幕末、幕府の衰退を憂えた老中阿部正弘は、13代将軍徳川家定の正室に薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)の一門で島津忠剛(ただたけ)の娘敬子(すみこ)を迎えることにした。とはいえ将軍家御台所が外様大名の子女では具合が悪い。そこで敬子を斉彬の養女とし、さらに近衛忠煕(ただひろ)の養女にして名も篤姫(あつひめ)と改めた。

 安政3年(1856年)12月18日、篤姫は21歳で江戸城大奥に輿入(こしい)れした。だが生来病弱の家定は安政5年夏、脚気衝心(急性心筋障害)をおこして急逝した。

脳卒中で逝った大奥の支配者 天璋院篤姫の画像

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