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高血圧治療の温故知新(ISH2006プレサイト)

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2006/9/6

ISHスペシャルインタビュー

高血圧治診療の温故知新●尾前 照雄氏

「久山町研究」を世界的な疫学研究に

2006/9/6

ISHスペシャルインタビュー

高血圧治診療の温故知新●尾前 照雄氏

「久山町研究」を世界的な疫学研究に

関連ジャンル:

高血圧

1961年、久山町の成人健診に参加したメンバー。後列左端が尾前氏。

ピンチ!久山研究のNIH補助が打ち切りに

尾前 そのピンチとは、7年間研究資金を提供してくれた米国のNIHからの研究費が打ち切られたことです。国立大学はNIHの研究費が貰えなくなったためでした。そんな事情から、教授になったころ「教授が替わったのだからそれまでの教室のテーマは変えてもいいのではないか。受け継いでやるだけでは物足りないのではないか」と言う人もいました。

 そこへ久山町の2代目町長の小早川新氏が教授室に来られ、「今の研究は続けるつもりですか」と聞かれたのです。「この研究のお陰で、町民に一体感が生まれた。信頼と誠意があれば何でもできるという教訓を得たので、ぜひ今後も続けてほしい」との要望を伝えに来られたのでした。

 もちろん、私にはこの研究をやめるつもりはありませんでした。せっかく貴重なデータが蓄積されてきたのであり、血圧と脳卒中との関係を探る以外にも、動脈硬化と臓器との関係やそのころ関心が高まりつつあった糖尿病との関係など、研究テーマがまだまだ広がると考えたからです。検診の費用は町が出してくれるという誠にうれしい意思表示でした。それを今日まで続けてくれているのです。

 いろいろ苦労や辛いこともありました。しかし住民との信頼関係が深まると共に死亡者の剖検率も上がり、現在まで平均80%です。大学病院の剖検率は近年落ちて20%そこそこでしょうから、すごい数字だと思います。しかも、検診受診者約7000人の追跡率は99%を超えています。

わが国唯一、最大のエビデンスに

――こうしてわが国唯一、最大のエビデンスであり、世界で最も精度の高いと言われる「Hisayama Study」から大きな成果が出てきました。

尾前 これだけの高い剖検率がバックにあるので、説得力があります。よく比較される米国の「Framingham Study」と違うのは、「Hisayama Study」は単なる公衆衛生学的な疫学調査ではなく、病理解剖を徹底している点です。

 この研究で、脳卒中全体の死亡頻度は日本人全体の頻度とほとんど変わりませんが、脳出血の頻度が日本人全体より少なく、脳梗塞がそれより多いことがはっきり分かりました。脳出血が日本では欧米諸国より多いことも世界に示すことができました。もちろん、現在は脳梗塞が脳出血を上回っていますが。脳卒中の各病型と血圧との関係を初めて正確に実証できたのも久山町研究だと思いまです。血圧と動脈硬化との関係も明らかにできました。

 また、WHOとの国際共同研究の一貫として行われた追跡調査では、久山町は他の地区と比較して、脳卒中死の頻度が低く、寝たきり老人は全国平均の7分の1になっていることも分かりました。ただ、近年は糖尿病や肥満などが増え、脳卒中発症者が増える傾向にあります。そこで2005年4月、ここ久山町ヘルスC&Cセンターに「有限責任中間法人久山生活習慣病研究所」という組織を設立しました。これまで蓄積したデータを生かし、糖尿病、肥満、高脂血症、など幅広く生活習慣病の実態を解明して、生活習慣病のEBMの確立や疫学・臨床・ゲノム研究の実用化を目指そうという新しい段階に入りました。

1971年、WHO(世界保健機関)の高血圧に関するミーティングで(ジュネーブ)。左端が尾前氏。

臨床試験「PROGRESS」では恥ずかしい思いも

――降圧治療に関する国際的な大規模臨床試験に初めて日本が参加した「PROGRESS」では、先生が日本の責任者になりましたね。

尾前 ええ。この試験は、正式には「Perindopril Protection Against Recurrent Stroke Study」と呼ばれるもので、軽・中等症の脳卒中病歴を持つ症例を対象として、アンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬であるPerindoprilの脳卒中再発予防効果を検証するために計画された大規模長期国際共同研究です。1996年に世界7地域、日本・中国を含む10カ国、172施設が参加して開始されました。

 すでに私は国立循環器病センター総長を退官していましたが、日本側の総括責任者としてこの国際共同研究に取り組みました。日本からは33施設が参加しました。しかし、何しろこういう経験は初めてだったので、スタート当初は、定期的に要求される調査票の送付の遅れやデータ記載の不備など欠陥が多く見られました。日本は参加10カ国中最低の部類に属し、国際本部から注意を受けることもありました。初めは本当に恥ずかしい思いをしました。

 でも最後には、何とか815症例を登録し追跡して、「やればできる」という感触を得ましたが、全体としての評価は未だ平均レベルまでにはいきませんでしたね。コーディネーターが制度のなかに確立していなかったのが大きな原因だと思います。

 結果は、血圧が正常範囲内のものを含めPerindoprilをベースとした降圧治療群はプラセボ群に比べて28%脳卒中発作が少なかったという、常識には余りなかった結果が得られました。PROGRESSの結果は、JNC7やヨーロッパのガイドラインでも引用されています。

 この経験で痛感したのは、日本の臨床現場は医師と患者の信頼関係が本当にできているのか、という疑問でした。日本の患者さんは「治してもらいたいから医者にかかるのに、なぜ試験の対象にされるのか」という気持ちが強く、医師もなかなかその点を説得できてないからだと思います。

 外国の研究者からは「治療法の良否を判断するにはサイエンティフィックなデータに基づいて判断することが大事、それが患者さんのためになる。だから説得してそのベースとなる研究が必要ではないか」と言われました。保険制度の違いやコーディネーター制度の有無の問題はあるにしても、こうした考えを理解してもらうためにも普段からの患者さんとの信頼関係構築が非常に大事だということです。その点、久山町研究は、この信頼関係が確立できたからこそ、今日まで続いていると自負しています。

 日本は、生化学や疫学など、実験的・基礎医学の面では、世界に誇れる研究が出ていますが、臨床研究では国際的に通用するものが少ないのは残念ですね。

――その研究の質を上げるために、日本高血圧学会の創設(1978年)に当たっては、それまでの学会運営とは全く違ったやり方を取り入れましたね。

尾前 クリーブランド留学時代の師匠であったPage博士が1949年にHigh Blood Pressure Councilという、非常にハイレベルな研究組織を作りました。この研究組織はその後毎年1回開かれ、高血圧学の進歩に大きな貢献をしています。

 日本高血圧学会を出発させるとき、模範にしたのがこのHigh Blood Pressure Councilのやり方でした。金子好宏先生(横浜私立大学名誉教授)らクリーブランド留学組が中心となって、学会の運営ルールを作りました。とにかく仕事は量より質を重視しました。

 特別講演、シンポジウムは一切なし。演題は50題のみと厳選し、発表時間は15分、(うち討論時間5分以上)と決めました。発表時間がこれだけあれば、内容がしっかりしていないとボロが出ます。どこかで発表した演題は受け付けないことにしました。もし既発表のものを出題した場合は、その施設からの演題はその後受理しない方針でいこうということも申し合わせました。会場は1ヵ所だけとして充実した内容にすることに意を注ぎました。このやり方は、日本の高血圧研究の質を上げるのに随分役立ったと思います。若い研究者にとってもいい刺激になってきたと思います。国際高血圧学会にも寄与した点が少なくないと思っております。

編集部注:久山町研究の詳細は、「剖検率100%の町」(祢津加奈子著、ライフサイエンス出版)(http://www.lifescience.co.jp/shop2/shopping.html)、PROGRESSの詳細は、「日本における大規模臨床試験のあり方 国際共同研究PROGRESSの経験から」(尾前照雄編著、日本医事新報社)(http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31205264)をご参照下さい。

<尾前氏略歴>
1926年 生まれ
1950年 九州大学医学部卒業
1957年 米国クリーブランド・クリニック留学
1961年 九州大学第二内科
1971年 九州大学第二内科教授
1973年 西日本文化賞受賞(久山町研究代表者として)
1979年 九州大学附属病院長
1980年 第3回日本高血圧学会会長
1983年 国立循環器病センター病院長
1990年 国立循環器病センター第3代総長(1995年同センター名誉総長)
1999年 勲一等叙勲
2002年 久山町ヘルスC&Cセンター長
2005年 有限責任中間法人「久山生活習慣病研究所」代表理事

インタビューを終えて

 今年80歳になるというのに、インタビューの前日まで沖縄で泳いでいたという尾前氏。20年ぐらい前から血圧のコントロールを始めた。ほとんどすべての降圧薬を試みたといい、今は最少量の利尿薬にカルシウム拮抗薬やβ遮断薬、ARBを1錠ずつ服用しているという。朝9時前には久山町のオフィスに出勤し、夕方は5時まで勤務。「まだまだこの久山町からは発信する貴重な情報があります」と意気軒昂だった。

(浜野 栄夫=日経BP社医療局)

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