この夏、「新型インフルエンザA/H1N1)」と題する書籍が発行された。副題に「わが国における対応と今後の課題」とある。編集に当たった北里大学医学部公衆衛生学講師の和田耕治氏は、「記録と記憶を残したかった」と出版の意図を語る。2009年に発生した新型インフルエンザのパンデミック。その現場で奮闘した人々が執筆者に名を連ね、あのときの記録と記憶を綴っている。新たなパンデミックは、いずれまた発生するだろう。この本に納められた数多くのデータと現場の声は、「そのとき」に備えるための貴重な判断材料となるに違いない。

 監修者は前国立感染症研究所長の宮村達男氏。執筆者は総勢22人に上る。

 まずトップバッターとして、厚生労働省新型インフルエンザ対策推進室長として対応に当たった正林督章氏(現在、環境省)が登場。第1章の「準備段階の対応」と第2章の「新型インフルエンザ(A/H1N1)発生後の主な出来事と対応」を執筆している。この2章は、国としての対応を綴った記録が中心で、時系列を意識した構成で分かりやすくなっている。残念なのは、当時の厚生労働大臣の奮闘振りや各自治体首長とのやり取りなど、記憶に残る出来事は語られていない点だろう。当時の新聞記事が参考資料として資料集のCD-ROMに収められており、「記憶」の部分はこちらに委ねた格好とも見て取れる。

 第3章では、新型インフルエンザウイルスの特徴が書き込まれている。主に執筆したのは、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター第一室長の小田切孝人氏。パンデミックを引き起こしたウイルスの起源、性状、スペインインフルエンザ・ウイルスとの類似性など、科学的な事実が書き込まれている。

 気になったのは、今回のウイルスは「新型インフルエンザウイルス」ではなく「再興ウイルス」であったと結論している点だ。これまで人間社会に現れたことのないHA亜型でなく、季節性インフルエンザH1N1と同じH1亜型であったことを根拠としている。また、「ウイルス学的知見からパンデミック対応を振り返って」では、最後にこう結んでいる。

 「パンデミック対応は、柔軟性が不可欠で、状況に応じて最高レベル、中等度レベル、通常レベルと適宜切り替えができる体制構築を今後はすべきである」。

 この考え方は、最近改定されたばかりの国の新型インフルエンザ対策行動計画にも反映されている。

 第4章以降は、記録もさることながら、記憶の部分が増え、読み応えが出てくる。入国者管理(水際対策)では、仙台検疫所長の小野日出麿氏、国立国際医療センター国際医療協力部長の金井要氏、全国保健所長会会長の澁谷いづみ氏らが、それぞれの現場での対応の実際について語っている。

 例えば、金井氏は、成田空港停留施設での対応について記し、こう書き始めている。

 「君、こっちに来て。マスクを外して顔を見せてくれ!」
 「皆さん、お世話をしている我々はマスクの下でいつもスマイルをしているんです。普段はマスクで素顔が見えませんが、イケメン(美男)を集めました」。

 非日常な空間である停留施設でのひとコマだが、緊張感を和らげようとする気配りがあったことが感じられる。停留者を「ゲスト」と呼び、「ホテルでお客さんに接する」ような対応を徹底したとの記述もあった。

 第5章の「地域での感染拡大防止策」では、神戸市代表監査委員の桜井誠一氏、兵庫県立星陵高等学校長の濱田浩嗣氏、横浜市健康福祉局健康安全部医務担当部長の岩田眞美氏らが寄稿している。

 桜井氏は、国内初の地域流行があった神戸市の対応を記した。「嫌な結果になった、すり抜けだ」「日本国内初が神戸」「また、よりによって私のときに」などと当時の心情を吐露しつつ、神戸市保健福祉局長としてどのように動いたのかを綴っている。濱田氏は学校の臨時休業の実際と今後の課題について語り、岩田氏は国のフライング発表のために混乱したことにも触れながら、入院措置や積極的疫学調査、濃厚接触者への予防内服の実際をまとめている。

 このほか、那覇市立病院の知花なおみ氏は、日本で最初に流行のピークを迎えた沖縄県での医療体制について報告し、防衛医大教授の川名明彦氏は、初期における国内の重症例について解説している。また、国立感染症研究所の安井良則氏は、新型インフルエンザ発生に関連して起こった誹謗中傷・風評被害について実態を報告し、再発防止への考察を述べている。

北里大学医学部公衆衛生学講師の和田耕治氏

 編集に当たった和田氏は、「記録と記憶を残したかった」と明かし、学術論文では掲載されにくい「経験」や「教訓」に焦点を当てて記述することに努力したと話す。これを実現するため、「実際に現場で汗を流し、指揮を執り、眠れぬ日々を過ごした行政官や研究者の方々に分担執筆してもらった」のだという。

 監修者である宮村氏は、「監修のことば」を次のように締めくくっている。

 「今回のパンデミック対応に“正しく知り、正しく怖れる”ことが感染症コントロールの根本であることを我々は改めて痛感した。今回得られた教訓を正しく記載し、次にまた来る“新型”のインフルエンザ対応に生かされねばならない」。

 和田氏が言う「記録と記憶」が、後輩らにしっかりと受け継がれていくことを期待したい。


■参考資料
新型インフルエンザ(A/H1N1)――わが国における対応と今後の課題
宮村達男:監修/和田耕治:編集 中央法規 6720円(税込)