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2005.10.19

用語解説◇東大病院ルンバール事件

 1975年10月24日に下された最高裁判決(民集29巻9号1417)は、医療訴訟史上、最も代表的なものの1つです。事件名は「東大病院ルンバール事件」。因果関係について、裁判所が因果関係の証明に関して「指導的な判断」を示した判例として、注目されています。

 事件は1955年に発生したものです。以下、事件概要をみていきます。

 原告は3歳児です。化膿性髄膜炎で入院中に、連日のルンバール検査の実施と投薬治療によって、症状は次第に軽快していました。

 事件当日は、担当医師が学会に出席するため、通常は避けている昼食20分後にルンバール検査を実施しました。その際、患者がいやがって泣き叫びましたが、医師は馬乗りになって患児の体を固定し、何度も穿刺してようやく成功しましたが、この間30分かかっていました。

 ところが、その15分ないし20分後に、患児は突然嘔吐し、けいれん発作を起こし、その後、右半身不全麻痺や言語障害、知的障害、運動障害が発症、後遺症として残ってしまったものです。

 争点は3つ。1つ目は、不全麻痺、知的障害、運動障害の原因は何かというものです。2つ目は、不全麻痺や知的障害、運動障害の発症と、医師が行ったルンバール検査との間に因果関係があるのかどうかです。最後の3つ目は、最終的に医師に過失が存在したのかどうかです。

 裁判の結果です。1審、2審とも医師の過失はなかったと認定。原告側の主張を退けました。

 第1審判決は、1965年2月28日東京地裁で下されたものです。判決は、発作や後遺症が生じた原因は脳出血と認定し、その上で、ルンバール検査と脳出血との因果関係は認めましたが、医師の過失はないと判断しました。

 また、第2審は、1973年2月2日、東京高裁で下されました。判決は、発作と後遺症の原因については、「脳出血によるものか、化膿性髄膜炎もしくはこれに伴う脳実質の病変の再燃によるものか、判定しがたい」と認定しました。

 この原因が明らかでないとの認定が前提となり、ルンバール検査との因果関係は断定しがたいと判断されました。結局、医師の過失も認められないとし、原告側の控訴を棄却しました。
 
 争いは、最高裁に持ち込まれました。そこで下された判断は以下のようなものでした。

 「訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる」。

 「高度の蓋然性」を証明することで因果関係の立証は足りるとの判断は、その後の医療訴訟に大きな影響を与えることになりました。「1点の疑義も許されない自然科学的証明」から「高度の蓋然性の証明」へと舵が切られたわけで、その意味でターニングポイントとなる判決だったのです。

 最高裁の結論は、「化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別な事情も認められず、他に特段の事情が認められない限り、経験則上、本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールによって発生したものとして、その間の因果関係を肯定するのが相当である」というものでした。

 結局、発作発生と後遺症の発症の原因は脳出血である、原因とルンバール検査との因果関係はある、として、医師の過失の審理を尽くすよう東京高裁に差し戻しました。
 
 1979年4月16日、東京高裁は原告の請求を一部認める判決を下しました。最高裁が示した「因果関係が肯定される」を前提に審議。医師は、患児の身体の状況からルンバール検査を中止すべきであったのに続行した過失があったと認めたのです。

 裁判は被告側の逆転敗訴で決着したのでした。

(まとめ:三和護、医療局編集委員)