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2005.10.25

【MRのキモチ】その20 「手術場で倒れた男の物語」

 秋の連休を利用して久しぶりに実家に帰ったT三郎は、庭の金木犀の香りを感じながら、自分のMR生活を振り返っていた。

 「自分は本当にMRに向いているのだろうか?」「このままMRを続けていていいのだろうか?」

 T三郎の父は外科系の診療所を経営し、長男、次男も医師になり、最近では長男が実家に戻り、整形外科の看板を加えて、診療所経営を父と2人で行っている。

 三男であるT三郎も小さい頃から学校での成績も優秀で、一時は兄達のように医師になろうかと迷った時期もあったが、どうしても血を見るのが嫌で、薬剤師の道を選んだ。

 大学は国立のT大学薬学部にストレートで入学し、卒業後は大手の製薬会社のMRになったのである。

 延べ6カ月の新人研修を経て、新任地は北海道の札幌支店に決定した。

 札幌での生活も5年目の冬を迎えようとしている。

 MRの生活にもなれ、一通りの業務は問題なくできるようになり、後輩も入って来て、その面倒も見る立場にはなっていた。が、このままMRを続けるべきか悩んでいる今日この頃であった。

 そんなある日、訪問先の脳外科の病院の先生と「術後感染予防の抗生剤の使い方」を話しているとき、急患の知らせがあり、緊急手術が行われることになった。

 先生はT三郎に尋ねた。「君は手術を見たことがあるかね」

 T三郎は応えた。「いいえ、まだ実際に見たことはありません」

 「そうか。いい機会だから今から見るかね」と先生は笑いながら言った。

 「はい。邪魔にならないように見学させていただきます」とT三郎は恐る恐る答えた。

 先生は続けた。「今日の患者さんは約1カ月前に交通事故を起こし、しばらく入院していたが、今は外来治療をしている患者さんで、今日外来に来て待合室で倒れたとのことだ。今レントゲンとCTを撮っているが、恐らく硬膜外血種だと思う。術式は穿孔術で行う予定だ」

 先生は手術着に着替え、T三郎には新しい白衣を貸してくれた。

 T三郎が手術場の隅で待っていると、消毒を済ませた先生が入って来て、手術が始まった。患者さんは既に麻酔医によって麻酔がかけられ、剃髪されて手術台の上に横たわっていた。

 先生が手術開始時間を告げ、手術は開始された。

 まず頭皮にメスが入り、頭皮が開かれると白い頭蓋骨が現れた。先生はその頭蓋骨にトンカチとノミのような道具で傷を付け、穿孔のためのドリルを固定する為の傷を付けた。

 ドリルを固定すると、先生はゆっくりとドリルを回し始めた。白いパラフィンのような頭蓋骨の削られた骨が浮かび上がって来た。

 「ドリルで削るときにあまり力を入れ過ぎると、穴が開いたときその力で脳を突き破ってしまうことがあるので、ドリルは引きながら穴を開けて行くんだ」と先生はT三郎に聞こえるように言った。

 レントゲンとCTで確認された頭蓋骨の位置に2カ所の穴が開けられた。

 上の穴から蒸留水が注ぎこまれると、下の穴からどす黒い血の塊が流れ出て来た。

 この時点でT三郎の顔面は蒼白となり脂汗が流れ出ていた。そのうち目の前が真っ暗になり、ドスンという物音とともにT三郎はその場に倒れてしまった。

 しばらくしてT三郎は気がついたが、手術はまだ続いていた。

 おぼつかない足取りでT三郎はそっと手術場の外へ出た。そして手術場の待合室のいすでしばらく横になっていた。

 ドレーンを頭皮に通された患者さんが出てきて、手術は無事に終わった。

 その後、医局でT三郎は先生の帰ってくるのを待っていた。

 先生は笑いながら入って来て、そして言った。「結構君も神経が、かぼそいんだね」

 「先生、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」。T三郎は謝った。

 「いや、医学生でも倒れる人がいるんだから。まあそのうち慣れるから心配するな」と言ってくれた。

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 手術場で脳貧血を起こして倒れたMRの話は、多くのMRから耳にする話である。
手術を実際に見ることはMRとしての勉強になるのであるが、普段あまり見慣れていないMRにとっては、酷な場合もある。
 筆者も手術のビデオを上映していて貧血を起こした部下のMRを何人か見ている。今回のケースの患者さんは、翌日には入院病棟の廊下を歩いていたとのことで、救命の観点からの医学の素晴らしさをMRは感じないではいられないのである。
 そして、MRはその素晴らしい医学の一翼を薬を通じて貢献しているという、社会的使命感を持っていないと続けられないのである。

■著者紹介■
小原公一氏