■インタビュー&コラム
 

世界初の全身スキャンPET装置

―先生とPETとの出合いは?

鳥 塚 米国のワシントン大学のグループにより、現在のPET装置のような検出器をリング状に配列した、世界初のPET装置が報告されたのが1975年。その翌年頃、当時京大薬学部教授であった横山陽先生(現京大名誉教授)と、京大でもPETの研究を始めようと話し合いました。PETの研究にはPET製剤の研究と装置の研究の両面が必要で、まず、薬学部の佐治英郎先生(現・京大大学院薬学研究科教授)にワシントン大学に留学してPET製剤の研究をしていただき、臨床研究は、米倉義晴先生(現・福井大学高エネルギー医学研究センター長)に米国ブルックヘーベン国立研究所、ジョン・ホプキンス大学に留学していただきました。

―装置はどうなさったのですか?

鳥 塚 当時、放射線医学研究所に私の高等学校の同級生で田中栄一先生(現・浜松ホトニクス顧問)がおられました。その田中先生が新しい検出系リングのPositologicaを考案され、それを用いて全身用多層のPET装置の開発を計画されていました。本計画は、1979〜1982年の4年間、通産省医療福祉技術研究開発事業の一つに採択され、多額の補助金を得ることができました。

―実際に装置を作ったのは?

鳥 塚 この事業は、日立メディコ、日立製作所中央研究所、浜松ホトニクスの3社が開発し、放射線医学研究所と京大が臨床的研究を行うことでスタートしました。当時のPET装置は、頭部用しかなく、全身用のPET装置を世界に先駆けて作ることができました。このPET装置のうち、1台は1982年2月放射線医学研究所に、もう1台は1983年9月京大に設置されることになりました。その間の1982年には、文部省の予算で京大病院に小型サイクロトロンを設置していただきました。
保険適応へのみちのり

―国に保険適応疾患を認めさせるには、相当なご苦労があったそうですが?

鳥 塚 1990年頃から、それまで研究で使われてきたPET検査が、実は臨床的に役立つということが立証され、それから世界的レベルでクリニカル(臨床)PETの推進が叫ばれるようになりました。日本でクリニカルPETを広めるには、保険を通さなければいけないということで、厚生省といろいろと交渉することになったわけです。

―FDG-PETの12の保険適応疾患は、どのように決まったのですか?

鳥 塚 まず1996年秋に日本アイソトープ協会のサイクロトロン核医学利用専門委員会の中にFDG-PETのワーキンググループをつくりました。その当時のPET施設にFDGの治療成績についてのアンケート調査をして、2500例くらいの成績が集められました。1999年くらいまでに分担して各疾患ごとの臨床上の有用性と医療経済効果を出して、12の疾患をピックアップして、それを厚生労働省に持っていき、これだけ役に立つことをエビデンスで示しました。そして2002年4月にやっと12の保険適応疾患が通ったわけです。さらに引き続いて食道がん、子宮がん、卵巣がん、アルツハイマー型の痴呆についても申請中で、将来的には適応が認められると思います。

PETの展望

―これからのPETについては

鳥 塚 まずFDG製剤については、近く各施設が高価なサイクロトロンを個々に持つ必要はなく、わが国でもFDG製剤を1ヵ所で作り、それを複数の病院に配送するデリバリー方式が始まります。PET装置に関しては、PETとCTを融合させたPET-CT装置が主流になっていくと思われます。ただし、いくら立派な施設を作っても、それを活用する専門医がいなくては、仏作って魂入れずですから、PETにもCTにも通じた専門医の養成が急務となるでしょう。

<日経ビジネス別冊 Special Ad Sectionより>