北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏

 新型インフルエンザA(H1N1)2009の対策として行われた様々な対応について、多角的な検証を行うべき時期に来ている。シリーズでお届けする「パンデミックの教訓」では、対策の現場にあった人、あるいは現在も現場にいる人に教訓を語ってもらおうと思う。前回に引き続き、北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏(写真)に「公衆衛生対応の10の教訓」を聞いた。

―― 前回は、準備期から海外発生期までの教訓(表1)を挙げていただきました。すべてが意義深いものだと思います。今回は、国内発生期以降の教訓をおうかがいします。

表1 準備期から海外発生期までの教訓(和田氏による)

教訓1:緊急の感染症対策の体制は内閣官房のような高いレベルの意思決定機関が主導することで包括的な取り組みとなる
教訓2:行動計画にはいくつかのシナリオを考慮した柔軟性が必要である
教訓3:不確定な状況と限られたエビデンスでの迅速な意思決定と国民の信頼感の醸成が必要
教訓4:感染者の人権を侵害してはならない
教訓5:公衆衛生的対応の多くは労働集約的であるため効率よく実施する

和田 国内発生早期は、2009年5月16日から5月31日までとしました。この時期の教訓としては、4つほど挙げたいと思います。

―― 1つのステージで4つは、多いですね。それだけ、発生早期には見直すべき点が多々あったということなのでしょうか。

和田 まず、「感染の拡大に応じた対策の意思決定を地域が行うことができるようにする」です。当初の行動計画では、都道府県は感染拡大期からまん延期における方針の転換の判断ができるようにはなっていましたが、国内発生早期から感染拡大期の判断は、国が行うことになっていました。

 そのため、患者がまったく確認されていない状況から、ある程度の患者が急に見つかった場合に、新型インフルエンザの患者(疑い例も含む)は特定の医療機関でのみ診察するという制限があり、一時的に現場の判断を混乱させてしまいました。また、ある地域で流行が発生した場合には、早い速度で全国に拡大することが想定されていました。そのため地域における流行に、今回のような時間差があることは考慮できていませんでした。

―― 5月17日、大阪府は厚生労働省との協議の上で、大阪府では新型インフルエンザ患者の入院については「医学的に重症度が高い場合のみ」とすることを決めました。府内では地域での感染拡大が認められ、封じ込めが目的である措置入院はすでに実態に合わないと判断したためでした。今回の新型インフルエンザウイルスが季節性インフルエンザに比べて、感染力は上回るものの毒性は弱いとの認識があったからこそ踏み込めた対応だったと思います。それに、軽症例がほとんどであるにもかかわらず、すべて入院措置の対象とした場合、重症化の危険性が高い基礎疾患のある人の入院治療に支障が出てしまうという懸念も強まっていました。

 翌18日には神戸市も、「重症者のみを感染症指定医療機関に入院させる」という方針に変換しました。さらに、政府は22日に行動計画の運用指針を示し、地域の状況に応じた対応を求めることになりました。
 
和田 大阪府や神戸市のこうした対応は、今後に活かせる事例となるでしょう。しかし、実際に感染症対策の意思決定が都道府県単位でできる段階までにいたるには、相当な人材の養成や確保、そして住民との信頼関係が必須であり、容易ではないです。様々な分野で地方分権は今後においてもキーワードになるでしょうが、住民との信頼関係があってこそ可能になることがほとんどでしょうから普段からの取り組みが必要です。

渡航歴のない事例から感染拡大が顕在化することも想定

和田 次の教訓は、「流行初期において渡航歴のない患者から感染拡大が確認されることを想定する」ということです。最初に国内で確認される感染者は、流行国である北米から帰国した人(健康監視対象者を含む)という条件にとらわれすぎてしまったことは否定できないでしょう。

―― 国内での最初の感染者は渡航歴がなかったため、行政での検査が優先されませんでした。

和田 当時は非常に多くの検体が「優先」でしたから、限られた人材と装置のため地域の開業医からの検体の検査がやや遅れたことの判断を責めることができません。ただ、海外で確認された後は、国内では渡航歴のない事例から感染拡大が顕在化することも想定する必要があったことは容易に想像できますが、再度認識する機会を得たように思います。

―― 今振り返ってみると、当時は渡航歴が強調されすぎていた感が否めません。渡航歴がなくとも、異常な集団発生があった場合には注意するよう呼びかけられていたとは思います。

和田 3つ目は、「不安に対処する戦略的なコミュニケーションと普段からの教育が求められる」という点です。国民の不安は、国内での感染者が出た初期にピークを迎えたと思います。発熱相談センターへの相談件数がそれを物語っています。

 大阪府では、国内での流行が確認されていない間は、1日に200から300件の相談が発熱相談センターにありました。しかし、16日に感染者が確認されてからは、4日連続で毎日6000件を超えたのです。この6000件の内容がどのような相談であったかは分かりませんが、このように急激に増えると、限られた人員で行っているため対応は困難となります。たとえば、1件に対して記録など含めて平均5分の時間が必要とした場合には、6000件ですと、延べにすると3万分(500時間)に相当します。8時間勤務の人が60人以上必要になります。

 相談する場所を設けることは感染者の早期特定という点においても必要ではありますが、どのように効率よく行うかを検討しないといくらリソースがあっても足りません。

―― コミュニケーションという面では、メディアの役割も重要です。

和田 もちろんです。ただ、マスメディアにおいてコミュニケーションのバランスをとるという点は容易ではないのでしょう。国民の中には、リスクに対して不安を感じやすい人と無関心な人がいると思います。たとえば、不安を感じやすい人にはより冷静になれるための詳細な情報が必要であり、無関心な人にはより関心をもたせるような情報が必要となるはずです。

 メディアの報道も様々な形で行われ、感染予防行動などが伝えられました。しかし、感染リスクに応じた対策の報道は、少なかったように思います。新型インフルエンザの感染は、主には飛沫感染であることから周囲に感染者がいなければ感染する可能性は少ないのです。しかし、感染対策は、それぞれの場面で適応させるためには医学的知見も必要とされることから、専門家の支援が得られない場合には対応が過剰になった面も否めません。また、最初に感染が確認された関西は人口が多く、公共交通機関において不特定多数と接する機会もあることから、過剰な不安があったのではないでしょうか。

 感染リスクに応じた対応は、今後様々な感染症対策においても求められるものです。普段からの教育が必要なのです。

―― 新型インフルエンザが発生する以前から、行政がメディアとの対話を重ねていた事例もありました。こうした試みは今後も続けるべきでしょう。

公衆衛生対応を止める時期を決めておくべき

和田 国内発生早期の4つ目の教訓は、「公衆衛生対応を止める時期を決め、限られた資源を最適に配分する」ということです。

 今回のテーマである公衆衛生対応は、以前にも書いたように労働集約的でありコストもかかります。また、社会生活にも影響が大きいものが多いです。実施する際は、どの段階で止めるのか、戦略を変えるのかを明確に示しておく必要があるのです。あるいは、その意思決定を行う機会を定期的に持つことが必要でしょう。

 公衆衛生上の対策を始めるにせよ、止めるせよ、対策については賛否両論となることが多いのです。ですから初期段階から、限られた人的資源などの最適な配分を行うことについて明らかにしておくべきと思います。

―― 先生は6月から7月までを「くすぶり期」としました。このステージも、公衆衛生上の対策の中止や縮小、変更が重要だった時期と言えます。

和田 6月3日に、兵庫県は観光客や訪問者の減少による経済への影響も考慮して、政治的な判断で安心宣言を出しました。感染疑い例や感染例の個別の報告は中止となり、集団発生した場合と肺炎や脳症、死亡例といった重症者に対する入院サーベイランスへと変更されました。以降、散発的な流行は確認されていましたが、地域での大規模な流行は確認されませんでした。

 しかし、「くすぶり感染」は続いていたわけです。ついには、日本のすべての都道府県において感染者が確認され、流行の拡大はいつでも起こりうる状況となったのでした。

―― 最初に感染拡大が報告されたのは沖縄県でした。第31週(7月27日〜8月2日)の定点当たり報告数が10人を超えたことから、8月6日には、インフルエンザの流行注意報を発令しました。ほとんどの報告が新型インフルエンザ患者であると見られることから、沖縄県としては「今後さらに拡大する可能性がある」とし注意を促しました。

和田 8月に入ると、これまでの10年間には見られなかったほどにインフルエンザ様の患者が増加しました。8月半ばにはインフルエンザ定点当たり届出数が流行の目安とされる「1人」を超え、その後も全国各地で感染者が増加していきました。全国平均では、11月23日の週に患者数がピークを迎えました。国立感染研究所は、2009年12月27日までに新型インフルエンザA (H1N1)2009の感染者は、1753万人(95%信頼区間;1734万人〜1772万人)と推計しました。

―― 8月以降は「まん延期」とされていますが、10個挙げていただいた公衆衛生対応の教訓の最後は、何でしょうか。

和田 「学級閉鎖の基準を定め、生徒と保護者の理解を得る」ということです。やや個別の案件になりましたが、インフルエンザ感染拡大を防止するための学級閉鎖のタイミングと規模については、まだ最適な基準はありません。ただ、初期に大規模に地域で学級閉鎖を行うと感染拡大の抑制に寄与するという報告があり、5月の関西での流行に寄与した可能性はあります。

 最初に感染者が確認された兵庫県と大阪府では、5月18日から22日まで一斉休校を行いました。5月18日現在で、兵庫県は2142校、大阪府は1901校(幼稚園、大学を含む)のすべてが休校となったのです。また、同時に開催予定であった神戸祭りなどのイベントを中止としました。これらの措置は行動計画において当初、学校閉鎖は1人の感染者が県内で出た場合には、県内すべての学校を閉鎖するという方針を立てていたことに基づいて行われたものでした。結果的には、たとえば兵庫県では、5月17日をピークに患者数はいったん減少しました。その一方で、こうした公衆衛生施策による経済的な損失は大きいことが指摘されました。

―― WHOグローバルインフルエンザプログラム・メディカルオフィサーの進藤奈邦子氏は、「日本は第一波を踏み潰した」と指摘し、神戸を中心とした近畿地区で行われた封じ込め対策が功を奏した結果と評価しました。同時に、感染が拡大してしまった段階では、学校閉鎖などの封じ込め対策の効果は、限定的との見方も示していました。

和田 2009年8月末の文部科学省の調査で、日本の47都道府県のうち15の都道府県では学校閉鎖の基準を設けていましたが、32の都道府県では設けていないことが分かりました。進藤先生がおっしゃるように、この時期の学級閉鎖の多くは、効果は限定的であったと考えられます。多くの学級閉鎖は、保護者への配慮や、学校としての責任を減らすためというところがあったようにも思います。最近は教師や学校への風当たりが強いということもこうした事象の背景にあると思いますが、ある程度の基準を設け、生徒や保護者の理解を得ることも必要でしょう(図1)。

図1 インフルエンザ様疾患患者発生報告と学級・学校閉鎖、休校の動向(厚生労働省より)

―― 今回ご指摘いただいた公衆衛生対応の10の教訓は、どれもが次に活かしていくべきものと思います。今後もシリーズでお届けする「パンデミックの教訓」では、対策の現場にあった人、あるいは現在も現場にいる人に教訓を語ってもらうと考えております。最後に一言ありませんか。

和田 新型インフルエンザはある意味では対策のしやすい感染症と言えるでしょう。しかし、今後新たな新興・再興感染症が出現する可能性は常にありますので、新型インフルエンザだけでなく、包括的な感染症対策という位置づけでさらに議論が進めばと思います。

教訓6:感染の拡大に応じた対策の主導を地域が行うことができるようにする
教訓7:流行初期においても渡航歴のない患者のクラスターが発生することを想定する
教訓8:国民の不安を想定した戦略的なコミュニケーションと普段からの教育が求められる
教訓9:公衆衛生対応を止める時期を決め、限られた資源を最適に配分する
教訓10:学校閉鎖の基準を定め、生徒と保護者の理解を得る

シリーズ企画「パンデミックの教訓」を開始するに当たりまして、読者の皆様が考える「教訓」を募集いたします。多くの方の意見を集約し、共有できれば幸いです。以下のアンケートにご協力ください。
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