2月。衝撃的なニュースが流れた。日本を代表する企業の1つであるパナソニック新型インフルエンザ対策を理由に、駐在員の家族を帰国させる決定をしたというのだ。パナソニックは「人命安全を最優先にした取り組みの一環」と説明する。が、なぜこのタイミングなのか疑問とする声も挙がり、中でもメンタルヘルスの専門家からは、単身赴任となる従業員の心の問題を置き去りにした決定ではないかとの指摘も出ている。

 3月24日。福岡で企業や団体向けの新型インフルエンザ対策セミナーが開催された。その中で、パナソニックの国際人事センター海外安全対策室室長の古賀賢次氏が講演し、同社の対策について解説した。

 同社はすでに、グループとしての新型インフルエンザ対策の推進体制を整え、事業継続計画(BCP)の策定に取り組んでいる最中にある。帯同家族の帰国は、こうした新型インフルエンザ対策にのっとったものだ。

 同社グループの海外勤務者は約1900人で、その家族は2100人にのぼる。地域は46カ国におよぶ。今回、帯同家族を帰国させるのは、欧米、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドを除く国々に出向いている従業員の家族全員となる。地元の高校に通うなどの理由から約20人は「特別残留」となったが、ほかは9月30日までに帰国の途につくことになっている。

 パナソニックは対策に当たって、(1)人命安全を最優先した取り組みを図る、(2)感染拡大防止に徹する、(3)人命安全を前提にした事業継続を図る−−の3本柱を基本方針に掲げた。これに基づき、教育・訓練、海外勤務者や家族・出張者への対応、予兆の把握、予防備品の購入・備蓄、治療薬の準備など、各項目ごとに具体化へ取り組んできた。

 帯同家族の帰国は、こうした全体的な取り組みの一環として実施するものなのだ。
 
 それにしても、なぜこの時期なのか−−。

 外務省は、感染発生国・地域については、渡航者と在留邦人のそれぞれに対して、世界保健機関(WHO)が宣言するフェーズに応じた「感染症危険情報」を発表する予定だ。

 たとえば、フェーズ4宣言前(日本政府が新型インフルエンザ発生の疑い例を把握した時点)では、在留邦人向けに、「予め今後の退避の可能性も含め検討してください」との「感染症危険情報」を出す。

 WHOがフェーズ4を宣言した以降は、在留邦人向けに「今後、出国ができなくなる可能性および現地で十分な医療が受けられなくなる可能性もあります。退避については、これらの点も含め検討してください。帰国に際しては、停留される可能性もあることに留意してください」などという「感染症危険情報」を出す見込みだ。

 古賀氏によれば、「帯同家族の場合は、フェーズ4直前では退避が間に合わない」と判断したのだという。フェーズ4宣言前の退避の検討を求める感染症危険情報が出た段階で、在留邦人や渡航者が帰国便に殺到する可能性が高い。民間機の定期便が正常に運行されるのかは不確実であり、政府専用機や自衛隊機などの運行も定かではない。ましてや、国、地域によっては、空港閉鎖も考えられる−−。こうした検討を重ねた上での決断だった。駐在員本人に先行して家族を退避させるという点では、リスクの分散を図る方策の一手であり、致し方ないことだったともいえる。

単身赴任を強いられる従業員の心の問題はどうする

 「家族の引き揚げ」に対しては当然に、グループ内から疑問や不満の声が数多く寄せられたという。特に、鳥インフルエンザのヒト感染例が出ていない国の駐在員らからは、厳しい批判もあったと明かす。

 パナソニック以外からは、おりしも世界的な不況期にあったことから、経費削減の一環として新型インフルエンザ対策を利用したのではないのかなどといった疑念も発せられた。特に、同じ境遇にある他社の駐在員や家族からは、「駐在員の家族を無理やり引き離すことはやめて」などといった悲鳴にも似た声がブログなどを通じて発信されもした。

 その中には、「帯同者は精神的な拠り所なのです。これを忘れてほしくない」など、帯同家族帰国の死角をつく意見も少なくなかった。

近畿医療福祉大学の勝田吉彰氏

 2003年のSARSの流行時に、北京で日本大使館医務官として赴任していた勝田吉彰氏(近畿医療福祉大学、写真)も、専門である精神科医の立場から、以下のように警告する。「帯同家族の帰国を優先させることは、新型インフルエンザ発生の兆候がない中、終わりのみえない単身赴任を強いることでもある。メンタルヘルス上、悪影響を及ぼすのは必至だ」。

 勝田氏は、日常生活のストレスの評価を数字で表した「ストレスマグニチュード」(表1)を提示し、「精神的な拠り所である帯同者の重要性」を解説する。

表1 ストレスマグニチュード

 ストレスマグニチュードは、さまざまな日常生活のストレスを、「配偶者の死」を100とした場合の数値として表現している。

 問題は、6カ月以内に自身に起きた出来事にマルを付けていき、それぞれのイベントの数値の合計が100を超えた場合、今後6カ月以内に何らかの心身の病気になる確率が6割であるという点だ。帯同家族の帰国に絡んで起こる駐在員のストレスを合計していくと、夫婦別居が65、習慣の変化が24、団欒する家族の変化が15などとなり、これだけで合計が100を超えてしまう。

 帯同家族が新型インフルエンザに感染する危険性は、この段階の帰国である程度防ぐことは可能だろう。だが、残された単身赴任者に6カ月後に現れる可能性の高い心の問題については、24日の講演では言及されていなかった。

 フェーズ3という段階での帯同家族の帰国という対策は、残された駐在員に対して、家族の存在に変わりうる対策を施し得てはじめて評価に値するものになるに違いない。

■訂正
4月9日に以下の点を修正しました。
・「帯同家族の退避」は「帯同家族の帰国」に、「感染防止拡大」は「感染拡大防止」に、それぞれ修正しました。また、「9月30日から帰国」とありましたが、正しくは「9月30日までに帰国」でした。「帯同家族の帰国は、このBCPにのっとって」は、「帯同家族の帰国は、こうした新型インフルエンザ対策にのっとって」に改めました。なお、対象外の国に「シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド」を追加しました。