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連載小説「坂の途中」

シーズン2 第7話
祖母の背中

2018/12/18
崎長ライト

 クリスマスも近くなったある日、勘弁先生とあたしは、同期の研修医、南沢亜希の実家にいた。彼女が、祖母の訪問診療を若葉クリニックに依頼したのだ。

 相田伸江さん、75歳。フェリーの発着する大波止(おおはと)から歩いて数分のビルの4階にひとり住んでいる。3階は娘夫婦(亜希の父母)、2階は事務所、1階が店舗となっている。
 伸江さんは数年前に心筋梗塞を患いカテーテル治療を受けた後、近所の内科医院に通院していた。しかし、ここ数カ月は変形性膝関節症の痛みがひどくなって外出困難となり、通院がほとんどできていないという。ADLは保たれていて、トイレやお風呂、着替えは自分でできる。食事はつくれないそうだ。
「運動嫌いで甘い物が大好き。糖尿病もあるのよ。お店に出ていた頃は結構動いてたから、調子良かったんだけど。食事は夕食だけ、糖尿病食の宅配を頼んでるの。朝と昼は母さんが運んでいるみたい」
 白衣の亜希はそう言って、あたしをエレベーターに乗せた。今日の在宅実習は、亜希とあたしのふたり。勘弁先生と運転手の三津田さんは1階の店舗でお茶をだされ、亜希の母親と話し込んでいる。
「亜希はここに住んでないの?」
「こんなところ、住むわけないでしょー」
「なんで?」
「家にいると店番やらされて、配達にも行かされて、ばーちゃんの面倒も見させられるし。人使いめちゃめちゃ荒いのよ、ウチは。病院で仕事している方が、まだ楽」
 どこの家もいろいろあるようだ。
「地場の零細企業だから、みんな忙しくてさ。なかなか病院に連れていけなくて…。そういえば、勘弁先生が在宅やってるって、思い出してさあ。私、あの先生は苦手なんだけど、腕はいいみたいだからさあ」
 4階の伸江さんの家に入ると、リビングには窓に向かって介護用ベッドが鎮座し、大きなテレビが壁側にあった。
「ばーちゃん、来たよ」
 ベッドに横たわる伸江さんは、亜希を見て嬉しそうに微笑んだ。顔がむくみ、パジャマから出ている足も浮腫がありそうだ。
 あたし達は「おくんち」の龍踊の話でしばし盛り上がった後、本題に入った。

「最近、調子はどうですか?」
「まずまずよ」
「胸の痛みとか、動悸とか、息苦しさはないですか?」
「ないですよ。まあ、ちょっと、背中がかゆいくらいですかね」
 すると、亜希が割り込んだ。2~3カ月前に「肘や背中がかゆい」と訴えたので診てみると、少し発赤があったそうだ。
「皮膚科回ってないから分からなかったけど、単なる湿疹じゃないかと思って…。市販のかゆみ止めを買ってきて、塗ってやったんだけど…」
 それからは研修が忙しくて祖母をほとんど診ていないことをすまなさそうに話しながら、亜希は電動ベッドを起こす。
「身内の病気が、一番やりにくいからね…」
 あたしも深くうなずいた。
 亜希にはあたしの母の話を打ち明けたので、気を使ってそう言ってくれているのだろう。彼女は美人で、ちょっと冷たそうに見えるのだが、本当は家族思いのいい子なのだ。
「それに、私たち、ひよっこだから。頼られてもね…」
 あたしも自嘲気味に笑う。

 玄関のドアが開き、勘弁先生が慌ただしい足音で入ってきた。口の中にカステラを詰めて、もぐもぐと伸江さんに挨拶する。
「ずいぶん長い、もぐもぐタイムでしたね」
 亜希は容赦なく切り捨てる。イケメンの彼がいる美人の女子にとって、冬でも暑苦しい中年メタボ医者の額から流れる汗と口からあふれる唾液は、「取扱禁忌」以外の何物でもなかろう。免疫がついてだいぶ慣れてきたあたしでも、やっぱり気持ちいいものではない。
 あたしは気を取り直し、血圧を測ろうと伸江さんの腕をまくった時、カステラでべたべたになった(ように見えた)手が伸びてきたので、思わず身を引いた。
「かゆいですか?」

 勘弁先生は伸江さんの右肘を上げ、彼女の顔をのぞき込んだ。
「そうでもないです。でも、ボロボロと垢が落ちて、お風呂の掃除が大変」
 伸江さんは肘の皮疹を掻いた。掻いた場所には点状の出血も見られる。ベッドの上にも落屑がたくさんあった。
「ちょっと、背中を見せてもらいますよ」
 先生は、伸江さんのパジャマを上げた。

(イラスト:タテノカズヒロ)

「うわっ、何これ!」
 亜希は口をふさぎ、あたしと目を合わせた。
「診断は?」
 勘弁先生の質問に、固まるあたし達。
 汗だくのメタボ医師は、ここぞとばかりにドヤ顔で反撃に出る。
「カンベンしてよ~! こないだのセミナーでも勉強したじゃん。寝てたの? こんなの分からないで、よく国家試験通ったなあ~」
 亜希とあたしはシュンとして小さくなり、正座した。
「こんなになるまで放っておかれて、おばあちゃんも大変でしたよね。許してくださいね。お孫さんはまだまだひよっこなので。私の指導が悪くてすみません。もっと鍛えますからね」
 容赦なく仕返しする勘弁先生と、苦虫を噛んだような亜希。伸江さんは何が起こっているかも把握できず、ただただにこやかにうなづいている。
「すぐに、大学病院に紹介しますからね、心配ないですよ」
 えっ、大学?そんなにひどいの? あたし達は再び目を合わせたが、口には出さなかった。
 勘弁先生はiPadで皮膚の写真を撮り、三津田さんは大学病院の地域連携室に電話して、2日後の午後に皮膚科を受診することとなった。先生はことの顛末を亜希の母親に報告し、カステラ巻の入った黄色い袋を下げて、ご満悦な表情で黄色い在宅車に乗り込んで帰って行った。

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著者プロフィール

崎長ライト(ペンネーム)=濱田久之(長崎大学病院医療教育開発センター長)。長崎県の離島生まれ。予備校講師などを経て医師に。長崎県に医師をリクルートする新鳴滝塾事務局長としても県内外を奔走している。

連載の紹介

連載小説「坂の途中」
初期研修医・鈴木アイが、在宅医療を通して、様々な患者さんと出会い成長していく物語。指導医の僕はアイの奔放さに戸惑いながらも、診察Tipsを伝授していく。ゆったりとした時間が流れる坂の街で、心温まる物語が紡がれていく。

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