鈴木アイと鈴木ユウ。
 母が名付けたらしいが、その理由を知ることはもう無理だろう。
 自分としては、双子だからといって特別な感じはないのだが、友達からは「顔は似ているけど、まるきり違う性格ね」と、よく言われた。確かにそうかもしれない。
 例えば、兄のユウは無口で優しい。あたしは逆。ユウは忍耐強くて弱音を吐かない。あたしは基本ヘタレ。今だって逃げ帰っている。
 性格だけじゃない。ユウは靴下を左から履く。あたしは右。ユウはお湯を注いでティーバッグを入れる。あたしは逆。ユウはスポーツ万能だが勉強はまったくできなかった。あたしはどちらかと言えば逆。だから、ふたりの進路も全く異なった。
 ユウは中学を卒業してすぐに就職し、横浜の中華街の大きな店の料理人見習いとして仕事を始めた。半年前、あたしが研修医になったのと同じ時期に、ユウは請われて別の店に移り、チーフとして店を切り盛りしていたようだ。しかし、無理がたたり、1週間前からここに入院しているという。
「若いから、もう、すっかり元気になってるけど……」
 小西平先生によれば、状態は良好で退院してもいいが、休ませるためにあえて入院させているということらしい。

 紺の作務衣姿の先生は裏口からあたしを招き入れた。崩れかけた幽霊屋敷を思わせる外観に反して、院内は意外にも綺麗だった。
 美しい、とまで思えた。床は板張りで、壁にはクリーム色の壁紙が貼られていた。待合室には、木の長椅子がふたつ。摺りガラスのドアで仕切られた診察室に向かって行儀よく並べられていた。病院の壁によくある細かい注意書きの張り紙や、笑顔で検診を勧めるポスターなどは一切ない。棚には花瓶に秋桜が数本飾られているだけで、芸能人のスキャンダルを満載した週刊誌や健康を押し付ける本も並んでいない。かすかに鼻をつく消毒液の匂いがなければ、映画のセットと思うかもしれない。
 10年前に何度か来たときもこんな感じだったのだろうか。思い出せなかった。あの頃、周りを見る余裕はなかったなあと思いにふけっていると、
「ユウちゃんは2階の一番奥の左」
 先生はこれだけ言って、診察室へ消えて行った。

(イラスト:タテノカズヒロ)

 あたしは下駄箱で緑のスリッパに履き替え、スーツケースを抱えて階段を昇った。2階は廊下を挟んで部屋がいくつかある。部屋の入り口はベージュのレースのカーテンで仕切られている。人の気配があるので、他にも入院患者はいるようだ。
「奥の左」
 スーツケースを転がしながらつぶやく。カーテン越しに人影が見えた。
「ユウ兄ちゃん、来たよー。元気?」
 返事はなかった。
 ベッドの脇のパイプ椅子に白髪の女が座っている 。女はふりむいてあたしを見たが反応は乏しく、能面のような顔はベッドに横たわるユウに再び向けられた。
 ユウは、ゆっくりと起き上がった。少し痩せたようだ。
「母さん、アイちゃんが帰って来たよ」
 パイプ椅子に座る女は間違いなく母だったのだと、あたしも思い直した。ユウが私に会わせるためグループホームから連れて来たのだ。ユウは手を母の膝の上にあった手に重ねた。
「アイちゃんだよ」
 ユウは母の返事を待ったが、あたしに向かって横に首を振った。あたしはユウと母の間に入り、ベッドに腰かけた。
「母さん、わかる?」。
 ふたりの重なった手を握りしめた。母に自分の顔を近づける。
「アイだよ、アイ。わかる?」
 母の目が、異物を見て怯えたかのように変化した。
「!」
 あたしは、自然と震えだした肩を押さえるように、声を振り絞った。
「娘のアイ…」
 母は黙ったままだった。あたしはもう存在しない。双子の片方は消えているのだ。
「母さん…」
 覚悟はしていた。半年も会っていなければ忘れ去られているだろうと。でも、実際にそうなってみると、こんな気持ちになるなんて。
 母さん。あたしは、母の膝の上に突っ伏した。たぶん、母は戸惑っているだろう。
 ユウは、あたしの肩を抱いてくれた。あたたかいユウの手。ユウもたぶん、泣いている。何度も何度も、こうしてふたりで泣いたから分かる。ユウは兄ちゃんだから、決して声を出さない。黙って涙を流す。あたしは、ダメだ。
「母さん…。あたしだよ―。アイだよ、帰ってきたよ―。ごめんね…、ごめんね…。親不孝な娘で、こめん。本当に、ごめん」
「なんて、ダメな…、ダメな娘」