理研脳科学総合研究センターの西道隆臣氏

 認知症の謎は、いったいどこまで解明されたのだろうか――。いまや老年期の認知症の大半を占めるようになったアルツハイマー病。その研究から、脳内のアミロイド沈着が根本的な原因とする「アミロイド仮説」が生まれた。主役はアミロイドβと呼ばれるたんぱく質で、前臨床期アルツハイマー病プレクリニカルAD)となる10年も前から脳内に蓄積し始めていることも明らかになった。アルツハイマー病の基礎医学分野で世界をリードする理研脳科学総合研究センター西道隆臣氏(写真)に、病理の実像と予防・治療の基本戦略を聞いた。

―― 3月にバルセロナで、第10回国際アルツハイマー・パーキンソン病学会(ADPD2011)が開催されました。全体的にどのような印象を持たれましたか。

西道 アルツハイマー病の原因として多くの研究者が支持する「アミロイド仮説」に関連する演題が多かったように思います。これまでの遺伝子学的研究の進歩が、その背景にあります。

 インパクトという意味では、神経原線維変化を引き起こす「タウ」と呼ばれるたんぱく質に、哺乳類の神経変性疾患の原因であるプリオンでみられるような感染機構の存在を指摘した発表がありました。今後、タウが広がっていくメカニズムが解明できれば、これを防ぐ方法も開発されることになるでしょう。

―― 「アミロイド仮説」については、仮説の主役であるアミロイドβ(Aβ)オリゴマーに着目した演題が目立っていたようです。

西道 Aβは、アルツハイマー病の病理を考えた場合、かなり上流に位置します。さきほど触れたタウは、Aβオリゴマーによってリン酸化が促進されることで、神経原線維変化を引き起こすようになります。

―― これまでに明らかになったアルツハイマー病の病理の全体像を教えていただけませんか。

西道 図1に、アルツハイマー病の病理の流れを示します。病気の予防あるいは治療を、どの段階ですべきかという視点でまとめたものです。病理カスケードと言えるものですが、上流にAβがあり、いくつかある種類の中でAβ42と呼ばれるものが最も毒性が強く、凝集能も高いことが明らかになっています。これが線維化まで進むのが「on-pathway」です。もう一方の「off-pathway」は、線維化まで進まない流れを指しています。

図1 アルツハイマー病の病理カスケードと予防・治療の作用点(「アルツハイマー病の謎を解く」中外医学社より改変)
①αセクレターゼの賦活化/②βセクレターゼの阻害/③γセクレターゼの阻害/④ネプリライシンなどのAβ分解酵素の賦活化/⑤脳実質からのAβの排出促進/⑥Aβのオリゴマー化の抑制/⑦Aβの繊維化抑制/⑧線維型Aβ(アミロイド斑)の消去/⑨Aβとタウの相互作用を阻害/⑩タウのリン酸化および凝集抑制/⑪グリア細胞の異常な活性化を抑制および機能改善/⑫受容体拮抗薬/⑬抗酸化剤/⑭グルタミン酸受容体拮抗薬/⑮微小菅安定化剤/⑯神経栄養因子やそれらの刺激剤/⑰神経機能改善・賦活薬など

―― 最終的に、図の左下にある「記憶・認知能力の低下」や「神経伝達の阻害」にまで至るとアルツハイマー病を発症していることになると思いますが、上流のAβの凝集(蓄積)から発症まではどのくらいの時間がかかるのでしょうか。

西道 Dominantly Inherited Alzheimer Network (DIAN)という研究グループによると、遺伝学的な研究から、Aβの脳内蓄積は、アルツハイマー病発症の20年も前に起こっていることが分かりました。プレクリニカルADとなる10年も前からAβの脳内蓄積が始まっていることも判明しています。

―― プレクリニカルADまでに10年、アルツハイマー病までに20年という時間を費やすということですか。

西道 今回、10年、20年という数字が明確に出てきたことは大きな成果だと思います。これにより、発症の原因に即した治療の開始時期(図2)を検討できるからです。

図2 治療の開始時期(「アルツハイマー病の謎を解く」中外医学社より改変)

―― 「Aβの代謝異常」そして「Aβの異常な蓄積」、さらに「神経細胞の機能不全と変性・脱落」というアルツハイマー病に至る段階が示されています。それぞれの段階にあわせた予防的あるいは治療的介入がありうるということですね。

西道 再生医療などが進展すれば可能性が出てくるのかもしれませんが、今のところ脳の老化そのものを止めることは非現実的です。一方で、脳の老化を制御することは可能だと思います。最終的な目的は、神経病理の出現を可能な限り抑えることです。治療の開始時期として、1から4まで示しましたが、3や4の段階よりも1や2の段階で予防的・治療的な介入が開始されるようになれば、より大きな効果が期待できるはずです。

 それから、もう1つ大事なことは、アルツハイマー病の発症前の診断法の確立です。プレクリニカルADまで10年という歳月を経るわけですから、特異性はもちろん、精度・感度の高い診断法を確立しなければなりません。

―― 図2では、Aβをターゲットとした予防・治療の作用点を明記しています。この中では上流にあるネプリライシンが注目されるわけですが、ネプリライシンに着目した治療の研究はどこまで進んでいるのでしょうか。

西道 マウスを使った実験的遺伝子治療において、脳内でのみ発現するベクターを開発し、これにネプリライシンの遺伝子を組み込んで動脈注射により投入したところ、Aβの蓄積量が減少したことを確認しました。自治医大の村松慎一氏や長崎大学の岩田修永氏らと共同で取り組んでいるものですが、近く詳細を発表できると思います。

―― 最後に、アルツハイマー病の予防・治療戦略の方向性についてお考えをお聞かせください。

西道 まず着手すべきなのは、団塊の世代を対象としたアルツハイマー病を始めとする認知症の啓発活動だと思います。60歳から60歳半ばに差し掛かった団塊の世代は、10年後あるいは20年後に認知障害を発症するリスクがあるわけです。認知症の患者数は、2015年には300万人を超えるとの推計も出ています。国家的な課題として取り組むべきだと思います。

 予防としては、まず糖尿病や高血圧のコントロールを徹底することだと思います。糖尿病の患者は糖尿病ではない人に比べ、1.6倍も認知症リスクが高いのです。糖尿病の患者も増加の一途をたどっていますから、対策を強化すべきでしょう。高血圧については、血管性認知症のリスクが高くなるわけですが、最近はアルツハイマー病との併発型も目立ってきています。血管性認知症の3分の1は併発型という調査結果もありますので、今後は併発型も注視していくべきだと思います。