フットボールのスター選手に憧れる人は、オーウェン・トーマスの悲劇を知れば、さらに憂鬱になるに違いない。身長188センチ、体重108キロのトーマスは、ペンシルバニア大学のチームでラインマンとして活躍し、将来を期待されていた。しかし、2010年の春、彼は学外のアパートで首つり自殺をした。友人や家族によると、彼には珍しく、情緒不安定になった直後のことだった。うつ病の既往歴はなかった。脳を解剖してみると、慢性外傷性脳症(CTE)の兆候が認められた。CTEは、亡くなったNFLの選手、20人以上に共通する疾患で、うつ病や衝動制御障害につながる。主にボクシングやアメフトの選手に見られ、NFLでは過去10年間に2人の選手が自殺していた。

 トーマスの脳を調べた医師たちは、大学生の自殺が多いことを考えれば、彼の自殺を脳の損傷のせいだと決めつけるべきではない、と警告した。それでも医師たちは、彼が21歳の若さでCTEを発症していたことは、脳の損傷が死因であることを示唆しており、また、NFLのベテラン選手に見られる脳障害が、若い選手にも起こり得ることを語っている、と述べた。

 競技場の中でも外でも、トーマスが脳振とうを起こしたことはなく、頭痛を訴えることさえなかった。とは言え、彼は、少々の痛みは我慢してもフィールドにとどまろうとするタイプだったそうだ。CTEになったのは、脳振とうに耐えて試合を続けたせいか、あるいは、脳が発育する時期も含め、十数年間にわたってフットボールを続け、何度となく脳に強い打撃を受けたせいなのだろう。

 トーマスはすべて順調で、自殺をするような学生ではなかった。学業も優秀で、ペンシルバニア・ウォートン・スクール(全米屈指のビジネススクール)に通っていた。新人戦を経てすぐ代表になり、2シーズン活躍し、2009年にはアイビーリーグ2軍戦を勝ち抜き、チームの優勝に貢献した。カリスマ性のある人気者で、将来、成功するのは間違いなかった。自殺した時、遺書はなく、ポケットに携帯電話を入れたままだった。衝動的に首をつったものと思われる。衝動を抑えられなくなるのはCTEの特徴である。CTEになると、アルツハイマー患者の脳に見られるアミロイド斑に似たプラーク(タンパク質の集まり)が前頭葉に生じる。このような邪魔なタンパク質で脳が覆われていたため、トーマスは理性的に考えられなくなったのだ。

 もっともこの話の要点は、トーマスを死に追いやった原因は何かということではなく、人間の体(この場合、脳)が、慢性的な炎症に対して、いかに脆弱か、というところにある。フットボール選手としてトーマスが活躍していた間、彼の脳は絶えず炎症を抱えており、ついには化学的に変質した。自殺のきっかけは、遺伝子や精神的ストレスだったのかもしれないが、根底にある炎症は無視できない。炎症は継続的な、場合によっては壊滅的な損傷を脳にもたらすのだ。たとえそれが若い脳であっても。(次回に続く)