東京の郊外にある南平山の上クリニックは、外来診療や、在宅で療養する癌患者などのケアに力を入れている。外科出身の理事長の八幡憲喜氏は、「地域の人の心の痛みから体の痛みまで癒す手伝いをしていく」との診療理念を掲げ、終末期の患者の診断などにVscanを活用している。

 2006年に私の故郷である東京都日野市に開業し、6年になります。小高い丘の中腹にある文字通りの「山の上」の診療所で、丘の向こうは多摩動物公園です。クリニックは、山桜、椎、楢の雑木林や竹林に囲まれ、野鳥のさえずりがいつも聞こえます。待合室のスペースを広く取り、ここまで登ってこられた患者さんが、本を読んだり、絵を見たり、音楽を聴いたり、お茶を楽しんだりと、ゆっくり過ごしてもらえるような癒しの空間を提供しています。

南平山の上クリニック
2006年、東京都日野市に開設。理事長で外科医の八幡憲喜氏が、癌のターミナルケアに不可欠なペインクリニックと精神科の技術も持ち、在宅ケアに年中無休で取り組んでいる。
写真:谷上 正幸(他の写真も)

 私は、東京医科歯科大学を卒業しましたが、実は医科歯科大の前に、別の大学の理学部にいました。学園紛争のために授業が途切れがちになったこともあり、医科歯科大に入り直したのです。卒業後は、外科の道に進み、6年間、手術に明け暮れました。

 しかし、外科では、手術のあとのフォロー、特に手術では治らない癌の患者さんへのターミナルのフォローは十分に行えません。「治せないときの外科医は、弱いものだ」と私は思い知らされ、では、どうしたらよいのかと自問し、そしてゼネラルな医師になりたいと強く思うようになりました。

 その後、東京健生病院の勤務医時代に、ターミナルケアに向き合うため、精神科の研修を受けました。また、痛みに苦しむ患者さんが少しでも楽になるように、麻酔科(ペインクリニック)の研修も受けました。

八幡 憲喜(やはた・けんき)氏
1978年に東京医科歯科大学医学部を卒業後、外科に入局。その後、東京健生病院などを経て、北海道木古内町国民健康保険病院に14年間勤務し、副院長も務めた。2006年に東京都日野市に医療法人社団緑のこころを設立し、理事長に就任。南平山の上クリニックを開設。

在宅医療では患者の価値観やライフスタイルを尊重
 大学卒業後9年がたち、次の自分の道を考えていたとき、妻の出身地である北海道木古内町から、国民健康保険病院の医師として来ないかとの誘いがあり、熟慮の末、1992年に外科医として赴任しました。その後、外科医は私も含め2人に増えましたが、その体制で2006年まで14年間勤務しました。木古内町国保病院では副院長も務め、病院新築のプロジェクトも立ち上げました。

 しかし、町村合併の動きなどがあり、新病院の計画が延びたことと、自分の年齢を考え合わせ、独立・開業へと進んだわけです。開業に当たっては、地域医療の最前線に立ち続けた経験から、地域の人の心の痛みから体の痛みまで癒す手伝いをしていくことを目指しました。

 現在は3人に1人が癌で亡くなる時代であり、癌で死ぬことは、その人の一つの生き方と捉える必要があります。私は、そうした終末期ケアをライフワークとして、それぞれの人の価値観、考え方、ライフスタイルを尊重した在宅医療を目指しています。これは、病院のような組織ではなかなかできない医療だと考えています。