調査の一環として在宅で行った咽頭スワブ検査

 様々な研究者や大学院生(医師、看護師、薬剤師、公衆衛生などなど)が同じ目標(たとえば狂犬病の根絶)に向かって多方面からアプローチする。フィリピンがその拠点となり、WHOのポリシーとなるような大きな研究成果を上げる。そんな夢を齊藤くんは描いている。
 サンラザロ病院は、世界でも有数の症例数を誇る感染症病院であり、熱帯感染症を学ぶにはうってつけの病院だ。興味があれば、まずは長崎大病院熱研内科の見学をお勧めする。様々な出会いが待っていると思う。
 僕らが長崎大学病院初期研修医向けに立案したフィリピンでの2週間の教育プログラムも改訂を進めている。問い合わせもぼつぼつ出てきたので、来年には初期研修医数名がサンラザロ病院へ赴くことになるだろう。

「よろしく頼むよ、齊藤君」
「了解です!」
「よっしゃ、2軒目行こう!」
「どこにですか?」
「そりゃ〜、フィリピン@×△**、〜○×△◇&***」
「崎長先生、大丈夫ですか。だいぶ酔ってますよ…。おっと、電話…」
 齊藤君はスマホをとり出し、話し出した。明日の仕事の打ち合わせのようだ。酔った僕は、彼を見つめながら、脳裏に1人のママの顔を映し出していた。
 小柄で、可愛く少し派手なワンピースを着こなしているママ。思案橋の業界歴はたぶん半世紀。もちろん、女性に年齢は聞かないが、ママは自ら「高齢のママ」ならぬ「恒例のババ」と言って笑わせてくれる。今は(おそらく)フィリピンの女性を数名雇ってバーを経営している。
 齊藤君がスマホを切った。明日は土曜日だが、いろいろ仕事の準備があるようだ。
「すいません。僕はこれで。ごちそうさまでした。11月にフィリピンのドクターを連れて、長崎にまた来ます」
「了解、了解。じゃあ、またね。サラマッートゥ!」
「サラマッートゥ!」
 フィリピンで覚えた感謝の言葉。僕たちは、握手をして別れた。

 さて、どうするか。腕時計を見る。まだ、10時ちょっとすぎか。明日は、午前は休みだな。ママの店に久しぶりに顔でも出すか。銅座のメインストリートをふらふらと歩き出す。
 ママの店は丸山公園の近くにある。僕はローソンで、二日酔い予防のウコンドリンクを買い、丸山公園のベンチに座った。
 歓楽街の中心にある小さな公園。幕末の頃は遊郭があり、坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士たちが夢を語った場所と言われている。僕が若かった頃は、木々が生い茂り暗くて怪しい公園だったが、今は、コンクリートで固められ小綺麗になり龍馬像が立っていて、ちょっとした観光名所になっている。龍馬を眺めながら、ウコンのキャップを開ける。
「あら、先生」
 人影がこちらを向いている。杖をついている。
「大平ママ! これから出勤?」
「いや、今日は帰るのよ」
 珍しく地味なワンピース姿のママはそう言って、ベンチに腰を下ろした。少し、背中が丸くなったような気がした。思案橋界隈≒銅座の栄枯盛衰の中を生き抜いてきたママだが、体調を崩して入院していたそうだ。昨日、退院してきたという。
「大丈夫ね?」
 少し痩せたかな? 品の良さを感じさせる顔の皺も深まったようだ。
「大丈夫じゃなかよ。もう少し居たかったけど、病院から追い出されたとよ、ハハハー」
「恒例のババ」は、恒例の大笑いを見せてくれる。ひとしきり、入院の体験を語るママ。最近の病院はせわしい、付き添いを雇えない、医者がイケメンでドキドキした、食事がまずかった…。すでに笑いのネタにされているが、業界人としては、苦笑するばかり。
「病院の先生に、店の名刺をばら撒いてきたけんねー」
「さすが、商売人やなー。倒れても、ただじゃ起きんねー」
「当たり前さ。店とあの子たちを守らんばいかんけんねー」
 ママはあの子たちについて、しばらく話す。

「フィリピン人じゃなくて、ジャンピーノなのよ」
 日比児童支援協会によると、ジャンピーノとは、日本人とフィリピン人の間に生まれながら日本人の父親に捨てられた日系フィリピン人。「ジャンピーノ」とは向こうでの蔑称となっているようだ。
「必ずしも、不幸な人ばかりじゃなかとよ。お父さんと会ったりしている人もいるし。そのあたりは、大ちゃん(僕の友人Y)が詳しかよ」
「へー、そうなんだ。ママのボランティア精神も凄かね、素晴らしか」
「何ば、いいよると。そんなんじゃなか。そがん高尚なことは考えたことなか」
「そうね」
「そうさ、単なる商売たい。ボランティアで、この銅座ば生きていけるもんね、ハハハ〜」
 戦後の闇市後の銅座飲食街で育ち、造船業華やかなりし頃はキャバレー、オイルショックの頃はスナック、バブル期は高級クラブ、バブル後の失われた時代は小料理屋、そして、今はバー。
「この街の表も裏も、端も真ん中も、縦も横も、経験したばい」
「すごいねー、ママさん。いつの時代が、一番おもしろかったね?」
ママさんは、杖を立てた。しばらく考えるのかと思ったが違った。ゆっくりと立ち上がった。
「いつが面白かった? 先生も面白か質問するねー」
 ママは、しっかりと背を伸ばし、しゃんとして僕を見下ろした。
「今に、決まっとるやろ」
「今?」
「今が一番さ」
 ママは、そう言って、ゆっくりと歩き出した。
「先生も、そうやろ?」という言葉を残して。

 薄い月明りの中で、夜の木々が揺れている。僕の気持ちも、さっきからざわざわと揺さぶられる。ママの言葉、齊藤君の言葉を反芻している。思案橋、フィリピン、思案橋、熊本、思案橋。この半年、今を生きる多くの人たちと出会った。それらの出会いを重ねて、今の僕がいるのだろう、たぶん。
 ウコンのキャップを閉めて立ち上がると、ママの背中はもう見えなかった。
「さて、どうするか」
 月明りの中、僕はふたたび、思案橋の方へ歩きだした。