新型インフルエンザA(H1N1)2009の流行に対して、検疫での感染者の特定、健康監視、学校閉鎖、感染予防策の教育、ワクチン接種など様々な公衆衛生対応が実行された。こうした対応についての「評価」を求める声も高まっており、今後へ向けた教訓を得るためにも様々な議論を交わすことが望ましい。北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏に、「パンデミックの教訓」を考えるための道筋を示してもらった。


エビデンスに基づくガイドライン作りや意思決定を行う

 エビデンスに基づく公衆衛生(EBPH)では、エビデンスを収集した後に、チームによって現場での判断の助けとなるガイドラインを作成することが行われる。チームは、政府、学会などの学術団体の代表、国民の代表など様々な視点を持った人から構成されるのが望ましい。

 チームで意思決定を行う利点は、より多くの情報や知識が利用でき、様々な選択肢が示され、さらには決定に関わった人々の間では合意されており実行に移しやすいことなどがある。欠点としては、決定までに時間がかかることや、決定が妥協の産物となる可能性があり、また声の大きな人がグループを支配してしまう危険性も伴う。

 米国公衆衛生局(U.S.Public Health Service)の地域予防サービス対策委員会(Task force on community preventive services)が示す予防介入の有効性に関するガイドラインは、公衆衛生的対応のエビデンスをまとめたガイドラインの代表的な例である。対象となっている項目は、青年期の健康、アルコール、喘息、癌、糖尿病、HIV/AIDS、メンタルヘルス、交通事故、栄養、肥満、口腔保健、運動、社会環境、たばこ、ワクチン、暴力行為、職場環境などである。これらの項目に対して、どのような施策やプログラムが効果的かについて検討し、200以上の介入を推奨するかどうかを示している。これらの見解はそれぞれチームによってエビデンスを元に示されている。また、これらの見解をまとめる委員会は年に何回か行われており、すべて公開されているようである。

 「十分なエビデンス」がないと結論付けられているものもあるが、その方法がまったく効果がないということを意味するわけではなく、判断に必要な研究がその段階では十分に行われていないことを示す。ガイドラインを出すことは、プロセスの最終的な成果物ではなく、その後新たなエビデンスが得られた際や、または定期的に見直される必要がある。

地域や現場で実施する際に留意すべきこと

 ガイドラインに示されていることを地域や現場で「伝家の宝刀」のようにそのまま当てはめてよいかというとそうではない。多くの場合、公衆衛生施策の意思決定において1つの正しい解答が得られることはめったにない。また、個別の施策を実行するかしないかの境界もあまり明かではない。

 公衆衛生施策の意思決定にあたっては、効果や効率だけではなく、その他の側面として公正、倫理、政治、財政面の実行可能性、文化的背景など様々な視点から考えなければならない。また、別の見方としては、「活動する場合」と、「活動しない場合」に起こりうる様々なことを比較して判断する。

 政治は意思決定において無視できない存在である。政治家の任務は公のために立法権を行使することであり、特に人々の「価値観」が社会全体に影響力をもったような状況下では、エビデンスよりも「価値観」が重視されることがある。こうしたことは、状況によっては適切と言わざるを得ない。なぜなら、それが政治家という地域の代表者たる者の責任だからである。価値観がより重視されるような場合に、医療や公衆衛生の専門家の役割は、エビデンスと集団に対する介入の利益と害のバランスなどを分かりやすく意思決定者に伝えることである。

新型インフルエンザでの公衆衛生施策

 新型インフルエンザA(H1N1)2009の流行の初期は致死率が比較的高いという情報や、病態について不確定な要素が多いなかで、社会全体に不安が広まった。そのような状況で、飛行場の検疫での感染者の特定や、近畿地方での一斉学校閉鎖を実施した。これらの施策の感染拡大を防止する効果のエビデンスは十分にあるわけではない。どの程度のエビデンスが得られているかについては、欧州のCDC(ECDC)が表1(一部のみ掲載)のようにエビデンスの強さ、効果、コスト(直接、間接)、欧州での対策の受け入れの可能性、実施上の留意点などをまとめている。

 このようにエビデンスが「十分」な公衆衛生施策は少ない。前述したように実施の有無について明らかな境界があるわけでもなく、正しい解答もあるわけではない。そうしたなかでの意思決定はだれがやっても困難である。特に、新型インフルエンザA(H1N1)2009流行の初期のように社会の価値観が影響し、また不確定な要素が多い場合には、最後は政治的な判断が求められ、それがある程度主導していたこと事態は妥当なことだと筆者は考えている。しかし、一部の施策ではもう少し対象とする範囲を限定するなど副次的な影響をより小さくできた面もあるように思う点もあるが、後からはなんとでも言える。今後もこうした新しい感染症やその他の有事に備えて、専門家は様々な想定した事態に対してのエビデンスをまとめ、意思決定に貢献できるようにし、意思決定者である政治家や、国民との信頼関係の構築が必要である。

おわりに

 新型インフルエンザA(H1N1)2009対策として行われた公衆衛生対応の「評価」を行うことは誠に良いことである。今すぐとりかかるべきである。しかし、その評価は今後どうするかの教訓(lessons learned)をまとめることが主眼となるべきで、決して意思決定の誤りを後追いで「犯人」探しをするのではない。今後様々な立場からの教訓が示され、それに基づいて、新型インフルエンザだけではなく、様々な新興・再興感染症を含めた包括的な感染症対策のあり方について検討し直す重要な時期に、われわれは立っている。

表1 新型インフルエンザに対する公衆衛生施策のエビデンスの例
(注)エビデンスの質;B:よくデザインされた研究がある、Bm:良い質のデータがある、C:ケースレポートや小規模な研究が行われている程度の質の低いデータ

北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治氏


<略歴>
和田 耕治(わだ こうじ)
北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師
2000年産業医科大学医学部卒業、臨床研修医、企業での専属産業医を経て、2006年McGill(マギル)大学産業保健修士、ポストドクトラルフェロー、2007年3月北里大学大学院(医学博士)。2007年4月より北里大学医学部衛生学公衆衛生学助教、2009年9月より現職。
著書に、病医院の暴言・暴力対策ハンドブック.メジカルビュー(2008)、医療機関での産業保健の手引き、篠原出版新社(2006)、企業における新型インフルエンザマニュアル.東洋経済新報社(2008)、インフルエンザにかからない暮らし方.PHP研究所(2009)などがある。