『大病人』
監 督:伊丹十三
出演:三國連太郎、津川雅彦、宮本信子、木内みどり、高瀬春奈 公開年:1993年 時間:116分 発売元:ジェネオンエンタテインメント

 大監督・伊丹万作の息子に生まれ、俳優、文筆家として活躍していた伊丹十三が『お葬式』で監督デビューしたのは1984年のことである。この作品は圧倒的な支持を得、その後も『マルサの女』など順調に作品を発表していく。『大病人』は伊丹の7作目の作品となる。

 俳優兼監督の向井武平(三國連太郎)は、自らを主役とした映画の撮影中だ。映画の主人公はオーケストラの指揮者で癌を患っている。美しく年若い妻も癌にかかり、二人で闘病を続けている、というストーリーだ。妻役の神島彩(高瀬春奈)は実生活では武平の愛人であり、妻の万里子(宮本信子)はそれを知っており、別れることを考えていた。

 酒と胃薬が手放せない武平は、ある日吐いた物の中に血が混じっていることに気づく。万里子の大学時代の友人で外科医の緒方洪一郎(津川雅彦)に診てもらうと、既に癌が進行していることが判明する。病名を「胃潰瘍」として手術を受け、一度は復帰に成功する。しかし、半年後に再発。映画のクライマックスシーンの打ち合わせ中に倒れ、再び病院へ搬送される。緊急手術で開腹すると、癌はもう手の施しようもなくなっていた。

 胃潰瘍と信じて入院生活を送っていたが、病院で末期患者の姿を見て、抗癌剤治療の副作用が自分の身にも起こっていることを知り癌を疑い出す。不安と焦燥感から担当看護婦(木内みどり)をからかったり、愛人を病院のベッドに引っ張り込んだりと、周囲に迷惑を掛け続け、最後は妻から見放される。

 あまりのわがままぶりに手を焼いた緒方は、思わず死期が近いことを告げてしまう。ショックを受けた武平は自殺を図り、そこで臨死を体験する。一命を取り留めた武平は、そこで初めてきちんと癌の告知を受け、余命3カ月であることを知る。気力を振り絞り武平が最後にとった行動とは…。

 本作は93年の公開だが、当時、癌患者に対する医師・医療機関の接し方が少しずつ変わってきた時代だった。90年、末期医療に長年携わってきた山崎章郎の『病院で死ぬということ』(文春文庫)が上梓されている。若き医師が人の尊厳を重視した「死に方」を論じたこの本はベストセラーとなり、それまでの「癌は本人に告知をしない」という常識が少しずつ崩れ始めていた。『大病人』にも山崎は監修者の一人として参加している。「尊厳死」という言葉は80 年代から使われていたが、終末期医療(ターミナルケア)の重要性が、やっと真剣に議論され始めた時代だったといえる。

 医師と患者の関係の変化もこの映画は的確にとらえている。医師を全面的に信用し、患者はその家来のようにぺこぺこする時代から、お互いの信頼関係を重要視し、情報を共有し、患者と医師が協働して治療を行うという考え方が定着し始めていた。本作品の中でも武平が緒方に向かって「おまえのメスのために俺の体があるんじゃない。俺の幸せのためにおまえのメスがあるんだ」と叫ぶシーンは印象的である。ちなみに、看護婦が緒方に勧め武平が受けるペイン・コントロールは、現在では進歩し、モルヒネなどの麻薬の使用も随分普及している。その意味で、17年前の医療現場とは、臨床技術も隔世の感がある。

 この作品は日本で初めてデジタル合成を使ったことでも有名だ。武平が自殺を図り、幽体離脱をした後、花畑や山岳地帯などを飛び回るシーンは日本映画における初のCGといわれている。

 不遜で傲慢、何も恐れるものがないような人間ほど、実は小心で怖がりだったりするものだ。武平が癌告知を受けるとき、強がりながらも、体中がガタガタ震え出すシーンは、わが身に置き換えてもそうだろうと共感する。日本人の死因の1位が癌(悪性新生物)であることを思えば、この作品に描かれている姿は誰にとっても人ごとではない。

 常に時代を先取りしたテーマで、娯楽作品を撮り続けていた伊丹十三が生きていたら、今、何を撮っていただろうか?

column
伊丹監督が触発された山崎章郎の『病院で死ぬということ』も同じ1993年に市川準監督によって映画化された。ドキュメンタリー的手法のこちらの方が当時は評価が高かった(キネマ旬報ベストテン3位)が、DVD化されていない。主人公医師を岸部一徳が好演。


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