ザ☆ディベート、第2回「胃ろうの造設、是か非か」の投票の最終集計がまとまりました。投票数は「反対」が約3分の2、「賛成」が約3分の1という結果でした。ちなみに、中間集計の段階から最終集計までの1週間に、投票数は1〜2割ほど増えましたが、結果的に反対と賛成の割合は変わりませんでした。

 ここでは、投票期間の後半1週間に寄せられたコメントのうち、代表的なものを掲載します。

「第2回 胃ろうは是か非か」最終集計結果(2012年11月4日現在、n=1277)


コーディネーターの総評

 倉氏は、胃ろうの造設医および管理医としての多くの経験から、胃ろうの有用性について主張し、一方の新田氏は在宅医の立場から、胃ろうの問題点に対する医療的および法的な解釈を提示した。全体として、非常に有意義なディベートであった。

 倉氏が述べた通り、適切な胃ろうの造設とケアおよびリハビリテーションが今後の日本における高齢者医療の重要な道標となり、十把一絡げに胃ろうを否定する意見は日本の高齢者医療の足かせになるという指摘は十分に納得できる。しかし、安易な胃ろう造設は患者や家族の幸せに結びつかず、むしろ弊害になると新田氏が論じているのも真実であり、きわめて興味深い。

 ところで、なぜ今、胃ろうの議論がこれほど世の中をにぎわせているのかというと、従来の医療の絶対的真理であった「生存期間の延長」が、高齢者、特に認知症末期に関しては医療のゴールではないとの考え方が台頭してきたからである。両氏は、いずれも表現形の違いはあるものの、この超難題について、視点を変えて議論している。

 日本人が「豊かな生と死」を享受するためには、日本人固有の文化や価値観、死生観を十分に踏まえた上で意思決定がなされなければならない。今回の胃ろうに関するディベートは、その議論の始まりであり、今後の日本の医療を国民的な視点で見る契機になると思われる。

国際医療福祉大学病院外科 鈴木裕氏



代表的なコメント(中間集計後のコメントを投稿時間順に並べています)

◆高齢者終末期状態であることの適切な診断ができればとの条件下で、胃瘻造設には賛成しかねます。患者本人の嚥下評価を行いながら嚥下訓練を続けていくようにしていきます。栄養状態が悪化することで患者本人に不利益が被ることがあると思われる場合は点滴などの対応を行い、終末期であるとの判断ができれば、本人あるいは家族と相談して胃瘻造設するかどうかを決定するようにしています。 [10月29日05時51分]

◆医療費の有効利用や人間の尊厳を考えると、認知症で寝たきり患者さんに画一的にPEG造設するのはもうやめたほうが良いと思います。 [ペンネーム:きのこ−10月29日15時13分]

◆胃瘻ははっきり延命治療である内容が9割で、残り1割は若い方にはある程度の効果は評価出来ます。しかし、寿命だけはなぜ日本人が重視するのか分りません。まず、意思疎通も出来ない寝たきりの経管栄養はやめるべきです。国もそれを国民にはっきりと伝えなければなりません。人間は動物である以上、死ぬのが当たり前ではないでしょうか!意味のない延命は国を破壊してしまいます。 [ペンネーム:宇宙人−10月29日16時38分]

◆自分の意志で希望する人以外には反対です [ペンネーム:一応消化器内科医−10月29日20時05分]

◆新田國夫医師の、「胃瘻は安易に作られる」には抵抗があります。胃瘻を作って安定したので嚥下できるようになる患者がいます。その患者まで「安易に作った」と受けとめられる話し方に聞こえました。 [ペンネーム:門 祐輔−10月29日21時05分]

◆新田國夫氏の意見に対して。先ず2例目のPEGについて、不要だったと断言しているが、氏の説明では理解できない。この時点での摂食障害を先行機能障害としており、それは医学的問題ではなく、ケアーのあり方の問題で、従って不要だったとしているが、もしそうだったとしてもこの時点でPEGを造設していなかった場合、その後どうなっていただろうか。経口摂取にこだわって色々な試みが行なわれてそれで摂食できるようになったかどうかは全く不明である。このときにPEGを造設してとにかくあまり大きな問題もなく2年間生活できていたのは間違いのないことである。この間に経口摂取の試みがなされたのかどうか不明であり、もしなされていたとしたら成功してなかったと考えられるし、PEGで栄養補給が十分と考えてなされなかったとしても、あまり問題はなかったと考えるべきである。従って、この時点でのPEG不要論は根拠が不十分で意味がない。
 この例の問題は意識がなくなってからの時点でPEGをどうするかということであろうが、この時点で無用に栄養を補給してゆくような管理をするとしたら、それこそ無駄な延命治療と言わざるを得ず、これこそがPEGの問題である。
 新田氏の指摘のごとくPEGを造設する理由には大きく2つあり、それは緊急の救命的なものと延命的なものである。前者は将来の管理の問題があるにしても、多くは行なわざるを得ない。後者は全く管理の問題であって、意識もなく経口的には水分補給も必要な投薬も経口的に不可能となった場合、何らかの方法で補給の道を確保しなければならず、IVHを行うか、単に末梢の静脈確保だけにするか、経鼻管を挿入して消化管に投与する道を確保するか等の1つの選択肢としてPEGもあるだけのことで、その状況や状態、家族との相談等などでいずれが選択されるべきか十分に検討して決めるべきことである。
 この様な状況でPEGが選択されることはかなり少ないだろうとは考えるが、ここでもしPEGが選択された場合には、その後の管理が問題で、PEG造設後の栄養補給を一把ひとからげに考えるのではなく、その時どきの患者の状態に応じた補給を考えるべきで、無用に栄養補給をすべきではない。何も抜去まで考えなくとも、最小限度の水の補給やきちんと説明して家族の十分な理解の上で何も入れないということでも全く問題はないのである。要するにPEGを延命治療として忌み嫌ったり敵視したりする問題ではなく、管理の問題だけなのである。
 以下PEGとは直接的な関連はないが、新田氏の意見で気になることは「適切な家族」である。この後、氏は家族が利害関係にあるから、その判断には危険性があると言っておられるが、そう言ったら誰に相談すればいいというのだろうか。たとえ、利害関係にあろうと、そこまで詮索したら「適当な家族」はいるのだろうか。「適当な家族」の説明でも、2番目は医師の問題であろうし、4も家族そのものの問題ではない。新田氏がたとえ「不適切な家族」としたとしても家族は家族であって、その意見を無視することはできないはずであろう。
 1例目についても摂食障害の適切な評価が必要というが、その評価はそう簡単にできるものではないし、たとえ適切に評価できたとしても改善して経口摂取が安全にできるという保証はほとんどの場合少ない。また、おそらく時間がかかり、それを待っていたのでは低栄養や脱水になってしまって、救える命が救えないということもありうる。こうなればそれこそ倫理の問題になり、先ず以って確実で安全な人工栄養としてPEGを造設することは間違いではない。
 さらに認知症の程度がPEG後前に比べて低下したという統計はどのようにして行われたもので、もしそれが正しいとしてもその理由は何であろうか。前後の比較の期間も不明で、短期的なものであればPEGによって栄養状態が改善して、認知症の程度も改善してくることも考えられなくはないし、長期的な経過観察であれば認知症そのものの進行と考えることも出来るのであって、進行の原因をPEGとする根拠はない。
 倉氏の意見に対して。1例目も2例目もおおむね賛成である。PEGの問題は、終末期に造設すべきかという問題と、2例目のように既に造設してあった例が終末期になったときどうするかという問題である。1例目は前者の例としてあげたのであろうが、この例は将来2例目と同様な問題が起こると予測されるという例で、前者の例としては適当ではない。しかし純粋に前者という例はそれほど多くはなく、多くは1例目のような例であろう。
 1例目の場合、倉氏の挙げておられる予後調査から考えれば、造設の意義は否定できないし、もし選択から除外するようなことがあったら、これはまさに倫理の問題と言わざるを得ない。
 2例目に対して、倉氏は減量・中止はしないと言っておられるが、これはやや問題で、減量・中止を含めた管理の問題は、たとえ末期でなかろうとPEGを造設した以上、常に考えるべき問題でなければならず、これこそがPEGの一番の問題なのである。これを別所に置いて、PEGの是非を論じている傾向があり、これが最大の問題である。これについて何かシステムやガイドラインが必要というなら、この策定こそ考えるべきものであろう。
 しかし私は、終末期の栄養補給や水分補給は昔から終末期に係った医師ならだれもが常識的にやってきたように、PEGにおいても考えればいいことであって、なにも一定のシステムやガイドラインなどはいらないと考えている。 [ペンネーム:maruyama−10月29日23時50分]

◆胃瘻の適応患者というものは必ずいると思いますが、現状では大部分の医療従事者が、適応外にもかなり造設・継続されていると感じております。症例をしぼって行うのが宜しいのではないでしょうか?(1. 家族3名、医療従事者3名の同意、2.自宅での療養、3.自費などのうちいくつかの基準を満たすなど)。やはり医療資源(予算)には限界があるので、胃瘻にまわすべきか、もっと他にまわすべきかを議論すべきです。逆に医療費を削減していくならどの分野からか、という質問にすると、間違いなく胃瘻関連予算の削減は上位に来ると思います。胃瘻は予算に糸目を付けなければ是でありますが、要は優先順位の問題だと思います。 [ペンネーム:Golgo−10月30日07時16分]

◆認知症自体が死に至る病であり、必ず患者は死亡する。その過程でその人にとって善かれと思うことを我々は行うのみ。QOLの向上が見込まれる、機能の改善が図られるなど希望的な憶測にて胃瘻を造設することは、医療者の自己満足にすぎないのではないか? 患者・家族・医療者が納得できる生き方をでき、死に方ができれば胃瘻は必要ない。問題は意識もなくなりただ生かされることにある。 [ペンネーム:ダー−10月30日07時22分]

◆胃瘻は単に経管栄養の経路選択にすぎません。問題は、経管栄養を選択するかどうかです。経鼻胃管を使うくらいなら胃瘻が優れています。胃瘻可能な患者でそれをしないということは経管栄養をしないことと同義ととらえられます。それが望むことなのであれば、それはそれでよい。経管栄養を望むなら、胃瘻は選択肢として大きな選択肢です。 [ペンネーム:sugimaro−10月30日09時05分]

◆患者・児の意志と医師の医療上の必要度によって実施する場合に賛成。 [ペンネーム:ganji−10月30日11時28分]

◆生きるとはどんなことなのか、生きている今こそよく考えましょう。 [ペンネーム:ハムレット−10月30日12時03分]

◆痰が自力で吐けなくなり、食事も取れないというのは生命的に寿命です。人間は生き物の中で特別という驕りがくだらない倫理観と相まって事を厄介にしているだけでしょう。 [10月30日12時19分]

◆日本人はとかく曖昧を好むので、常々自分のはっきりとした考えを家族に伝えておかない人が多くみられます。私は胃ろう造設を受けないと、家族に言ってあります。適切な代理判断を家族が出来ないケースもあるかと思いますので、欧米のように医療代理人という制度の導入が望まれます。担当医も胃ろう造設に関して、患者や家族からインフォームド・コンセントを得る場合の説明法を十分検討すべきです。 [ペンネーム:老医−10月30日15時02分]

◆だから胃ろう自体がいいか、悪いかではないのです。きちんと診れる先生がついている胃ろう処置は推奨されるべきです。胃ろう交換だけでなく、経管栄養管理もきちんとできる先生がついて、初めて胃ろうを作りましょうとなるわけです。胃ろうを悪者にしても何もなりません。悪いのは、それの管理をきちんとマネージメントできない医療従事者側にあるわけです。 [ペンネーム:こうちゃん−10月30日16時29分]