京都・西陣の「住民医療」の開拓者として知られる早川一光先生が、6月上旬、94歳の生涯を閉じた。早川先生は「わらじ医者」の愛称で親しまれた。大往生といえようが、早川先生が90歳を過ぎ、癌に罹って発した言葉、「こんなはずじゃなかった」(NHK『ハートネットTV』2016年5月26日放送)は耳の奥にこびり付いている。
 早川先生は、「西陣の路地は病院の廊下や」を合言葉に日本の訪問診療、在宅医療を切りひらき、畳の上での看取りを推奨してきた。その先生自身が患者になって「こんなはずじゃなかった」と悔いた。後世の医療に何を求めておられたのか。そこが気になって仕方ない。
 早川先生が医療法人西陣健康会・堀川病院(198床)の前身、白峯診療所に赴任したのは1950年。当時、織物の産地で名高い西陣では、暗くてジメジメした環境での重労働がはびこり、結核の届け出数は京都市全体の約20%を占めていた。西陣機業労働者や日雇い労働者が加入できる健康保険はなく、病気に罹ったら諦めるしかなかったという。

在宅医療の開拓者が残した「医療界への遺言」の画像

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