現在は東京検疫所東京空港検疫所支所に勤務する阪口洋子氏

 検疫の強化体制は、初動としてやり過ぎだったとは思いません――。新型インフルエンザが発生した当時、横浜検疫所で船舶の対応に追われていた阪口洋子氏(写真)は、いつまで検疫の強化体制を続けるかの見極めが大事だったと指摘する。横浜港で展開された船舶の検疫の実際と問題点、さらには今後へ向けた課題は何なのか。

―― 海外発生前、横浜検疫所ではどのような準備が進んでいたのでしょうか。

阪口  横浜検疫所全職員を対象にして防護服の着脱訓練やN95マスクのフィットテスト、消毒・搬送訓練などを定期的に実施していました。また関係方面に呼びかけて「横浜港感染症対策関係機関連絡調整会議」(表1)を立ち上げ、横浜港における新型インフルエンザ対策について検討を続けていました。2008年6月に第1回の会議を開催しました。それから月に2、3回のペースで検討を重ね、2009年3月末には、横浜港における新型インフルエンザ検疫要領としてまとめました。

表1 横浜港感染症対策関係機関連絡調整会議の参加機関

横浜海上保安局 横浜税関 東京入国管理局横浜支局 関東運輸局海上安全環境部
関東地方整備局港湾空港部 国立国際医療センター 神奈川県警察本部
神奈川県横浜水上警察署 神奈川県横浜戸部警察署 神奈川県安全防災局
神奈川県保健福祉部 横浜市港湾局 横浜市安全管理局 横浜市健康福祉局
横浜市立市民病院 横浜市中区福祉保健センター 横浜市西区福祉保健センター
東京港湾水先区水先人会 横浜船主会 外国船舶協会横浜支部 横浜港運協会
横浜検疫所

―― 関係機関が22機関もありますが、連絡調整だけで大変だったのではないでしょうか。

阪口 新型インフルエンザに対する関係者の意識はとても高かったです。連絡調整は、メールアドレスを含む緊急時の連絡先まで登録していただいたので、スムーズに行えました。しかし、多くの関係機関の出席を得て、議論していただきたかったので、日程調整や疑問点など、メールでのやりとりが多く、また会議資料の作成、所内での議論と日々追われていました。

―― 検疫要領のポイントはなんでしょうか。

阪口 検疫と患者対応、そして停留の3つにまとめられます。検疫は、原則として「臨船検疫」で対応することになっていました。検疫官が、着岸していない船に洋上で検疫艇から本船に乗り込んで感染者に対応するものです。ただ、天候が悪い場合や患者を速やかに医療機関へ運ばないといけないといった状況では、岸壁につけてから検疫官が乗り込む「着岸検疫」という方式で対応することにしていました。感染の恐れのある船を着岸させてから検疫をするといった対応をとることについて、横浜市との調整に苦労しましたが、担当者会議で感染の危険度、感染防止策を説明し、全関係機関から理解を得て、着岸するための岸壁を決めるところまでこぎ着け、船舶の大きさやバース(Berth)の状況によって、横浜市の港湾管理者が指定することになりました。

―― 患者対応はいかがですか。

阪口 検疫で確認された感染者については、横浜市立市民病院と入院委託契約を結んでいました。国立国際医療センターにおいても同様です。また、神奈川県内の2種感染症指定機関とも入院委託契約を締結したり、締結へ向けた交渉を進めていました。

―― 患者の入院措置については、かなり準備が進んでいたわけですね。

阪口 船から医療機関へ感染者を運ぶことも重要な点でしたが、搬送方法についても議論を重ねました。軽症者については検疫所官用車もしくは民間救急搬送車を利用し、生命に危険のある重症者の場合は、消防署の救急車を要請することが決まっていました。

―― 3つ目の停留についてはいかがですか。

阪口 検査結果が出るまでの一時的な待機場所は、船内とすることになっていました。濃厚接触者らの停留施設についても、準備を進めていました。停留施設の収容能力を超えた場合は、船内での停留もやむを得なかったと思います。この点は、横浜港に入港するような大きな船には居住スペースがありますから、飛行機とは大きな違いがあります。

―― 訓練も実施し、防護具を備蓄したりと、準備はかなり進んでいたようです。

阪口 ゴーグル型保護メガネやN95マスク、ガウンや乗客への配付用のサージカルマスクなどを備蓄していました。また関係機関の防護具の備蓄の相談にのったり、その使用方法についても関係機関や船舶代理店(以下、代理店)の方にアドバイスすることもありました。

―― 海外発生から国内発生前まで、横浜検疫所では、具体的にどのような対応がとられたのでしょうか。

阪口 2009年4月25日(土)に、厚生労働省の検疫所業務管理室から、成田空港検疫所の航空機検疫に対して通知がありました。メキシコからの直行便については検疫を強化するよう求めたものです。米本土とカナダからの直行便については、可能な限りメキシコ直行便に準じた対応をとの指示でした。

 横浜検疫所では直ちに、メキシコから来航する船舶の入港状況の確認をしました。代理店に対しては、乗員の健康状態の報告に追加して、乗員一人ひとりの体温についても報告を求めることにしました。また、関係機関や代理店には、電子メールでの情報提供を始めました。出国者や入国者に対する注意喚起の指示もありましたので、ホテルや官庁、郵便局などの周辺施設に協力を得て、ポスターの掲示をお願いして、注意喚起を行いました。

―― 準備していた検疫要領と現実とにギャップがありませんでしたか。

阪口 政府のガイドラインもそうですが、横浜港での検疫要領も、毒性の強い新型インフルエンザを想定していました。当初はウイルスの特性については判明していなかったため、作成した要領通りの対応でした。しかし、本省からは次々と出される通知に、作成していた要領とは対応が変わるところもありました。

―― 4月28日(火)にWHOがフェーズ4を宣言し、日本政府も新型インフルエンザの発生を受け、水際対策に関するガイドラインや検疫に関するガイドラインに基づいた対策を実施しました。

阪口 1日前の27日に横浜検疫所では、所長を本部長とする「新型インフルエンザ対策本部」を設置しました。この時点で、メキシコおよび米から来航する船舶については、出航後10日以内に来航する場合は、原則として臨船検疫、状況により着岸検疫を実施することにしました。感染の疑いのある人への対応は、空港での対応に準じて実施することになりました。出港後10日を過ぎて来航する場合については、「検疫前通報」により患者の有無を確認した上で、該当者がいない場合は、船舶からの事前通報を書類上で確認する「無線検疫」で対応することになりました。

 政府が対策を打ち出した日には、「横浜港感染症対策関係機関連絡調整会議」を開催し、現状の確認と今後の対応について意思確認を行いました。

 この時点で、メキシコや米、カナダから出港後10日以内に来航する船舶がそれほど多くはないことが確認できました。それもあって、成田空港検疫所における航空機の検疫強化のために、横浜検疫所からも応援要員を派遣することになりました。

―― 出港後10日以内に来航した船は、実際、どれぐらいだったのですか。

阪口 4月29日(水)に、米から貨物船が入港しました。オークランド港を4月19日に出港、その後10日目の来航でしたので着岸検疫の対象となりました。乗組員24人、乗客2人に対して、体温測定と問診を行いました。

 5月1日からは対象国からの入港船で下船者がいる場合は、臨船検疫もしくは着岸検疫を行うこととしましたので、5月3日(日)に米のサンペドロ港から10日目の入港船で下船者がいたため、体温測定を含めた健康状態の確認と下船後の動向も確認するため臨船検疫を行っています。

 また5月13日(水)には、米のオークランド港から10日以内の来航がありました。このときは下船者はいませんでしたが、事前の質問票を入手できなかったので乗組員23人、水先人1人の検疫を船に乗り込んで行いました。

 これら3回とも、対象者は健康状態に異常がないことが確認できました。

―― 国内発生までの間、対応の変化はあったのでしょうか。

阪口 WHOがフェーズ5に引き上げた4月30日(木)には、代理店の方に集まってもらい、その時点においての海外での発生状況、国の対応、検疫対応、感染予防法などについての説明会を開催しました。44社から54人が参加しました。それから5月1日(金)からは、横浜検疫所では、米、メキシコ、カナダから10日以内に来航する場合は、入国管理局の横浜支局と代理店の協力を得て、乗組員の下船および上陸の自粛を協力要請しました。

―― 国内発生以降、横浜検疫所での対応に変化はあったのでしょうか。

阪口 政府は、5月14日(木)に停留期間を10日間から7日間に短縮することを決めました。これに伴い、船舶の検疫は、潜伏期間の7日を超えて来航する貨物船については、有症者がいなければ無線検疫で可能にしました。

 また、6月3日には、すでに発生国が日本も含む62カ国に広がり、感染者数も1万7410人にまで増えていましたので、客船についての対応を緩和しています。具体的には、それまですべて臨船検疫としていたのを、潜伏期間7日を越えて来航し、症例定義に合致する人がいない場合は無線検疫で対応することになりました。

 新型インフルエンザの発生後に横浜港に来航した客船は、6月9日(火)に入港した「にっぽん丸」でした。ホノルル港を5月31日に出港していました。新型インフルエンザ発生国から7日以内に乗船した人がいないことと、入港前7日以内に発熱やその他の症状が現れた人がいないことが船長と船医からの事前の報告により確認できたため、無線検疫での対応となっています。

―― 検疫が緩和された6月19日まで、横浜検疫所で行われた検疫の実績を教えてください。

阪口 横浜検疫所における実績は、4月27日から6月18日までに、臨船検疫を行ったのは結局、3隻でした。新型インフルエンザがまん延している国から潜伏期間内に来航した船舶のうち、臨船検疫を行ったのは米から来航した船舶のみでした。今回検疫強化の対象となった国からは、それだけの時間をかけないと日本にはたどり着きませんでした。これが、韓国や中国からの発生だったら、2日ほどで横浜まできてしまいます。

―― 検疫の現場で発生していた問題点を挙げていただけますか。

阪口 成田空港への応援派遣によって、予防接種や船舶の衛生検査という申請業務を中止しました。申請業務は、検疫の効果を挙げる上で必要なことから、海外渡航者や関係者の皆さまにご迷惑をおかけしました。成田空港へ応援に出していましたが、応援で人手が削減された横浜港としての体制を維持するのが大変でした。このため、横浜検疫所の事業継続計画(BCP)を整備しました。

 海外発生期でも、黄熱のワクチン接種を希望する人から1日10件以上の問い合わせがありました。しかし、新型インフルエンザが海外で流行しているので渡航を見合わせるよう、まずは勧め、それでも希望される場合は、接種の予約を受け付けることになっていました。

 国内で発生が確認されてからは、成田空港検疫所で予防接種を中止していたこともあり、また東京検疫所でも人数制限を設けていたため、横浜検疫所では予防接種に関しては、すぐに接種人数を増やして接種を再開しました。

―― 横浜での検疫の現場の経験を踏まえ、今後へ向けた課題あるいは教訓を挙げてください。

阪口 検疫は、危機管理部門として、有事のときには応援体制がすぐに整うことが大事だと思います。そのためには、応援を受け入れる側の体制も作っておく必要があります。課題になったのは、検疫所間で防護服の取り扱いが違ったということです。今後は、防護服を全国で統一するなどの検討が必要だと強く思いました。

 今回のパンデミックの経験をもとに、各関係機関共ある程度は現場の動きをシミュレーションできたと思います。今後は検疫要領の改訂などを通じて、関係機関を巻き込み、毒性の強いインフルエンザの発生、あるいは従来の検疫対象疾患への対応などを構築していかなければならないと思っています。

―― 今回の検疫、いわゆる水際対策については、前のめり過ぎたのではないかとの批判もありますが。

阪口 検疫の強化体制がとられている初期は、ウイルスの特性は不明だったわけです。危機管理上、初動としては、やり過ぎだったとは思いません。ただし、国内でのサーベイランスへシフトしていく時期の見極めが大事で、現実に沿った対策に切り替えていくという柔軟な対応が必要だったことは事実です。