◆人間の命は限りがあり、食べられなくなったらそれで終わりと自分は思うが、患者・家族それぞれの思いもあり、ケースバイケースで考えるべき問題と思う。患者・家族・医療者間でのadavance care planningの考えが浸透していない現在の状況では、線引は難しいように思う。 [ペンネーム:kk−10月30日16時58分]

◆生きることは自分で食べることである [ペンネーム:おやじさん−10月30日18時59分]

◆画一的な判断は難しいです。人間ひとりひとり人生観は異なり、胃ろうで生きたい人もいると思います。しかし、社会保障費という公的資金を投入し、自分の意思を表明できないレベルの人間をただペットや植物のように栄養を与え生かしておく胃ろうには違和感を感じています。どこかで保険適応には線引きが必要です。社会全体として高齢者の医療費抑制は必要と思います。今のままでは若い世代が被害者になり、社会が破たんを来すのも時間の問題です。 [ペンネーム:rounen-ishi−10月30日21時27分]

◆急性期を乗り切り、自力で嚥下能力を回復する見込みのある患者に胃瘻を造設する事に何ら反対はない。しかし、嚥下機能の回復の見込みのない患者が食べれないというだけで胃瘻を造設し、命を長らえている現実はおかしと思う。食物を飲み込めないというのも一つの寿命と考えることができる。私が患者の立場であれば、胃瘻はいらない。拷問のようなものだ。 [ペンネーム:hal1300−10月30日21時56分]

◆食事がとれなくなるってことは、寿命なんだと考えます。 [ペンネーム:たけひょん−10月30日22時41分]

◆胃瘻造設施行後に胃瘻チューブより経管栄養施行の場合、経鼻経管での経管栄養施行では受け入れ不可の特養で受け入れるケースもあるのが現状。このため胃瘻造設ができない場合、その患者が生活の場を失うこともある。経鼻経管栄養でも受け入れ先が確保できるのであれば、胃瘻造設を必ずしも施行しなくてもよい。しかし患者本人にしてみれば、胃瘻造設時の侵襲はあるもののその後の苦痛を考えると、胃瘻造設を施行した方がよいと考える。無為な延命に関しては、患者本人に判断できるケースは極めて稀で家族の意見による依存となるため見解 [ペンネーム:アルファルド−10月31日09時48分]

◆終末期認知症が検討されていますが、私は、脳卒中なども含めて、意識障害が重度な場合には、胃瘻造設をしない選択肢があるべきだと考えます。人間の尊厳の問題です。自分の将来のことであれば、生命予後の長さに関わらず、意識状態をもって、適応を判断したいと思います。両親の意向も聞いてあります。生ける屍は絶対に避けたいです。 [ペンネーム:りんご−10月31日12時21分]

◆栄養を入れて「生きているだけ」の状態を目の前にすれば「やらなきゃ良かった」と思うし、食えなくなってきた患者を目の前にすれば「胃ろうを造ろうか」と思う。金の話が絡まなければ結論は出ないんじゃないかと思う。 [10月31日15時03分]

◆認知症、寝たきり、陳旧性脳梗塞有、嚥下障害から肺炎、心不全を繰り返す超高齢者。看取りの選択をしても、転院受け入れ先が見つからず、やむなく胃瘻を作って転院。胃瘻を作らずに看取りをすることに対して、受け入れ側のメリットがなければ(点数をつけなければ)現状はかわらないかと。 [ペンネーム:院生−10月31日15時18分]

◆患者自身が、経口摂取ができなくなった際にPEGを含めたArtificial nutrition and hydrationについて意見をもっている例は、今の日本でどのくらいなのか? 食べられなくなったら、当然医療機関は当たり前のように点滴、PEGをしてくれるものと考えている人が多いのではないのだろうか? もし、PEGを含めたがArtificial nutrition and hydrationされないと医療者側を適切な医療行為をしなかったと訴えてくるものもでてくるのではないだろうか? ACP(ADVANCE CARE PLANNING)をもっと浸透させていかないと、この問題は進歩しないように思う。この例では、本人の意思が確認できず、PEGの造設には基本的には反対。 [ペンネーム:KK−10月31日17時16分]

◆医学としての正しさはどちらにも理があるが、経済への影響も考慮する必要がある。 [ペンネーム:gem−10月31日18時22分]

◆死が近づけば少しずつ食べられなくなることは当たり前だと思います。一個の生命体である限り、やがて死はやってくる。それを受け入れることが必要で、本人の意思の確認なく延命目的にPEGを作るのは反対です。変性疾患等で、PEG造設がやむを得ない場合もあるかもしれませんが…。 [ペンネーム://−10月31日18時34分]

◆自然がよいでしょう [11月1日08時29分]

◆基本的に反対。 胃瘻作成後の経管栄養投与は投与する期間を限定した上で開始すべき。 [ペンネーム:のんびり医−11月1日10時22分]

◆一概には決められない問題だと思います。であれば、現時点での日本の社会状況から見れば、PEGを選択せざるを得ないと考えます。議論が深まり、社会全体での意識の変化が起これば、真の意味での選択ができると考えます。 [ペンネーム:消化器外科医−11月1日18時25分]

◆胃ろうはやはり不自然であり、誤嚥性肺炎のリスクでもあるため反対です。 [ペンネーム:wata−11月2日02時52分]

◆本人(理解が可能な状態であれば)、家族に良く説明して、本人・家族の意向を最大限に尊重して胃ろう造設の可否を決めるべき。 [ペンネーム:Tocoroten−11月2日07時38分]

◆一概に反対するというのではなく、症例ごとに対処すべきだと思います。 [ペンネーム:にじのちち−11月2日08時13分]

◆PEGの造設を差し控えたり、或いは中止したりするには、倫理的な更には法的な問題がからむ。広く意見を集約して、社会が納得する選択の仕方を決めていく必要があると思われる。 [11月2日09時38分]

◆年齢だけで決めるとは誰もいってない。元気な老人もいるだろうし。認知症で食べる意欲を失ってる人を生かし続ける意味はあるのか。賛成の先生は、自分もそのような状態になったら、胃瘻してほしいってことなのでしょうか。 [ペンネーム:かわさき−11月2日09時54分]

◆できるだけ経口摂取したいがやむをえない場合もあるだろう。 [ペンネーム:らら−11月2日11時18分]

◆最近胃瘻造設が反省され中心静脈栄養が増加して困っています。 [ペンネーム:ヒロシ−11月2日13時04分]

◆欧米では、食べられないと言うことは、ひとつの人生の区切りと考える。脳卒中後、意思表示も出来ず、四肢拘縮しているような患者をどうするかと言うことだ。ただ単に、生かしておくことに意味があるか。医療費の無駄使いにならないか。医療費と介護費用がどんどん増えるだけ。また認知症で、食べなくなったような人についても、ある段階までは、何とか、胃ろうなどで生命維持してあげることは重要だと考える。しかし、まったくの寝たきりになれば、家族の希望も含めて考え直すカンファレンスの場を持つようなことがあっても良いのでは。[11月2日13時56分]

◆本人の意思が最優先だが、胃ろうを検討する患者さんの場合、本人の意思確認はほとんどで不可能です。ですから、家族の意向によりますが、二人の先生の意見などを参考にして選択してもらうしかないでしょう。その上で、生命を維持していくというのは医療の重要な部分であると思いますので、積極的に胃ろうをお勧めする立場です。 [ペンネーム:naokon−11月2日13時59分]

◆胃瘻は多くの場合、急性期病院で造られます。その決定は現在では担当医と家族のみでなされています。胃瘻の利点、欠点、胃瘻造設後の経過を十分理解し、本人の意思も勘案して合意を得るためには、少なくとも看護師も同席し決定に参加すべきと考えます。 [ペンネーム:ks−11月2日16時17分]

◆適切な評価のもとに処置されることが前提ではあるが、慢性期医療にPEGという選択肢は残すべきだと思いました。 [ペンネーム:ERK−11月2日18時15分]

◆自然界でも食べれない動物は死んでゆきます。必ずしも人間をそこに当てはめる必要はありませんが、予後よりは患者、家族の満足度と現在の社会保障制度に十分照らしあわせて総合的に有益性を判断するべきだと思います。 [ペンネーム:一般動物−11月2日21時58分]

◆無理やり生かすのはいかがなものか。[ペンネーム:Bruckner−11月3日07時26分]

◆胃瘻を造設した事により、気力を失ってしまう症例を多くみます。私の99歳の祖母も叔父の強い意向で胃瘻を造設しましたが、生きる気力が抜けたようで認知症も進みただ生かされているという状態です。もちろん、消化器疾患などの治療の過程で一過性に要することもあるでしょうが、十分な検討が必要でしょう。 [ペンネーム:うさうさん−11月3日08時36分]

◆患者さん、家族ともに、胃ろうで幸せとは思えません。 [ペンネーム:へたれぐま−11月3日11時20分]

◆当施設の機能の限界から、5人までしか受け入れられないが、PEG利用者のADLはかなり良いレベルに保たれていて、コミュニケーションも十分に維持できている人もいる。PEG反対の人に見て貰いたいものである。 [ペンネーム:田舎の老健施設長−11月4日11時39分]

◆減圧で楽になるのでなければ、高齢者の胃瘻は必要ないと思う。 [ペンネーム:ととにし−11月4日13時39分]