喉元過ぎれば熱さを忘れる。今回はこのことわざにちなんだ話題を取り上げたいと思います。2009年。のちにインフルエンザA(H1N1)pdm2009と命名されたインフルエンザウイルスが世界的な大流行を引き越しました。いわゆる新型インフルエンザ(パンデミックインフルエンザ)の発生でした。その後のことですが、第一線で診療に当たる専門家を訪ねると、最近「インフルエンザに罹ったって大したことない」という声が出始めているというのです。これは、インフルエンザ対策にとって危険信号なのではないでしょうか。

 ある小児科医は、インフルエンザ(H1N1)2009が終息したあたりから、世間では「インフルエンザは大したことない」という雰囲気が漂い始めたと感じていました。インフルエンザ(H1N1)2009の病原性、あるいは社会へのインパクトが「季節性インフルエンザ並み」と受け止められたことが主な要因のようです。

 この「気の緩み」は、マスク着用の不徹底、手洗いやうがい、あるいは咳エチケットなどの励行の意識低下、さらにはインフルエンザワクチンの接種率の低下、と連鎖反応を起こしていく危険性をはらんでいます。たとえば、職員のワクチン接種率が2010年度に86%まで落ち込んだという大学病院の報告があります。2009年度は94.5%とこれまでで最も高かったそうです。調査に当たった研究者は「(新型インフルエンザ時の)反動が現れたのではないか」と指摘していました。ちなみに、2011年度は89%まで上昇したということです。「反動への対策」が功を奏した結果なのでしょう。

 さて、今年の春に中国で鳥インフルエンザH7N9型ウイルスのヒト感染例が相次いで確認され、今冬シーズンの波乱要因となっています。危機意識の高まりが感じられる今日ですが、ちょっと立ち止まって考えると、また同じことの繰り返しになるような気もします。もちろん、H7N9型ウイルスは、新たな脅威に違いありません。現段階では容易にヒト‐ヒト感染するようなウイルスにはなっていませんが、薬剤耐性の突然変異のある株が検出されたり、またヒトのレセプターにも結合する能力を持つ株が確認されたりなどと、リスクは高まっていると考えられています。

 でもなのです。振り返ってみると、鳥インフルエンザH5N1型の脅威の方が先行していたのです。2003年以降、鳥インフルエンザH5N1型のヒト感染例が相次ぎ、その致死率が60%と高かったことから、大きな脅威として受け止められてきました。わが国も、H5N1型を機に国としての対策が進み行動計画やガイドラインの策定、プレパンデミックワクチン備蓄などと準備も加速しました。

 ところが実際に発生したのは、インフルエンザ(H1N1)2009だったのです。こちらは結果的に、致死率が60%という事態にはなりませんでした。「過剰対策」との批判はあったものの、日本では一般市民も含め対策に取り組んだ方々の努力の甲斐があり、世界で最も死亡数が少ないという結果に落ち着いたのでした。

 さきほど「また同じことの繰り返しになる」と書きましたが、それは「脅威⇒危機意識の高まり⇒パンデミック発生⇒対策実行⇒終息⇒気の緩み」という流れが固定化していくように思えるからです。パンデミックの対策に引っ張られすぎてはいないのか、換言すれば、季節性インフルエンザ対策がないがしろにされてはいないか、という懸念が根っこにあるのです。

 北海道大学大学院獣医学研究科特任教授の喜田宏氏は、いわゆる新型インフルエンザが発生してからも、「季節性インフルエンザ対策こそ重要」と訴え続けています。国立病院機構仙台医療センター・ウイルスセンター長の西村秀一氏は、「有事の対応」ではなく「常時の対応」こそ大切だと説いています。

 では、そもそも「季節性インフルエンザ」の脅威とは、どれほどのものなのでしょうか。

 「超過死亡」という指標があります。これは、WHOが推奨している指標で、インフルエンザが流行したことによって総死亡がどの程度増加したかを示す推定値のことです。

 国立保健医療科学院の逢見憲一氏らの研究(2010年の日本公衆衛生学会で発表)によりますと、季節性インフルエンザの超過死亡は年平均で1万人超と推定されることが明らかになりました。

 研究の対象期間は、1952年1月から2008年12月までで、人口動態統計を用いてインフルエンザ流行月における超過死亡を推計しました。

 その結果、1952年から2008年までに、インフルエンザによる超過死亡が確認されたのは74月で、74万3592人と推定されたということです。これは、年平均でみると1万3045人に相当するそうです。厚生労働省の2012年人口動態統計によると、年間推計死亡数は124万5000人です。インフルエンザによる超過死亡は、年間推計死亡数の1%に当たるわけです。

 一方、2009年発生したインフルエンザ(H1N1)2009による超過死亡については、国立感染研究所が実施しているインフルエンザ関連死亡迅速把握システムの結果を振り返ると、2010年4月28日現在で季節性インフルエンザを凌駕するような超過死亡は発生していませんでした。つまり、超過死亡という指標で見る限り、インフルエンザ(H1N1)2009より季節性インフルエンザのインパクトの方が大きいということになるのです。

 「インフルエンザに罹ったって大したことない」という声は、インフルエンザ対策からみて1つの危険信号と受け止めるべきです。

 今年も11月からインフルエンザワクチンの予防接種が始まります。「常日頃の対応こそが、いざという時の対策の基本」であることを忘れてはならないでしょう。


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