大震災の現場から Vol.42 まだ続く原発事故の影響、「政府や県は頼りにならない」 市内5カ所の産婦人科医療機関のうち診療再開は1カ所のみ 福島第一原子力発電所に程近い福島県南相馬市は原発事故により、災害対策基本法に基づいた警戒区域と緊急時避難準備区域、指定区域外の3つに分断された。緊急時避難準備区域は9月30日に解除されたものの、原発事故の影響は今もなお続く。… 2011/11/25 医療提供体制
大震災の現場から Vol.41 原発事故で医師半減、病院運営の苦境続く 東電賠償の対象外に憤りも 福島県では原発事故の影響で、医療従事者の相次ぐ退職に頭を悩ませている病院が少なくない(関連記事:2011.9.8「医師・看護師の離職が深刻化する福島」)。東京電力・福島第一原子力発電所から約36kmの距離にある精神科病院の四倉病院(いわき市)もその一つだ。6人いた常勤医は一時期3人にまで… 2011/10/01 医療提供体制
大震災の現場から Vol.40 医師・看護師の離職が深刻化する福島 国は早急に病院運営を維持できる対策を 東京電力・福島第一原子力発電所が被災した福島県では放射性物質汚染の問題が長期化し、病院運営にも影響が出始めている。今後の復旧の見通しが立たず、医師や看護師の離職が相次いでいるという。このまま医療従事者の離職が続けば、閉鎖せざるを得なくなる病院も出かねない。福島県病院協会会長… 2011/09/08 医療提供体制
大震災の現場から Vol.39 岩手県立山田病院で計11週間の医療支援 今回の大震災が医療支援活動の第一歩に 複数の医療法人で構成される戸田中央医科グループは、戸田中央総合病院(埼玉県戸田市)など25カ所の病院のほか、6カ所の介護老人保健施設や関連事業部門を1都4県で展開している。同グループは4月20日から7月8日まで、グループ職員から希望を募り、岩手県山田町の県立山田病院において被災地の医… 2011/09/01 事件・話題
大震災の現場から Vol.38 東京で在宅専門診療所を経営していますが、被災地石巻でも開業します 被災した開業医が「再開は無理」と勤務医になる中、医療提供体制整備目指す 宮城県石巻市も津波で大きな打撃を受けた街の1つ。東京・文京区で在宅医療専門の診療所を経営する武藤真祐氏は「短期的な支援ではなく、地元が自立して医療を提供できる仕組みを作りたい」と、9月に石巻市に在宅専門の診療所を新たに開設する。その理由を語ってもらった。… 2011/07/12 医療経営
大震災の現場から Vol.37 仮設を卒業し、上流に診療所を新設して再スタート 「通常の医療」にめどついた岩手県大槌町、入院機能の復旧には懸念 岩手県大槌町は津波で大打撃を受け、人口約1万5000人に対して死者・行方不明者は1700人余りに上った。大槌町の沿岸部で道又内科小児科医院を運営していた道又衛氏も自宅兼用の診療所を流され、避難所生活を余儀なくされた。しかし、5月早々には大槌側の上流に仮設診療所を設けて診療を再開。町の… 2011/06/30 医療提供体制
大震災の現場から Vol.36 「支援」卒業し、在宅を核に自力復興へ向かう釜石 基幹の釜石病院も8月には全床再開へ 死者・行方不明者1300人以上、避難者5000人以上に上った岩手県釜石市。同じ釜石医療圏にある大槌町に至っては町全体が壊滅状態に陥った。他の被災地と同様、震災直後から数多くの医療支援チームが派遣された。その支援チームの配置調整役として活動してきたのが、釜石医師会災害対策本部長の寺田… 2011/06/17 医療提供体制
大震災の現場から Vol.35 先生方、南三陸町復興に向けて一緒に働きませんか! 「全国からの医療支援には本当に感謝している。しかし、こうした急性期型の支援はいつまでも続くわけではない。全国から来た多数の医師が被災者医療に当たってくれている、いわば夢のような状態から、医療過疎地の現実に戻ることになる。であれば、早い段階から計画的に住民の慢性疾患を担う医療… 2011/06/01 事件・話題
大震災の現場から Vol.34 東日本大震災の医療支援に参加し感得したこと PCAT経由で、石巻市で3日間の診療支援 普段は「日経メディカル オンライン 循環器プレミアム」で、「EBMがどうの、リアルワールドがどうの」と論文を相手に薀蓄を傾けている私だが、東日本大震災の被災地でリアルワールドの災害医療支援を体験する機会を得た。長期化する被災の状況に関しては、既に日経メディカルオンラインでも数多く… 2011/05/23 事件・話題
大震災の現場から Vol.33 支援が押しつけになっていないか、常に自問を 100人の自治医大OBによる長期支援プロジェクトに参加して 3月11日に発生した東日本大震災から2カ月が経った今も、被災地では12万人以上が避難生活を強いられている。沿岸部の医療機関の被害は甚大で、地域医療の復興には長い時間がかかる見込みだ。 2011/05/18 事件・話題
大震災の現場から Vol.32 活躍の場を狭められたイスラエル医療班 米国NPが見た日本の医師-看護師関係と海外からの被災地支援 私は米テネシー州中部の7つの病院の高度NICUや一般新生児を担当する新生児医療チームに所属するNP(ナースプラクティショナー)として、産科ともチームを組んで新生児医療に従事しています。外国生活が長い私に取って、日本は物理的には遠い場所ですが、災害が起こるといても立ってもいられなくな… 2011/04/23 事件・話題
大震災の現場から Vol.31 20~30km圏内を巡回、消耗激しい中核病院を支援 県内医療体制の復興に取り組む福島県立医大 東日本大震災が発生して以降、福島県立医科大学附属病院の医療は直後の混乱期を乗り切り、県内の被災地に広く医療支援を行う第二段階に入った。同大学理事兼副学長の阿部正文氏は医科大学の使命として、「被害を受けた医療体制の立て直しと、将来の県民の安全と安心の確保」の2点を挙げる。同大学… 2011/04/22 事件・話題
大震災の現場から Vol.30 「帰るところがなくなっちゃった…」と涙を流す看護師 被災地・気仙沼からの診療日誌 その4 震災発生から1カ月余りが過ぎ、被災地の復旧は進む。それとともに、非常事態に懸命に対応してきた医療スタッフは、自身の境遇、蓄積した疲労をようやく自覚しつつある。 気仙沼市立病院呼吸器科の椎原淳氏が、地震発生後からNMO編集部に報告し続けてもらっている日々の状況について、4月16日にい… 2011/04/21 事件・話題
大震災の現場から Vol.29 被災した医療機関に「震災特別医療法人」の認定を 福祉医療機構の低利の貸し出しでは不十分 私は4月3日から5日にかけて、日本医師会災害医療チーム(JMAT)の一員として、福島県いわき市に京都府医師会より派遣されて医療支援に入った。医療経済学者として、医師としての医療支援+αのことも考えられるかもしれないという思いからであった。4月3日には、いわき市は一時の混乱期を抜けてい… 2011/04/15 医療経営
大震災の現場から Vol.28 原発30km圏内の患者200人、搬送大作戦 青森県八戸市・八戸市立市民病院救命救急センターからの被災地報告 その10 3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市立市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/04/14 事件・話題
大震災の現場から Vol.27 震度6強の余震、院内「計画停電」は幸いにも回避 被災地・気仙沼からの診療日誌 その3 復旧が進む被災地だが、震災から1カ月が過ぎた現在でも活発に続く余震はいまだ大きな影響をもたらしている。4月7日夜には最大震度6強の余震が再び東北地方を襲い、ライフラインは再び寸断された。脅威は医療機関にも及んでいるようだ。… 2011/04/12 事件・話題
大震災の現場から Vol.26 3度目の被災地入りで感じた復興への足がかり 夏には一度、家族を連れて東北地方の沿岸部を回りたい 3月11日に発生した東日本大震災により、依然として15万人以上が避難生活を送っている。避難所では、新たにインフルエンザや感染性腸炎などの感染症が拡大するリスクが懸念されており、医療ニーズは日々変化している。… 2011/04/08 事件・話題
大震災の現場から Vol.25 「外部からの医療支援者」である私たちのジレンマ ボストンから気仙沼へ飛んだ看護師からの続報(4/7、4/11訂正) 2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、医療支援NPO「TMAT」からの派遣メンバーとしてボストンから被災地入りした看護師、原田奈穂子氏からの続報である。原田氏は日本で看護師の経験を積んだ後、渡米して看護師資格と修士号(University of PennsylvaniaのNPプログラム)を取得。現在はBos… 2011/04/07 事件・話題
大震災の現場から Vol.24 福島からのDMAT活動要請、飯舘村に向かう 青森県八戸市・八戸市立市民病院救命救急センターからの被災地報告 その9 3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市立市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/04/06 事件・話題
大震災の現場から Vol.23 避難所から子どもがいなくなった悲しい理由 医療支援で再び福島県いわき市に入った医師からの報告 3月11日に発生した東日本大震災により、避難所で生活する被災者は依然として18万人近くいるとみられる。電気、ガス、水道などのインフラの復旧作業が進められているが、いまだ復旧していない地域もある。さらに福島第一原子力発電所の事故で、半径20km圏内は避難地域、20~30km圏内は屋内退避地域… 2011/03/31 事件・話題
大震災の現場から Vol.22 震災前のような日常外来ができることの小さな喜び 被災地・気仙沼からの診療日誌 その2 東日本大震災による津波で甚大な被害を受けたものの、全国から集まった医師たちの支援で、避難所、避難所に来られない被災者の健康状態をフォローする体制が出来上がっている。その甲斐あって、中核となる気仙沼市立病院における診療は落ち着きを取り戻しつつある。ただし、連日頑張ってきたスタ… 2011/03/30 事件・話題
大震災の現場から Vol.21 空きベッドがない!ドクターヘリによる患者転院作戦 青森県八戸市・八戸市立市民病院救命救急センターからの被災地報告 その8 3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市立市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/30 事件・話題
大震災の現場から Vol.20 ドミノ倒しの瀬戸際にある相馬市の医療 原発から約40km、福島県相馬市の開業医からのリポート 福島県相馬市にある「浜通りふれあい診療所」の金田京子院長は、被災後、「多くの人たちに現在の窮状を知っていただきたい」と、診療活動のかたわら、知人らにメールでの情報発信を続けている。以下、その内容を金田氏ご本人の了解を得て紹介する。なお、元の文章の主旨を変えない範囲で編集した… 2011/03/29 事件・話題
大震災の現場から Vol.19 避難所の中で“新しい町”を作ろうとしている ボストンから気仙沼に飛んだ看護師からの報告 2011年3月11日に宮城県沖で発生した東日本大震災を受け、医療支援NPO「TMAT」の派遣メンバーとして、ボストンから臨床医3人とともに被災地入りした看護師、原田奈穂子氏からの報告を紹介する。原田氏は日本で看護師の経験を積んだ後、渡米して看護師の資格を取得、現在はBoston College看護学部博… 2011/03/29 事件・話題
大震災の現場から Vol.18 ドクターカーを阻む、ガソリン待ち渋滞 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その7 3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/29 事件・話題
大震災の現場から Vol.17 避難所でのインフルエンザ流行が始まる 被災地・気仙沼からの診療日誌 その1 NMO編集部には気仙沼市立病院呼吸器科の椎原淳氏から、被災後の診療状況の報告を日々送り続けていただいている。地震発生後1週間余りの3月20日から24日までに送ってもらった、被災地の診療“日誌”を掲載する。… 2011/03/25 事件・話題
大震災の現場から Vol.16 「薬を2週間分ずつ出せるようになりました」 気仙沼大島にいた、ただ1人の医師からの被災報告 宮城県・気仙沼湾に浮かぶ大島では、多くの住宅が津波で倒壊した。大島の人口約3000人のうち、1000人は地震発生時に島を離れていたとされるが、死者や行方不明者は30人以上に上るという。震災から1週間あまりで自衛隊による飲料水や軽油、薬剤などの搬入が始まったが、現在も島内の避難所で1000人… 2011/03/25 事件・話題
大震災の現場から Vol.15 「今回の震災は阪神・淡路大震災とは全く違う」 内藤恵一(甲府共立病院外科科長) 私は3月13日から16日にかけて宮城県塩釜市の坂総合病院(357床)で支援活動を行いました。宮城県民医連から全日本民医連への支援要請に応じたものです。私は阪神・淡路大震災の際にも医師として応援に入りましたが、今回は福島第一原発の問題もあり、「帰れないかも」とひそかに思っていました。… 2011/03/24 事件・話題
大震災の現場から Vol.14 被災1日目、津波による心肺停止 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その6 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/23 事件・話題
大震災の現場から Vol.13(3/23訂正) メディアの「心のケア」という言葉にいら立ち 悲しみと再会の感動が入り混じる日々 以下は、仙石病院(宮城県東松島市)の理事長、神部(かんべ)広一氏が3月20日の朝、東北大学泌尿器科学教室が運営するメーリングリストに寄せた報告である。仙石病院は脳神経外科・泌尿器科・内科の専門病院で、石巻近くの東松島という地域にあるが、この地域には例外なく津波が押し寄せた。… 2011/03/22 事件・話題
大震災の現場から Vol.12 「ありがとう」 多方面からの援助で復興の兆し 時間の経過とともに職員のメンタルが不安定に 塩釜市の西(つまり内陸寄り)20kmあまりの位置にある宮城県立こども病院の泌尿器科部長、坂井清英氏が被災後、友人らに送っている一連の状況報告のメールを、坂井氏の了解を得て掲載する。今回掲載するのは、3月19日(土)に送信された内容で、「今は嵐の前の静けさ」「被災地の中核病院はダウ… 2011/03/20 事件・話題
大震災の現場から Vol.11 「病院わきの川に津波が遡上しているようです!」 勤務中に地震に遭い岩手でDMAT活動を行った救急医の報告【3.28訂正】 八戸市立市民病院(青森県)で勤務中に巨大地震に見舞われ、3月14、15日には岩手県久慈市、宮古市周辺でDMAT(Disaster Medical Assistance Team、災害派遣医療チーム)活動を行った千葉大氏。日頃ドクターヘリで救命救急に当たる千葉氏が、地震発生からDMAT隊員としての活動を終えるまで、どのよ… 2011/03/19 救急医療・集中治療
大震災の現場から Vol.10 “TOMODACHI”からの支援 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その5 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/19 事件・話題
大震災の現場から Vol.9 DMAT出動 岩手県北部の野田村 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その4 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/18 事件・話題
大震災の現場から Vol.8 被災地の中核病院はダウン寸前 温存した最後のガソリンで我が子を受診させる家族も 塩釜市の西(つまり内陸寄り)20kmあまりの位置にある宮城県立こども病院の泌尿器科部長、坂井清英氏が被災後、友人らに送った一連の状況報告のメールを、坂井氏の了解を得て掲載する。「今はまだ、嵐の前の静けさ」の続報である。… 2011/03/18 事件・話題
大震災の現場から Vol.7 「今はまだ、嵐の前の静けさ」 塩釜市の西(つまり内陸寄り)20kmあまりの位置にある宮城県立こども病院の泌尿器科部長、坂井清英氏が被災後、友人らに送った一連の状況報告のメールを、坂井氏の了解を得て掲載する。 2011/03/18 事件・話題
大震災の現場から Vol.6 「本当に私が処方していいのか?」 日本医師会災害医療チームの一員として福島県いわき市で診療支援 3月11日に発生した東日本大震災により、避難所で生活する被災者は35万人以上に上るとみられる。医療機関が被災して手薄になる中、急病、怪我への対応に加え、生活習慣病をはじめとする慢性疾患患者への診療も必要となっている。3月13日に福島県いわき市に入り、災害医療に当たった姫野病院(福岡… 2011/03/18 救急医療・集中治療
大震災の現場から Vol.5 石巻日赤に出動した、教え子からのメール 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その3 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/17 事件・話題
大震災の現場から Vol.2 「死者は積み上がっても、助けられる傷病者が発見できない…」 DMATの一員として仙台で活動を行った医師からの報告 「3月11日18:34 これから被災地に向かいます」―。自身のFacebookにこう投稿し、DMATの一員として仙台に赴き、活動を行った東京医科歯科大学助教の白石淳氏。DMAT(Disaster Medical Assistance Team、災害派遣医療チーム)とは、医師、看護師、業務調整員で構成され、大規模災害や多傷病者が発… 2011/03/16 救急医療・集中治療
大震災の現場から Vol.4 大船渡へ向けて、緊急DMAT出動 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その2 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/16 事件・話題
大震災の現場から Vol.3 「いまの家に昔のストーブ」の怖さ 青森県八戸市・八戸市民病院救命救急センターからの被災地報告 その1 3月11日の東日本巨大地震の発生時、八戸市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。… 2011/03/16 事件・話題
大震災の現場から Vol.1 「今、欲しいのは水とガソリン。医療にこんなに水が必要だったとは…」 福島県伊達市の医師からの被災地報告 東北地方太平洋沖地震の被災された地域でも、今日も奮闘する医師、医療者がいる。福島県伊達市にある保原中央クリニック家庭医療科の菅家智史氏もその一人。被災地の医療機関の様子を広く共有するために、菅家氏が自身のFacebookに投稿した被災地報告を、本人の許可を得て掲載する。… 2011/03/14 事件・話題