がんに対する投薬のおよそ75パーセントは、この適応外使用である。医師の中には、「死にゆく患者を前にして、完全な裏づけを待ってはいられない」と打ち明ける人もいる。この実験に関して何が「適応外」だったかというと、アバスチンは分子が大きすぎて、血液脳関門を通過できないのだ。ではどのようにして脳腫瘍に働きかけたのだろう? この薬は脳圧を変えた。つまり、腫瘍が成長する環境を変えたのである(アバスチンは器官内の圧力を変化させることが証明されている)。

 ルーシーの腫瘍が成長するためには高い圧力が必要とされたが、アバスチンはその圧力を低くして、腫瘍そのものには触れないまま、腫瘍の増殖を遅らせたのだ。これもまた、土壌を変えて、種の発芽や成長を抑えた事例と言えるだろう。デューク大学がルーシーのような脳腫瘍患者に対して行ったアバスチンの臨床試験では、63パーセントが良好な反応を示し、病気の進行が劇的に遅くなり、延命に成功した。2009年3月、FDA(米国食品医薬品局)は、脳腫瘍患者に対するアバスチン投与を認めた。

 がんの進行に対する環境の影響に加えて、この事例がスポットライトを当てるのは、セレンディピティー(幸運な偶然)である。私たち医師は、どのように薬が作用するのかわからないまま、昔ながらの試行錯誤によって解決に至ることが多い。ある薬や治療法がなぜ効くのか、常に説明できるわけではないのだ。

 感動的な回想録、『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』で知られるプロの自転車選手、ランス・アームストロングの物語は、私の分野の特徴をよく語っている。それはまた、病気に対する新しい考え方とアプローチを象徴するものでもある。ランスが選択した薬がなぜ彼のがんを治したのか、まだ科学者にはわかっていない。彼が大胆で意欲的な性質の持ち主だというだけでは、その驚くべき回復の説明にはならない。ランスは1996年の秋、医師から、「精巣がんが脳、肺、腹腔に転移しており、手の施しようがない。自宅に戻って、残された時を家族とともに過ごしなさい」と告げられた。

 しかし、ランスはこの運命を受け入れようとせず、多くの患者と同じく、躍起になって奇跡の特効薬を探し、最終的に、ローレンス・アインホーンとクレイグ・ニコルズによる3カ月間の臨床試験に参加することになった(肝心なのは、これが、インターネットが普及する前の話だということだ。グーグルのように強力な検索エンジンがない時代に、ランスの命を救ったのは、彼の情熱と根気強さだった)。この2人の好奇心旺盛な医師は、プラチナに由来する薬でがんを治す試みを行っていた。高価なジュエリーや結婚指輪に使うあのプラチナである。そして、その薬は効いた。ランスは奇跡的な回復を遂げ、その30カ月後には、他の分野でも不可能を可能にした。自転車レースのツール・ド・フランスで、史上初の7連覇を成し遂げたのだ。

 今日、私たちが使用する薬の多くは、偶然から現在の効用にたどりついた。ランスの治療で用いられたプラチナ由来の薬は、1970年代初めに、抗がん作用があることがわかった。米国の生物物理学者、バーネット・ローゼンバーグが、プラチナ電極を用いて細菌細胞に対する電磁放射の影響を調べていて、プラチナの派生物が、細菌細胞の構造を変えるのを目撃したのが発端である(この派生物はシスプラチンで、ランスが投与された薬だ)。

 私は、薬の発見を試行錯誤や幸運に頼ることを批判しているわけではない。むしろ、私たちが臨床試験をもっと信用し、リスクを覚悟すれば、豊かなデータが得られると考えているのだ。自分の健康を守るには、批判的な目で研究を見ることも必要だが、同時に、進んで境界を踏み越えることも大切である。その方法が、これまでの常識や理論に反しているように見える場合はなおさらだ。(次回に続く)