日本感染症学会に駆けつけたWHOの進藤奈邦子氏

 東日本大震災への対応を織り込んで始まった第85回日本感染症学会総会。初日である4月21日、招請講演の会場にWHO進藤奈邦子氏(写真)の姿があった。前日、ジュネーブから日本に着いたばかりという進藤氏は、2009年に発生したインフルエンザ・パンデミックについての主要なイベントを振り返りながら、「次へつなげるための教訓」を語った。

 パンデミックインフルエンザA(H1N1)2009(以下、パンデミック2009)は現在、季節性インフルエンザに移行しつつある。「日本ではもう忘れられているのかもしれないが」と前置きした進藤氏は、「今まさに、WHOがパンデミック対策の検証をしている」と続けた。国際保健規約審査委員会が、WHOや世界各国のパンデミック対策について総合的に審査を行っており、その成果をまとめた委員会リポートが来月予定されているWHO保健総会に提出されるという。

 進藤氏は、パンデミックの進展とWHOなどの対策を語りつつ、パンデミックを引き起こしたウイルスの実像と臨床的な特徴、ウイルスのサーベイランスや疫学から浮かび上がった真実などをレビューした。

 いくつかポイントを拾うと、パンデミック2009ウイルスの実像では、「ウイルスの起源(時期と場所)は不明である」という指摘が重要だった。最も早い時期のヒト感染例が報告されたのは、2009年2月のメキシコだった。しかし、初期の感染例が確認された地域の養豚場などでは当初、このウイルスがブタで確認されたという報告はなかった。どこからきたのかは未解明で、今後の研究課題の1つだ。

 もう1つ着目したのは、現在循環中のパンデミック2009ウイルス株は、わずかな遺伝子変異が確認されているだけで「抗原性は発生時と変わらない」という点だ。加えて、「ほかのヒトのインフルエンザAウイルスあるいは鳥インフルエンザウイルス(例えばH5N1)との遺伝子交雑の事実はない」という情報も朗報に違いない。

 ウイルスの臨床的な特徴からは、「上気道と下気道の組織に感染しうる」という点を挙げたい。これは、呼吸不全を伴う重症患者あるいは重症免疫不全患者の中には、下気道で感染が遷延する例も見られることにつながる。

 ウイルスのサーベイランスの結果では、「現在パンデミック2009ウイルスの活動性が高いのはガーナやブータンなど」という情報が重要だ。WHOのフェーズでは2010年8月10日以降、ポストパンデミック期に移行している。しかし、ポストパンデミックだからといって、このウイルスが消滅したということではないのだ。国や地域によっては、まだ流行が続いているのである。一方、ウイルスの疫学の結果では、「感染経路は主に大きな飛沫による」という点を指摘しておきたい。咳やくしゃみの際に飛び出す大きな飛沫が危険なのであり、咳エチケットの大切さを改めて認識すべきだ。

 講演の終盤、進藤氏は5つの教訓(表1)を示した。

進藤氏が提示した5つの教訓

・インフルエンザ・パンデミックは絵空事ではなく本当に起こる
・科学だけでは片付かない国際保健事情がある
・人類史上初めての「準備されていた」パンデミック
・パンデミックの重症度をどう考えるのか
・パンデミックフェーズの見直し? 研究の必要性

 まず「インフルエンザ・パンデミックは絵空事ではなく本当に起こる」だが、パンデミック2009自体が、ある周期をもってインフルエンザ・パンデミックが発生することを証明した。インフルエンザに関わる専門家らは、パンデミックは必ずやってくると確信していた。それが現実となったということは、「次も必ず起こる」(進藤氏)との指摘につながる。

 2つ目の「科学だけでは片付かない国際保健事情がある」は、少々解説が必要だろう。進藤氏は、インフルエンザの名称に「トリ」を使うことは許容されているが「ブタ」は使えないという現状を例として示した。社会あるいは産業への配慮を求められる現実に、WHOも直面していた。どうやって折り合いをつけていくのかは、今後も問われ続けるのだろう。

 3つ目の「人類史上初めての準備されていたパンデミック」は、「準備されていた」にアクセントがある。鳥インフルエンザH5N1の流行、SARSの発生と続いたこともあって、インフルエンザ・パンデミックへの対応は、各国で議論が進み対策の準備もある程度進んではいたのだ。ただ、ワクチンについては、課題が明らかになっている。進藤氏は「第一波にはワクチンはどうしても間に合わない」とし、さらに「流行中のワクチン接種の意味はほとんどない」と断じた。その上で、このワクチンの問題をどうやって解決していくべきか、検討を続けるべきとした。

 また、進藤氏は「準備されていた」ものとして抗インフルエンザ薬を挙げたが、「予防投与は(耐性の問題があり)要注意」と指摘した。ハイリスク患者らへの必要な予防投与については、投与量の問題も含め、6月ごろを目途に専門家らの検討結果をまとめるという。なお、現在、予防投与が認められているのはタミフルとリレンザのみである。

 4つ目の「パンデミックの重症度をどう考えるのか」は難問だ。重症度の指標は致死率なのか感染率なのか、はたまたその組み合わせなのか、議論すべき点は多い。また、最後の「パンデミックフェーズの見直し」と連動する課題であり、継続的な検討が求められている。

 進藤氏が示した最後のスライドは、各国の死亡率を比較した図だった。日本の死亡率の低さが際立つが、「なぜ日本の死亡率が低かったのかを明らかにすることは、今後の対策を検討する上で欠かせない」という。進藤氏は考えられる理由として「国民の公衆衛生上に対する意識の高さ」や「抗インフルエンザ薬治療が定着している日本の医療体制」などを挙げ、今後も「日本の良さを発信していってほしい」と訴え講演を締めくくった。