Cadetto.jpのロゴ画像

連載小説「坂の途中」

第10話 9月の台風とドM研修医
サヨナラだけが研修…か?

2017/12/05
崎長ライト

「ところでさあ、三津田さんは、挫折したことあるの?」
「それを私に聞きますか?」
「聞きたい」
「挫折の鏡みたいなもんですよ。私、こう見えてもシン学校出身なんです」
「南山手学園とか?」
 この街で一番の進学校。研修医の多くもそこの出身だ。
「いやいや、頭の方じゃなくて、心の。神様の」
「え~、神学校! 三津田さんは、クリスチャンなの」
「はい」
「タバコは吸わないけど、酒を飲む、麻雀もする、パチンコもするのに」
「競馬もやりますよ。負けてばかりですけど」
「神父さんを目指してたわけ?」
「遠い昔ですけどね、見事に挫折しましたけど」
 そうなんだ。だから、達観したような吸い込まれそうな雰囲気を持っているのか。しかし、この秋の青空と心地よい潮の香に合わないヘビーな話はしたくなかったので、それ以上はお互い話さなかった。

「ところで、ドMのアイ先生の華々しい経歴はどんなものなんですか?」
 お尻の芝を払って車へ向かう途中、三津田さんに投げかけられた問いに、僕は立ち止まって考え込んでしまった。
 鈴木アイ。出身は関東の医学部、部活は山岳部? ヨット部? 実家はおそらく神奈川?
 彼女を指導して半年もたつのに、これ以上の情報を持ち合わせていなかった。
 僕は、在宅医療研修を希望する研修医を入れ代わり立ち代わりで教えるのだが、最低1回以上というシステムになっているので、1回きりという研修医も多い。4カ月周期で研修医全員の面談をするのだが、それ以外の時は立ち話をする程度の付き合いだ。
 僕は鈴木アイについて、何も知らない。
 キヨさんを見送った夜から話をしていない。あれから1ヵ月以上たっている。急に不安になってきた。三津田さんが不安に追い打ちをかける。
「やっぱり、キヨさんの件を引きずっているんじゃないですか。アイ先生」

 次の日も、アイは休み。
 彼女からの電話を受けたヨシヨシ係長によれば、
「声は元気でしたよ。鼻声で。少し風邪ひいたって。病院行きなさいって言ったら、薬は持っているって。今日の帰りに私がアパートをのぞいてみますよ。こんな時、男は全然役に立たないから。うちの旦那なんて全然ダメ。子供が病気した時も思案橋で飲んだくれてますからね~」
 男は確かに役に立たない。女性の研修医が3日連続で休んだだけで、びびっている。そんなことを考えながら院内のコンビニに立ち寄ると、外科の指導医に「鈴木アイ先生のことで話したい」と呼び止められ、隣のカフェで遅い昼食を取りながら話すことになった。

 小児外科の春川秋桜。秋桜(コスモス)と書いて、「あき」と読むようだ。名刺に仮名がふってある。卒後10年目くらいでバリバリの外科医なのだろうが、見た目はおっとりした小柄な女性だ。春川はロースカツと野菜のボックスサンド、僕はタンドリーチキンサンドを頼み、窓側の席に向かい合わせで座った。明日にかけて台風が接近するという予報が出ているせいか、店内はがらんとしていた。今年は3回目の台風だ。彼女の向こう側では、庭のコスモスが風になぎ倒されるように揺れている。

 春川の話によれば、アイは外科で消化器、呼吸器と回り、9月からは小児外科で研修しているという。変わった様子は特になかったらしい。
「強いて言えば、今週はお昼をあまり食べなかったですね。それから、化粧をしてなかったですね。私と違って彼女は派手ではありませんが、ちゃんとする方でしたから」
 自分で言うほど派手なメイクはしていない春川は、小さなサンドイッチをさらに小さくちぎり、小さな口に入れた。僕は春川に、在宅医療に熱心だったこと、キヨさんの死に立ち会ったことを手短に話した。
「ああ、それは知ってますよ。彼女が話してくれたから。ショックはショックみたいでしたけど。ちゃんとお葬式に行って、お墓参りもして、心の整理はできたみたいですけど」
「そうだったんですね。葬式に行ってくれたんだ」
 彼女のサンドイッチをちぎる手さばきは見事なもので、数ミリもたがわず均等に行う。おそらく、繊細な観察力と精密な技能の持ち主なのだろう。
「じゃあ、何で3日も休むんでしょうか? 単なる病気でしょうか」
「体調を崩したのは間違いないと思いますよ。私のところにも昨日電話がありましたから。だけど、いつもの彼女なら、体調が悪くても出て来ていたでしょうね。気力がなかったのかな。たぶん……」
 春川は最後の一切れを口に入れてコーヒーをすすると、テーブルをナプキンで拭き出した。僕は春川が去る前に、慌てて聞いた。
「何でも構いません。気づいたことはないでしょうか」
「そうですね。あくまで私的な推測ですが、彼女……」

「! ゴホッ、ゴホッ」
 春川の言葉に僕は絶句し、チキンの欠片をのどに詰まらせた。
 咳がなかなか止まらない僕に、春川は紙ナプキンを渡し、冷たい水を汲んできてくれた。さらに背中を2回ほど叩いてもらって、やっとチキンの欠片が出てきた。恥ずかしい。汗だくになり、何度も「すいません」と謝った。
 微笑む彼女の後ろにはコスモスが揺れている。僕は気を取り直して確認した。
「春川先生、それじゃ、僕らは何もできないですね」
「まあ、そうでしょうね。見守るしかないでしょうね」
 PHSが鳴って、彼女は僕の分のゴミまできれいに片付けて颯爽と去って行った。僕はひとり庭を見ながら、秋桜が残していった言葉を反芻していた。
「彼女、失恋したと思います」

著者プロフィール

崎長ライト(ペンネーム)=濱田久之(長崎大学病院医療教育開発センター長)。長崎県の離島生まれ。予備校講師などを経て医師に。長崎県に医師をリクルートする新鳴滝塾事務局長としても県内外を奔走している。

連載の紹介

連載小説「坂の途中」
初期研修医・鈴木アイが、在宅医療を通して、様々な患者さんと出会い成長していく物語。指導医の僕はアイの奔放さに戸惑いながらも、診察Tipsを伝授していく。ゆったりとした時間が流れる坂の街で、心温まる物語が紡がれていく。

この記事を読んでいる人におすすめ