3月31日。大分県佐伯保養院の山内勇人氏からメールをいただきました。「東北地方太平洋沖地震災害地への災害医療派遣活動報告」が添付されていました。そこには、宮城県気仙沼市の避難所を活動拠点に、感染症対策のリーダーとして医療支援に当たった山内氏らの活動内容も記されていました。医療チームがインフルエンザの感染拡大をどのように防ごうとしたのかも克明に書かれています。以下に紹介します。


 私は、日本医師会災害支援医療チームのメンバーとして、3月23日から27日まで、宮城県気仙沼で、ケーウェィブという1500人が生活している村のような巨大な避難所を活動拠点に、内科医、精神科医、さらに全体の感染症対策のリーダーとして医療支援に当たりました。

 阪神淡路大震災と今回の医療ニーズの違いは、直下型ではなく、津波の被害が主で、流されるか助かるかで、重症者が少なかったこと、高齢者が多いこと、破壊的被害で家ごと全てを失い裸一貫の避難所生活をやむなくするということかと思います。そのため、医療としてのニーズは、重症者や外科的処置の需要は少なかったのが特徴かと思います。

 避難所では、低体温症、慢性疾患増悪への対応、誤えん性肺炎予防の口腔内ケア、エコノミークラス症候群予防、廃用症候群対策などへの対応が求められています。

 震度4の巨大地震が続く中、今朝もマイナス2度と厳しい寒さが続き、2週間に及ぶ避難生活での疲れで、体調を崩す人が増えていて、感冒が流行り、私が活動を開始した時にはインフルエンザが発生していました。

 災害医療コーディネーターである気仙沼市立病院の成田徳雄医師が、私の知人である仙台医療センターウイルス研究所の西村秀一先生の後輩にあたり、西村先生を介して連絡を取って頂いていた経緯もあり、私が合流後、東北大学感染制御チームにご指導いただきながら、気仙沼災害対策医療支援チームの感染症対策の責任者として指揮を執りました。

 到着時には、22日よりケーウェイブでインフルエンザが発生しており、すでに開始されていた「発熱外来」および「感染者部屋」の整備を行いました。また、東北大学チームが「状況によっては抗インフルエンザ薬の予防投与もやむなし」とする指針を出していただいたおかげで、ケーウェイブでの予防投与を、私の裁量で直ちに開始しました。また、指針をもとに、今後、入れ替わるスタッフが同じレベルで対応できるように、治療、隔離、隔離解除、予防投与などに関するフローチャートを作成して対策の標準化を図りました。保湿のために「寝癖直しスプレー」の入れ物を利用しての保湿や換気の指導、マスク着用の徹底などの対策を指導しました。

 23日に対策を強化して予防内服も行うことで、新規のインフルエンザ患者発生状況は、22日に2人(最初)、23日に5人、24日に6人、25日には0人と制御に成功しました。

 しかし、今度は別の場所から、26日に11歳の小学生が1人発生し、子ども間での感染拡大が懸念されました。

 プレイルームを閉めても、生活の場が同じなので、学級閉鎖のような効果は得られないかと考え、逆に以下のようにプレイルームを利用しての感染対策の強化を図りました。

(1)保母さんの協力を得て、プレイルームを利用している子供の体調チェックの強化:
 1日3回の検温し、疑い例の早期発見。感冒症状も合わせてチェックシート作成(体温、鼻汁・鼻閉、咳、咽頭痛の有無)。1つでもチェックが入れば、家族にも説明し、一緒に変化を見て、早期治療につなげる。
(2)常時マスク着用の徹底:
 皆がマスクをつけることで、発症前から究極の咳エチケットを実施。
(3)プレイルームの換気・加湿:
 定期的な換気と霧吹を用いての加湿。
(4)子ども達への教育啓発の継続:
 手洗い、アルコール製材使用方法、マスクの付け方、肘ブロックを指導し、「君達が気仙沼の大人を守る使命」をお願いしました。以前、われわれが作成した咳エチケットの曲(参考、咳エチケットのキャンペーンソング=オリジナル編)も流す準備中です。

 その結果、27日に1人、26日に発症した児童といつも一緒に遊んでいる子どもが発症しましたが、早期に対応でき、28日の新規発生者はゼロで、隔離中の方々の経過も順調で、咳がなければ完全解熱2日間で隔離解除ができています。26日にはNHKと読売新聞の取材を受けました。

 あと、嘔吐下痢対策としてトイレ清掃の方法をデモして、ボランティアの高校生達(自らも被災者)にやってもらえています。

 街は復興に向けて、少しずつ動き出しています。避難所から街に買い物に行く人、仕事に行く人も増え、感染症の持ち込みの可能性があり注意を要しますし、過酷な避難所生活の中で結核、麻しんなども念頭に置かなければなりません。

 あと、他の避難時ではB型が昨日発生しているようです。インフルエンザのワクチン接種はしておいた方が良いかもしれません。

 少しでもお役に立てればと思い、こちらに戻った後も、入れ替わるスタッフでも一貫した診療が行えるように、埼玉医大、秋田大第3内科、富山大第1内科などの先生方と携帯とPCで情報交換をしながら、24時間支援を続けています。

 なお、現地の物品として、商品化されている嘔吐物処理セットがあれば便利かと思います。保湿のために、100円ぐらいのもので良いので、霧吹きスプレーも有用です。

 また、避難所の全体像はまだ把握が不十分であり、個人宅に何十人もが生活しているところがあります。物品自体は充足していますが、その配分に問題があるように感じました。そういった意味で、下記の「気仙沼在宅療養支援隊」の活動に期待します。

 精神科医としての活動ですが、埼玉医大から派遣された精神科医と連携しながら、ケーウェイブで「こころの診察室」で診療しました。

 「思い出すと震えがとまらない」といった急性ストレス障害の方が多かったですが、「都会であれば受診するだろうなあ」と思える状態でも、「暖かくてご飯が食べれるだけよい」という辛抱強い人が多く、今後、潜在患者の拾いあげが必要かと思いました。動きが良い避難所もあるようですが、その中心には地元の保健師がいます。自身が被災しながらも、2週間家に帰らずにずっと避難所でケアにあたっている方もおられます。その中心の方が倒れるとだめになるので、医療チームでは、ちょっとで良いので、スタッフとも会話するように心掛けています。

 とにかく、地元のスタッフの疲労が目立ちます。非常に大きな心的ダメージ、疲弊し、家族を失っているにも関わらず、責任感・職務感から頑張っています。ここでほっと一段落した時が心配で、急性期から亜急性期にかけて、PTSDが多発することが懸念されます。

 また、精神疾患患者の症状の増悪例もあり、双極性障害の躁転した事例も診察しました。 

 水没した地元で唯一の精神科病院(光が丘保養院)にも出向して2日間診療しました。思いの外、入院患者さんは精神科的には安定していましたが、疲弊している医師に休んでもらうために、内科も合わせて診療しました。ライフラインが復旧していないために寒く、感冒が多く、肺炎も2例診療しました。低体温患者を3人(それぞれ34.2度、33.7度、計測不可能)認め、熱湯で温めた点滴製剤を点滴して対応しました。

 また、今回の震災で、避難所か在宅に大きく分かれており、ライフラインの復旧していない状態での医療・介護を要する要在宅療養支援者の拾い上げと対策も急務でした。実際に、電動ベッドが動かなくなったり、エアマットの空気が抜けたために15cmの大きな褥瘡ができていた方の報告もありました。

 情報収集のためにローラー作戦が必要ですが、これまでは、てんでばらばらに活動していて、「さっき別の県の保健師さんが来ましたけど」ということも多々あるようです。

 不眠不休の地元の保健師を休ませてあげるどころか、返って仕事を増やしてしまいがちである現況下で、一緒に現地入りした親友の医療法人 ゆうの森 たんぽぽクリニック(愛媛、在宅専門クリニック)の永井康徳先生が中心となり、市立病院、市、県、医師会、訪問看護ステーション、地元の在宅クリニックなどを統合して一元化し、「気仙沼在宅療養支援隊」を立ち上げ、情報の集約と指示の一括化を図っています。さらに、避難所で生活する方々の要介護度なども調査して、介護度や病状に応じた避難所での部屋の配分なども、この隊が行うことになりました。非常に優れたロールモデルになるかと思います。

 以上、活動を報告させて頂きました。

 最後に、このような機会を与えて頂けた愛媛県医師会、声掛けいただいたたんぽぽクリニック、そして、多忙な中、快く送り出していただいた当院の院長はじめ職員の皆さん、そして家族にこの場をかりまして深謝致します。 2011年3月29日

追伸
 気仙沼の市街は原子爆弾が落ちたような、戦後の焼け野原のようながれきの山でした。沿岸部は全く何もない壊滅状態です。津波の恐ろしさを初めて感じました。一瞬にして、命も家も大切な思い出も全て失くしてしまいます。
 まだ、電気も水道も使えず、氷点下3度の中を避難生活しています。ここで頑張る医師も看護師も市の職員も、みんな被災者です。家族や家を失っても、休まずに家族の捜索をすることもできず、みんなのために頑張っています。避難所の気仙沼の人達は、こんな状況にも関わらず、とても我慢強い良い人達ばかりでした。
 日一日、少しずつですが、復興していく街をみて、人のつながりの大切さ、強さを感じました。と同時に、人は一瞬にして命を、大切な人を失います。だからこそ、いまの一瞬一瞬を大切に、生きていることに感謝して、一生懸命に生きていかなければと思います。
 今日から通常通り出勤し、当たり前の風景がいかに幸せであるかをかみしめています。
 今回の大震災のことをこれからも忘れず、日々の生活に感謝して取り組んでいくことが、何よりの継続的な復興支援だと思います。
 被災地では医療関係だけでなく、全職種がオールジャパンで取り組んでいました。戦後の日本が復興したように、必ず、日本は復興すると確信しました。
 そのためには、被災地から離れた、われわれ一人ひとりが生活や行事を自粛して萎縮するのではなく、復興のために盛り上げて行くことが何よりの災害支援になると思います。
 当院の中庭の桜は6分咲きで、今週末の患者さん達の花見会に向けて、職員は忙しそうです。


(まとめ;三和護=日経メディカル別冊編集部)