国立感染症研究所感染病理部の長谷川秀樹氏

 感染予防効果を持つ安全なインフルエンザワクチンの開発が強く望まれている。感染をより効果的に阻止するには、感染の場である気道粘膜上に、中和能力の高い分泌型IgA抗体を誘導する必要がある。分泌型IgA抗体を誘導する経鼻粘膜投与型インフルエンザワクチンの開発を進めている、国立感染症研究所感染病理部の長谷川秀樹氏は、第54回日本臨床ウイルス学会(6月8〜9日、開催地:倉敷市)で、経鼻粘膜投与型インフルエンザワクチンにより鼻腔内に誘導される、多量体化した分泌型IgA抗体が、高いインフルエンザウイルス中和能を示すことを明らかにした。

 診察室で迅速診断陽性と告げられたインフルエンザ患者から、「ワクチン接種したのに」とつぶやく声を聞くことは多い。現行のワクチンは、感染後の発症や重症化を抑制することが主な目的であることを知っている患者でも「感染を予防してくれるワクチンはないのか」との思いを強く抱く。もっと有効なインフルエンザワクチンを作ってほしい――。国民的な要請といっても過言ではないだろう。

 現在、感染予防効果のみならず、流行株がワクチン株と一致しない変異株である場合に必要な交叉防御能も併せ持つワクチンの研究が盛んに進められている。そのアプローチの1つとして、大いに期待されているのが経鼻粘膜投与型ワクチンだ。

 長谷川氏によると、インフルエンザウイルスの自然感染においては、液性免疫として血中にIgG抗体が誘導されると同時に、粘膜下にIgA抗体産生細胞が誘導される。ここで産生されたIgA抗体は、polymeric Ig receptorを介して粘膜表面に分泌される。こうした獲得免疫応答はしばらく維持され、また一部は免疫記憶として残る。このため、再びウイルスがやってきたとき、速やかに抗体応答と細胞障害性T細胞が誘導され、ウイルスを効率的に排除する。特に上気道粘膜に分泌されるIgA抗体は、上皮細胞に取り付く前のウイルスを中和できるため、感染そのものを阻止することができる。

 このような感染防御のメカニズムを応用したのが経鼻粘膜投与型ワクチンだ。分泌型IgA抗体の誘導により、感染予防のみならず、抗原性が変化したウイルスに対しても高い感染阻止効果を示すことが明らかにされている。

 一方、現行の皮下注射ワクチンでは、IgG抗体のみが誘導され、IgA抗体は誘導されない。したがって、感染成立後の拡散する時点で効果が現れる。重症化予防には有効であっても、感染そのものを阻止することはできない。

 欧米ではすでに、経鼻粘膜投与型ワクチンとして、弱毒生インフルエンザウイルスを用いたワクチンが承認されている。小児に対して高い効果を発揮することが報告されている。ただし、感染性が保持されているため、リスクの高い幼児、高齢者、免疫不全患者などには使用できない。

 長谷川氏らが開発しているワクチンでは、安全性の高い不活化ワクチンを使用する。それによる粘膜免疫を効率的に誘導するために、抗原とともに抗原提示細胞を活性化するアジュバントも用いる。

 ウイルスが増殖するときに産生する2本鎖RNAをアジュバントとした経鼻粘膜投与型ワクチンを用いて、マウス感染実験を行ったところ、感染の兆候はまったく見られず、マウスは100%生存していた。さらに、ヒトに応用可能なアジュバントとして、内因性のインターフェロン誘導薬である2本鎖RNA製剤を用いた経鼻粘膜投与型ワクチンで感染実験を行った。感染3日後の鼻粘膜のウイルス量は、皮下接種ワクチン群ではコントロール群の約10分の1低下しただけだった。これに対して、経鼻粘膜投与型ワクチン群ではウイルスがまったく認められなかった。すなわち、感染が完全に阻止され、生存率は100%だった。

 2本鎖RNA製剤をアジュバントとした経鼻粘膜投与型ワクチンは、皮下接種ワクチンと異なり、交叉防御能をも有することがマウス、およびヒトに近い免疫系を持つカニクイザルの実験で確認された。

 長谷川氏らは、臨床研究からも多くの知見を明らかにしている。例えば、季節性インフルエンザH3N2ウイルスの不活化全粒子ワクチンの経鼻粘膜投与により、血中のみならず鼻腔粘液中にも中和抗体を誘導することができた。また、鼻腔粘液中のウイルス中和効果は、分泌型IgA抗体によるものであることが確認された。

 さらに今回、新しい知見として、経鼻粘膜投与型ワクチンによって鼻腔内に誘導される分泌型IgA抗体は二量体、四量体といった高次構造をとることが明らかにされた。鼻腔内には、単量体、二量体、四量体、四量体超の多量体を形成する抗体が存在し、二量体以上の多量体抗体の大部分はIgA抗体より構成されていた。また、四量体以上に多量体化した抗体のインフルエンザウイルス中和能は、単量体抗体や二量体抗体よりも高かった。二量体、四量体、多量体IgA抗体は、単量体IgA抗体よりも抗原特異抗体の含有量が多いことも分かったという。

 これらの結果から、長谷川氏は「ヒトの鼻粘膜上に存在する分泌型多量体IgA抗体は、インフルエンザウイルスに対する感染防御に寄与していると考えられる。良く効くワクチンとは、このような分泌型多量体IgA抗体を粘膜上に準備できるワクチンだろう」と言及した。