人間とショウジョウバエの遺伝子の数を問われたら、たいていの人は、人間の遺伝子のほうが桁違いに多いと思うのではないだろうか。人間のほうがはるかに大きく、はるかに複雑なのだから(人間は飛ぶことはできないが、頭を使う仕事ははるかに得意だ)。だが、不思議なことに、人間の遺伝子の数は、センチュウやショウジョウバエなどの遺伝子の2倍にもならないそうだ。

 しかし私たちは、装備のお粗末さを、うまく使うことによって埋め合わせている。ヒトの細胞は、一つの遺伝子からいくつもの異なるタンパク質を作ることができる。そして人間のプロテオーム、すなわち細胞が作り出すことのできるすべてのタンパク質は、他の生物のそれよりかなり多いらしい。現在、人間の体内で作られるタンパク質は、100万種近くあると推定されている。そして人体の構造について言えば、DNAよりも、タンパク質とタンパク質を作り出す環境のほうが重要なのだ。

 DNAは運命を決めるものではなく、可能性を示唆するものだが、今なおゲノムが「設計図」だと信じる人は少なくない。つまり、ゲノムは体が「あなた」を作る際に参照する指示書であって、42歳で心臓発作を起こして死ぬか、あるいは、日に2箱タバコを吸いながら92歳まで生きながらえるか、といったことにまで影響すると、多くの人は見ているのだ。

 この「設計図」の比喩は誤解を招きやすい。一般に設計図とは、すべてがどのようにつながり、各部が互いにどう関連しているかを示すものである。ゲノムにはデジタルのデータが収められているが、問題は、私たち人間がデジタルでなくアナログ的な存在であることだ。ゲノムのある場所に、「ATCG」というデジタルなつづりが書かれていたとしても、それが人体の複雑なダイナミクスにおいて何を意味し、それがコードするタンパク質がどんな働きをするかを解明するプロセスは、極めてアナログ的なのだ。DNAは、全体の設計図というよりむしろ部品のリスト、レストランの素材のリスト、と言うこともできるだろう。こう考えてみよう。

 料理に使う素材のリストを見れば、それがフランス料理店か、中国料理店かは容易にわかるはずだ。しかし、すばらしいレストランとだめなレストラン、健全なレストランと不健全なレストランを食材のリストだけで識別できるとは限らない。ヒトゲノムもそれによく似ている。それによって、欧州人とアジア人を見分けることはできるが、その人の健康状態まではわからない。人柄、知性、社会規範、一般的な習慣、食べ物の嗜好等々もわからないはずだ。そして病気になっても、DNAは健康なときのDNAと同じである。では、DNAに欠陥があった場合はどうなのだろう?

 再びレストランのたとえに戻ろう。フランス料理店がバターの代わりにマーガリンを使っているとしたら、それは問題(欠陥)だと言えるし、レストランに塩がたくさんあれば、料理に塩を多用する傾向がある(これも欠陥)と考えられる。しかし、実際がどうなのかを知るには、料理を食べてみる必要がある。素材リストだけでは不十分だ。料理の質は、材料、スパイス、そして、調理法によって決まる。人間の体の中でこの「調理」に相当するのは、DNAの指示に従って巧妙にタンパク質を作るプロセスである。

 今日、遺伝子の解読は、より精密に、よりスピーディーに行えるようになった。遺伝子解読は、とりわけ動物学の分野の発展に大きく貢献した。DNAを調べることにより、動物同士の関係を容易に明かせるようになったのだ。DNAは、系統樹における位置づけをはじめ、さまざまな情報を教えてくれる。おかげで生物学の分野でも、堅牢なデータを得て、正真正銘の科学を行うことが可能になった。当然ながら、人々はこの技術を医学に応用できるのではないかと期待した。