今日も午後2時に目を覚ましたM哉は、美容院で髪をセットし身なりを整えた。大学時代に先輩の誘いでホストの道に入ったM哉だが、数年を経た今、夜遅くから明け方まで毎日大酒を飲み、ふら付いた頭で女性をもてなしている自分に疑問を感じ始めていた。

 ホストという仕事は、完全な成果主義の世界である。給料はもちろん、ホスト同士の上下関係や控え室での座る位置まで、すべては毎月の売り上げで決まってしまう。そんな中でM哉は、これまで安定した成績で店長からも頼りにされる存在となっていたが、最近はやる気も出ず、営業成績も悪くなる一方だった。

 そんなM哉に、ある日、母親から電話がかかってきた。M哉の母親は、地元でスナックを経営している。女手一つで自分を大学まで出してくれた母を、M哉は尊敬し、大事に思っていた。

 その母親がM哉にこう打ち明けた。「Mちゃん、私ね、どうやら乳癌らしいの」。M哉は、それを聞いて目の前が真っ暗になり、驚きのあまり言葉も出ない状況だったが、母親は「来週、市民病院に入院して手術を受けることにするから、当分お店はお休みにするわ」と淡々と続けた。

 M哉の母親は、まだ40代後半。呆然とした状態で電話を切ってから考え、「こんな若さで母さんを死なせてはならない。もっと親孝行がしたい」という思いに至ったM哉だったが、いくら考えても、自分にできることは何一つ見付からなかった。

 ホストという仕事をしていても、自分に何もできることはない。かといって、今から医師になれるわけもない。でも、どうしても母の役に立ちたい。俺はまだ若い。人生のやり直しはまだまだできる。じゃあ、今、俺にできる仕事は何だろう――。

 そんな思いで、インターネットを検索していたM哉の目に飛び込んだのがMRという仕事だった。その時のM哉には、MRがどのような仕事かは分からなかったが、製薬会社の仕事であることだけは分かっていた。条件は「経験不問。営業経験2年以上。年齢30歳代前半まで」。ホストを営業経験と考えれば、条件には合致する。M哉は、ダメ元で、この会社の就職セミナーを受けることにした。

 セミナーに出席し、MRが医薬品の宣伝をして歩く営業マンであることを知った。「きちんとした仕事だから、きっと母さんも喜んでくれる。もし立派なお医者さんと知り合いになれれば、母さんの乳癌の良い治療法も紹介してくれるかもしれない」。そう思ったM哉は、恐る恐るセミナー会場で担当者に聞いてみた。「私みたいな経歴でも、MRはできるでしょうか?」。「やる気さえあれば、立派にできると思いますよ」。そう優しく答えた担当者の言葉を聞いて、M哉は、ホストからMRへの転職を決意したのである。

 そうしてM哉は、コントラクトMRの会社の入社試験を受け、合格してMR候補生になった。入社後は、来る日も来る日も研修ばかり。解剖生理学、薬理学、法規・制度・倫理など、覚えることは山のようにあったが、M哉は学生時代にも経験がないほど、一生懸命に勉強した。そして3カ月間の研修期間を終えたM哉は、K社のプロジェクトに参加し、見習いMRとして人生の再スタートを切ったのであった。

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 これは、筆者がコントラクトMRの会社に勤務している時に聞いた話である。女性MRも含め、最近では、異業種から転職してきたMRが増えているという。

 MRは他業種の営業マンに比べると年収が高く、営業日当も圧倒的に高い。しかも、イメージ的に“きれい”な職業だし、営業対象となる先生方は立派な人格者が多いので仕事がしやすい。一方で、必要とされる知識が膨大であり、日々勉強をし続けなければならないという大変さはあるが、それさえ自分の努力でクリアできれば、MRは恵まれた環境といえるだろう。

 筆者の知るところだと、転職組は、自動車のセールスマンや保険の営業マンだった人が多いようである。こうした経歴を持つMRは、独特の世界観を持っていて、古いタイプのMRとはひと味違った身のこなしや気遣いができる人が少なくない。身近にいるMRで「こいつは普通とちょっと違うな」と思ったら、ぜひ前職を聞いてみてほしい。さすがに水商売というケースは珍しいだろうが、前職での面白いエピソードを聞くことができるかもしれない。