大震災で僕らは… Vol.8 僕たちも被災地に貢献できた! PCAT学生メンバーのボランティア体験談 日本プライマリ・ケア連合学会が3月14日に発足した東日本大震災支援プロジェクト「PCAT」には、医療専門職のほか、医学生も多数参加した。支援に携わった学生3人に、被災地でのボランティア活動の内容や感想、さらに将来のキャリアについて語ってもらった。… 2011/07/22 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.7 福島から避難しても、何かせずにはいられませんでした 福島県立医大の医学生が体験した大震災 大震災後の福島第一原発事故により、非常事態体制となった福島県立医科大学。原発周辺からヘリで搬送されてくる患者の院内への移送など、医学生も奮闘した。福島を離れた学生も街頭で募金活動を行い、福島の窮状を訴えた。福島で経験した大震災を4人の医学生に聞いた。… 2011/07/21 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.6 原発は不安でしたが、病院に残りました 福島県立医大の研修医が体験した大震災 大震災発生直後、全員が救急科の指揮下に入り、初期治療チームとして活動した福島県立医科大学の初期研修医。大地震から原発事故─。研修医1年目で経験した東日本大震災を3人の医師に聞いた。 2011/07/20 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.5 不眠不休の院長を休ませたいと、“何でも屋”を志願 陸前高田市で2回にわたり医療支援を行った新井川弘道氏 災害医療については素人の私ですが、津波によって壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市へ、2回支援に入りました。目的は、岩手県立高田病院院長の石木幹彦先生にとにかく休んでもらうことでした。 2011/07/15 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.4 第2波の恐怖の中、「後悔したくない」と泥水の階下へ TIME誌「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた菅野武氏に聞く In Japan's tragic hour, he risked his life for others―。TIME誌は「世界で最も影響力のある100人」の中で、菅野武氏をこう評した。大津波に襲われて100人以上が最上階に取り残された公立志津川病院(宮城県南三陸町)で3日間、最後の患者の搬送を見届けるまで付き添った。3月11日に何が起こっ… 2011/07/13 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.3 「医局辞める」「予備自衛官に」 「専門・キャリアの考えが変わった」は2割近く 医師を対象にした今回の東日本大震災のアンケートでは、自身の専門やキャリアへの影響についても尋ねた。「震災を機に、診療の幅を広げたいと思った」といった声から、「医局にいるのがバカバカしくなった」「予備自衛官になりたい」といった意見まで、様々な回答が寄せられた。… 2011/07/11 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.2 被災地で医療支援に従事した医師たちの声 「いつもやる気のない私が燃えた!」「自分も胃腸炎に感染、下痢に…」 東日本大震災の発生後、被災者の医療支援に従事した医師たちは、何を経験し、どう感じたのか? 活動の感想や反省点、記憶に残ったエピソードを尋ねたアンケートの回答の中から、コメントを幾つか紹介する。… 2011/07/08 事件・話題
大震災で僕らは… Vol.1 「医療支援に参加した」は2割 最多は「後方支援」、次いで「巡回診療」 3月11日に発生した東日本大震災。巨大津波の襲来、原発事故など、被災地の医師たちは否応なく過酷な状況の中に投げ込まれた。一方で、全国から支援の手が差し伸べられ、医師だけでなく医学生も積極的にサポートにかかわった。これほどの大災害。キャリアや将来を改めて見つめ直した医師も少なくな… 2011/07/06 事件・話題