先生は笑いだした。
 最近、勘弁先生は、明るくなったようだ。数年前にパワハラ事件や離婚などがあったと噂には聞くが、そんな影もなくなった。これも噂だが、在宅医療教育プロジェクトの資金をどこかから獲得して、講師から准教授に昇格するのではないかという。ヨシヨシが言っていた。
 勘弁先生も、先生なりの“ストイック”な姿勢で研修医教育に臨んでいることは間違いない。いずれにしろ、来年は彼にとっていい年になりそうだ。

 その日は朝から天気が良く、その分、とても冷え込んでいた。徐々に曇りだした中、友永さん宅への階段を上っていると、雪がちらついて来た。
「珍しいですね、この時期に雪」
 勘弁先生が玄関で挨拶して言うと、
「えっ、降ってます? そりゃ、大変だ。大掃除してマットやらシーツをベランダに干して……」
 友永さんは慌てて2階に駆け上がって行った。
「どうぞ、上がって。あとでお茶入れますよ。抹茶のシフォンケーキ作りましたから」
 上から声がして、あたし達3人は顔を見合わせてにんまりし、靴を脱いで居間に上がった。

 今日も、友永さんの母親、サキさんの容態に特段の問題はなさそうだ。
 介護用ベッドに横たわるサキさんに問診してバイタルを測り終え、身体診察を始める。勘弁先生はその結果をiPADに入力し、残薬とお薬カレンダーを確認して、年末年始に薬が不足しないように処方日数を考えている。三津田さんはガラケーを取り出し、おそらく次の訪問先に電話をかけようとしている。
 突然、2階から「ドスン」と音が響き、薄い天井が揺れた。
 サキさんが天井を見上げ、あたしは聴診器を外した。三津田さんは先生と顔を見合せた後、階段まで行き、下から「大丈夫ですか?」と声をかける。しかし、友永さんの応答がないので、そのまま上って行った。
 ちょっとつまずいたんだろうと思って、聴診器をつけようとした時、三津田さんの叫び声が響く。
「先生! 来てください! 大変です! 早く!」

(イラスト:タテノカズヒロ)

 あたしは往診カバンを持って、すぐに駆け上がった。勘弁先生はサキさんに「心配ない」と声をかけているようだった。
 2階の部屋の前に立つ三津田さんが指す先に、友永さんが倒れている。
 広さは6畳ほどだろうか。窓が開け放たれ、冷たい風がカーテンを揺らしていた。畳の上に洗い立てのシーツやバスマットが散乱し、その上に友永さんが仰向けに倒れている。あたしはその脇に膝をついた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
 小さい声がかすかに返ってきた。ホッとしたが、何か違和感がある。
「大丈夫ですか?」
 あたしは、友永さんの左側に座り、友永さんの顔は右側に向いている。もう一度聞いてみると、返事は同様に返ってくるが、こっちを向いてくれない。
「友永さん」
 呼びかけにはもごもごと反応するが、視線はやはりこちらには向かない。
「どうだ?」
「意識あり、気道確保も呼吸もOK。脈も触れます」
 上がってきた勘弁先生に報告すると、先生はうなずいた。友永さんをまたぎ、向こうから顔をのぞきこんで、三津田さんに静かに指示する。
「救急車」
 あたしは深く息を吸って吐いた。慌ててはいけない。救急の研修でも修羅場は見てきたつもりだ。キヨさんの急変の時は何もできなかったが、あれから少しは成長しているつもりだ。もう、泣いたり叫んだりはしない。若葉クリニックの在宅チームの一員として、粛々と己の仕事を進めるのだ。

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著者プロフィール

崎長ライト(ペンネーム)=濱田久之(長崎大学病院医療教育開発センター長)。長崎県の離島生まれ。予備校講師などを経て医師に。長崎県に医師をリクルートする新鳴滝塾事務局長としても県内外を奔走している。

連載の紹介

連載小説「坂の途中」
初期研修医・鈴木アイが、在宅医療を通して、様々な患者さんと出会い成長していく物語。指導医の僕はアイの奔放さに戸惑いながらも、診察Tipsを伝授していく。ゆったりとした時間が流れる坂の街で、心温まる物語が紡がれていく。

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