なぜ勤務医の私が、医療制度や医師不足問題などを研究し、各地で講演するようになったのかを振り返ってみます。1989年7月、新規開院した埼玉県済生会栗橋病院に外科部長として赴任しました。新たに作られた病院での仕事、そして栗橋での生活は、それまでの研修医、大学医局とは全く異なっていました。病院の外科外来に来られる患者さんの診断から手術の責任までを一手に背負い、万が一、癌の患者さんが再発すれば、抗癌剤の治療から疼痛管理など終末期医療、そしてお亡くなりになる看取りまで受け持つことになったのです。

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