忽然と姿を消した感のあるAソ連型(H1N1亜型)ウイルスは、‘進化の壁’を乗り越えられずにいたのではないか――。インフルエンザウイルスのHA遺伝子(HA1ユニット)の系統樹解析から、こんな見方が浮上している。新潟大学大学院医歯学総合研究科国際保健学分野(公衆衛生)をはじめとする研究グループが明らかにしたデータが根拠となっている。2009年に発生した新型インフルエンザ(A/H1N1pdm)ウイルスは、‘進化の壁’にぶち当たっていたAソ連型の間隙を突いて出現し、季節性インフルエンザの一角を奪い取ったとも考えられるという。この仮説の意味するところは何なのか。同研究科教授の齋藤玲子氏にうかがった。

新潟大学大学院医歯学総合研究科教授の齋藤玲子氏

―― 2009年までヒトの間で流行していたのは、Aソ連型(H1N1亜型)ウイルス、A香港型(H3N2亜型)ウイルス、そしてB型ウイルスの3種類でした。それが2009年に新型インフルエンザウイルス(H1N1pdm09)が出現して以降、これまでのAソ連型(H1N1亜型)ウイルスは姿を消してしまいました。

斎藤 私たちの研究グループは、インフルエンザウイルスの継続的な遺伝子解析を行ってきました。その結果、H1N1pdm09ウイルスが出現する前から、Aソ連型(H1N1亜型)ウイルスには、ある変化がみられていたのです。図1をみてください。

 これは、Aソ連型(H1N1亜型)ウイルスのヘマグルチニン(HA)遺伝子(HA1ユニット)を対象に、系統樹解析を行った結果です。

図1 Aソ連型(H1N1亜型)の系統樹解析

―― 右側に「99-00」とか「01-02」という数字がありますが、これは流行シーズンでしょうか。

斎藤 そうです。この図は2000年から2007年にかけて、各シーズンに流行したウイルスを調べたものです。新潟県内の開業医の先生の協力を得て、この8シーズンに計1041件のウイルスを分離しました。そのうち75.4%はH3N2亜型、残りはH1N1亜型(Aソ連型)でした。図は、Aソ連型(H1N1亜型)の変化を追いかけたものです。

―― 毎年流行するインフルエンザウイルスは、同じ亜型であっても遺伝子が変化しているといわれます。宿主であるヒトの間で流行するうちに、よりヒトでの感染にフィットした(かつ、免疫の選択圧を逃れた)ウイルスが選択されて広まっていくとも考えられています。

斎藤 その変化に着目して、つまりはウイルスの進化に注目して解析したところ、描かれた系統樹が多分岐型を示したのです。

―― 「99-00」の次は「00-01」ですが、「99-00」を挟むように上下に分かれています。「01-02」は「00-01」の上に伸びていますが、「05-06」と「06-07」は下の方へ伸びています。

斎藤 一定の方向感が見られず、いわば「右往左往」している様相を呈していたのです。

―― 確かに、言葉としてはふさわしくないのかもしれませんが、Aソ連型(H1N1亜型)ウイルスがもがいているようにも見えます。

斎藤 私たちは、進化の壁に差し掛かっていたのではないかと考察しました。このことは、A香港型(H3N2亜型)ウイルスの系統樹解析の結果(図2)と見比べるとよりはっきりとしてきます。

図2 A香港型(H3N2亜型)ウイルスの系統樹解析

―― 右側の流行シーズンを示す数字を追うと、年によっては多少の前後はありますが、全体としては上のほうへ直線的に伸びているのが一目瞭然です。

斎藤 A香港型(H3N2亜型)にはまだ、Aソ連型(H1N1亜型)に見られたような‘行き詰まり感’は認められていないわけです。

―― 先生方は、Aソ連型(H1N1亜型)ウイルスは、‘進化の壁’を乗り越えられずにいたのではないかとの見方をされているわけですが、そんな間隙を突いて、H1N1pdm09ウイルスが出現し、Aソ連型と入れ替わってしまったという考え方もありえるのでしょうか。

斎藤 壁を乗り越えられずに自然に姿を消すというシナリオもありえたはずですので、Aソ連型ウイルスの進化の壁とH1N1pdm09ウイルスの出現との関連については、憶測の域を出ません。が、系統樹解析から見えてきた確かなことは、Aソ連型ウイルスのように、進化の壁に差し掛かっている様相が認められた時は、大きな変化の兆候と捉えて警戒すべきではないだろうかということです。

―― たとえばですが、A香港型ウイルスにも同様の局面が見えてきた場合、新たなインフルエンザウイルスの出現の余地が広がっていると捉えたほうがいいということでしょうか。

斎藤 系統樹解析のデータは、そのような見方ができることを示していると思います。