北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏

 新型インフルエンザA(H1N1)2009の対策として行われた様々な対応について、多角的な検証を行うべき時期に来ている。今後シリーズでお届けする「パンデミックの教訓」では、対策の現場にあった人、あるいは現在も現場にいる人に教訓を語ってもらおうと思う。そこで示される教訓は、新型インフルエンザだけではなく、あらゆる新興・再興感染症を含めた包括的な感染症対策にも生かされるはずだ。2回にわたり、議論の地ならしをしていただいた北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏(写真)は、「対応の評価を行うことは誠に良いこと。今すぐとりかかり将来の糧とするべき」と指摘する。その和田氏にまず、「公衆衛生対応の10の教訓」を挙げてもらった。

―― 今回の新型インフルエンザA(H1N1)2009への対応から教訓を得ていくために、大切なことは何でしょうか。

和田 対応の評価は、今後どうするかの教訓(lessons learned)をまとめることを主眼とすべきだと思います。決して、意思決定の遅れや誤りを後追いで「犯人捜し」をすることではなく、その背景にあった原因や、次はどうするかを明らかにする必要があります。

―― 教訓を提示し合い、共有し、次の対策へつなげるというプロセスが大切です。

和田 教訓を考えていくなかで、時期をある程度明確にしておくことが必要です。そして、各ステージごとに、「教訓」を共有すると分かりやすいでしょう。今考えても、当時の状況は、特に初期は、日々大きく変わりました。

―― 新型が発生してからもうすぐ1年ですが、これまでの1年間を時間で区切って捉えなおすということですか。

和田 私は、「準備期」「海外発生期」「国内発生早期」「くすぶり期」「まん延期」の5つのステージ(図1)に分け、それぞれのステージごとに教訓を考えていくのがいいと思っています。

図1 新型インフルエンザA(H1N1)2009の5つのステージ(和田氏による)
16〜24週あたりまでは、通常の季節性インフルエンザの流行を反映している。30週前後から新型インフルエンザの流行が主流となっていった。

―― 米国内で、豚インフルエンザ由来のH1N1のA型インフルエンザウイルスが人に感染したと報告されたのが、2009年4月23日でした。この日までが「準備期」となっています。

和田 準備期 (2009年4月23日まで)では、厚生労働省の新型インフルエンザ専門家会議や与党のプロジェクトチームなどが対策について議論を重ねていました。内閣官房もタスクフォースを設置し、省庁を超えた取り組みに広がりました。このように、感染症対策が政府全体の危機管理としてとらえられるようになったことは、望ましいことであったと思います。

 2008年には感染症法の改正が行われ、新型インフルエンザ発生した際に様々な公衆衛生対応が法的に可能になったことも、今回の対応においては大きかったと言えるでしょう。

―― 2009年2月17日に、新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議が行動計画とガイドラインを改定しました。結果的に、その周知徹底を図ろうとする矢先に、新型が発生したことになります。

和田 私は準備期での教訓として2つ挙げたいと思います。第1点は、「緊急の感染症対策の体制は内閣官房のような高いレベルの意思決定機関が主導することで包括的な取り組みとなる」ということです。

 感染症対策は、行政的には厚生労働省が中心的な役割を担わなければならないのはいうまでもないでしょう。ただ、感染症の出現によって社会で起こりうる様々な状況に対応しなければならないわけです。1つの省だけでは無理ですから、様々な省庁が関わる必要がある。

 新型インフルエンザの計画段階で、たとえば外務省は海外在留邦人の保護のための対策を、防衛省は在留海外邦人の帰国支援を、文部科学省は学校が閉鎖になった場合の対応を、農林水産省は必要な食糧の確保の確認などを、それぞれの省庁ができることを検討したことは大変望ましいことであったと思います。これまでに新型インフルエンザ対策に関わっていなかった省庁が、横断的に関わったことは評価されるべきです。背景には、国全体として内閣官房が対策を主導していた点が挙げられます。また、新型インフルエンザが発生した際に首相が対策の総指揮を執る体制ができた点は、実効性の発揮という点で評価しています。

―― 準備期のもう1つの教訓は何ですか。

和田 「行動計画にはいくつかのシナリオを考慮した柔軟性が必要である」という点です。準備期にまとめられていた行動計画とガイドラインは、基本的には、鳥インフルエンザのような致死率の高い新型インフルエンザの発生を想定したものでした。会議では、病原性の重症度に応じた公衆衛生的な対策の実施のあり方について議論されていましたが、結果的に2009年2月の段階では導入はできなかったのです。

 今後は、いくつかのシナリオで、例えば重症度を表す指標として致死率や感染性、発症率や潜在的死亡数などによって公衆衛生施策の目的や効果の検討が必要です。

―― Aプランだけでなく、Bプランを、さらにはCプランまでもという具合に、オプションをいくつか想定しておくということでしょうか。

和田 また、どの段階で公衆衛生施策をやめるのかを決定する要因の検討も必要です。

過剰感に悩みながらの水際対策

―― 先生は、4月24日から5月15日までを「海外発生期」としています。4月24日は、WHOが国際保健規則に定める「国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態に該当する」と発表した日です。この日から、国内で新型インフルエンザA(H1N1)2009に感染した症例を初めて確認した5月16日の前日までが、海外発生期となっています。

和田 この時期に実行された公衆衛生上の対策は、多岐にわたります。4月27日にWHOがフェーズ4を宣言し、翌4月28日には、厚生労働大臣が感染症法に定めた「新型インフルエンザ等感染症」が発生したと宣言しました。これに基づき政府は、内閣総理大臣を本部長とする「新型インフルエンザ対策本部」を設置し、各省庁の対策も実施に移されました。

 たとえば4月28日からは、流行地と指定されたカナダ、米、メキシコからの帰国者に対して、検疫での患者の特定、感染者と接触した人の停留措置がとられました。また保健所では、発熱相談センターの開設、帰国者の健康監視、感染予防などに関する地域住民への情報提供などが実行に移されました。5月3日には地方衛生研究所での検査態勢が確立しました。こういう迅速な対応は、やはり準備があったからと言えるでしょう。

 最初に空港でA(H1N1)に感染していることがPCR検査で確認されたのは5月8日で、カナダのオンタリオ州から帰国した高校生と高校教師の計4人でした。5月15日までに国内で北米から帰国した感染者が1人確認されましたが、積極的疫学調査が行われ、曝露を受けた人に対しては抗インフルエンザ薬の予防投与が行われました。

 結局、4月28日から5月22日まで22万3809人の北米からの訪問者に対して機内検疫が行われたそうです。このうち、サーモグラフィで発熱が疑われたり、症状の自己申告があったりするなどの理由で、簡易検査が行われたのは574人でした。うち6人がインフルエンザA陽性で、PCRで確認されたのは5人でした。

 また北米からの入国者のすべてに対しては、健康監視の一環で、保健所から症状の有無などについて電話連絡が行われました。5月22日時点で11万7533人が健康監視の対象となっていました。しかし、5月22日までに健康監視の対象だった北米からの訪問者で、特定された患者は3人でした。もちろん報告されていないケースもあるでしょう。

―― こうしたデータを集積することは、大変に重要だと思います。対策にかけた労力、さらに費用なども明らかにしていってほしいと思います。そうすれば、新型インフルエンザの病原性が不明なうちはどこまでやるのか、病原性が「マイルド」のときはどうするのかなど、より多くのオプションを検討できると思います。

和田 そうですね。限られた資源である人材やお金をどのように配分するのが適正かを考える必要があるでしょう。

―― 機内検疫や停留措置などの水際対策は、ワクチン製造も含めた医療体制の準備のための時間稼ぎという意味合いが強かったと思います。海外発生から国内発生まで3週間でしたが、今回の一連の水際対策を評価する上で、この「3週間」という実績も吟味する必要があります。

対策を楽観的に緩めるためには十分とは言えなかった

和田 海外発生期においては3つの教訓を挙げたいと思います。まずは、「不確定な状況と限られたエビデンスでの迅速な意思決定と国民の信頼感の醸成が必要」である点です。

 新型インフルエンザが発生すると急速に世界中に拡大するため、公衆衛生施策の実施については迅速に意思決定をしなければなりません。特に、流行の初期においては、致死率や感染性など様々な不確定な要素のなかで、海外からのマスコミ報道など情報が錯綜するなかで意思決定が求められました。

 もちろん、発生した地域から病原性などに関する情報を入手することは、インターネットの普及やグローバルなネットワークの構築により容易になってきました。しかし、情報の質やその解釈については注意が必要であり、国内の対策の意思決定においては「対策をより強化することはできても、楽観的に緩めるためには十分とは言えなかった」のでしょう。

―― 水際対策に過剰感があったのは、限られているエビデンスでは「対策を緩めるためには十分とは言えなかった」から、となるわけですね。

和田 以前も書きましたが、公衆衛生施策の効果に関するエビデンスは弱いものが多いです。そのため、最終的には政治的な判断も必要となります。その意思決定を国民が信頼してくれるかどうかは、日ごろからの信頼関係やコミュニケーションによるところが大きいと思います。

―― 2つ目は何ですか。

和田 「感染者の人権を侵害してはならない」ということです。

 5月1日に横浜市で、カナダから帰国した高校生がインフルエンザ様症状を発症し、迅速診断キットでインフルエンザA型と特定され、新型インフルエンザの疑い患者となりました。このとき、PCR検査で新型インフルエンザが確定する前に、政府は迅速なコミュニケーションの一環として記者会見を行ったのです。結局、この高校生は感染していなかったのですが、感染していないことが確認されるまで、周辺住民は不安になり、所属する高校などの情報がメディアで明らかにされ報道されました。さらには、匿名のインターネットの掲示板で誹謗中傷が書かれもしました。

 また、国内で最初に新型インフルエンザの感染が確認されたのは5月8日で、カナダから帰国した高校生3人と高校教師1人でした。成田空港における機内検疫で確認されました。その後、所属の高校に対して誹謗中傷が発生したことは誠に遺憾でした。学校に対する電話での暴言、インターネット上での誹謗中傷のほかに、同じ高校というだけで制服のクリーニングや訪問を断られるなどの理不尽な反応があったのです。

―― 国立感染症研究所の疫学調査チームも、「大阪府における新型インフルエンザ集団発生事例疫学調査」の報告書の中で、調査チームが深くかかわった課題の1つとして「誹謗中傷・風評被害」を取り上げています。

 その中で行政機関が取り組むべきこととしては、(1)報道提供する際には、出来る限り中傷や風評被害の原因とならないように提供する情報を吟味し、また報道機関にも協力を呼び掛けていく、(2)誹謗中傷や風評被害は起り得るものだという認識のもと、学校等の関係機関とも連携して、誹謗中傷や風評被害の察知に努める、(3)誹謗中傷や風評被害が察知されたら、直ちにその被害を最小限にするように情報発信を行い、加えて被害を受けた者に対するケアを行う、の3点を提示していました。

和田 感染者の人権侵害は、報道されている限りではあまり諸外国ではみられません。こうした誤った反応がなくなるよう、今後検討をする必要があるでしょう。

 また、関連してですが、マスコミを通じて感染者個人がだれかを、国民や地域の人が知ることによる利点はないのです。しかし、メディアや国民の中には個人の特定が必要だと誤解があったのです。個人情報が守られないと、感染疑いの人が保健所などに報告しなくなるという悪影響を生じうるため、結果的には感染をさらに拡大させてしまう危険性があるのです。マスコミといっても様々な方がおられるので多くの方はそれを理解しておられるようですが、一部のマスコミの方がそうした動きをすると社会に与える影響は大きいですね。

―― 情報を伝える側としては、検証しなければならないテーマだと思います。では、海外発生期の3つ目の教訓は?

和田 「公衆衛生的対応の多くは労働集約的であるため効率よく実施する」ということです。

 たとえば、全国76箇所にある地方衛生研究所では、膨大な検体に対してPCR検査をしなければならないため負担がとても大きかったのです。公衆衛生施策は労働集約的です。中には効果が十分でないがやったほうが良いという程度のものもあります。優先順位をつけるのが望ましいですが、現場におりてきた段階でそれが正しく理解されるか、だれが判断するのか。こうしたことも、今後さらに危機管理として検討することが、感染症だけでなく自然災害においても重要でしょう。

(次回は国内発生早期からまん延期までの教訓をまとめます)

シリーズ企画「パンデミックの教訓」を開始するに当たりまして、読者の皆様が考える「教訓」を募集いたします。多くの方の意見を集約し、共有できれば幸いです。以下のアンケートにご協力ください。
 https://aida.nikkeibp.co.jp/Q/C009982Vq.html

教訓1:緊急の感染症対策の体制は内閣官房のような高いレベルの意思決定機関が主導することで包括的な取り組みとなる
教訓2:行動計画にはいくつかのシナリオを考慮した柔軟性が必要である
教訓3:不確定な状況と限られたエビデンスでの迅速な意思決定と国民の信頼感の醸成が必要
教訓4:感染者の人権を侵害してはならない
教訓5:公衆衛生的対応の多くは労働集約的であるため効率よく実施する