特定の遺伝子の変異はがんとの関連が指摘されている。たとえば、BRCA1遺伝子とBRCA2遺伝子の変異は乳がんのリスクを高めることがわかっている。この変異は、アシュケナージ系ユダヤ人によく見られるが、それが乳がんを引き起こすわけではないことを理解しておく必要がある。BRCA1あるいはBRCA2の変異を親から受け継いでいても、乳がんになると決まっているわけではないのだ。

 このように、がん遺伝子と言われるものの多くは、がんに対する脆弱性を伝えはするものの、がん自体を伝えるわけではない。BRCA1とBRCA2の変異遺伝子は、DNAの修復を妨害すると予測されるが、必ずしも乳がんの発症につながらないのは、DNAを修復する方法は、ほかにもたくさんあるからだ。さらに言えば、乳がんに苦しむ女性の大多数は、変異していないBRCA遺伝子を持っている。この事実は、がんの発症に、遺伝子より強く影響する何かが存在することを語っている。

 ここでもう一度、システムという見方に戻ってみよう。がんは、細胞内、あるいは細胞間の対話(つまり、システム)がうまくいかなくなった状態である。その結果、細胞たちは、分裂すべきでないときに分裂し、死ぬべきときに死のうとせず、不要な血管を作り、互いを欺き続けるのだ。このように制御不能になった細胞システムを、私たちはがんと呼び、それが起きている体の部位(肺、前立腺、肝臓など)によって呼び分けている。しかし、それは実は「悪いもの」ではなく、システムが壊れた「状態」なのだ。

 がんを体の部位で呼ぶようになったのは、1700年初頭にフランスで死体解剖の折になされた観察と、1850年代半ばにドイツで発展した顕微鏡技術の影響による。以来、がんは、前立腺がん、乳がん、肺がんなどと呼ばれてきたが、私に言わせれば、それは意味のないことだ。かつて、がんの種類は数十だったが、今では数百もある。いや、実際には、数百万種あるのだ。平均的ながんは、最初に診断されたときに、すでに100回以上変異している。そして患者が抗がん剤などの化学療法を受けると、さらに変異が進む。DNAが不安定な状態にあることが、がんの特徴の一つであり、抗がん剤治療をするとDNAが不安定になり、新たながんが生まれる場合がある。放射線が遺伝子を変異させて、がんを誘発するのと同じ理屈だ。

 そういうわけで、たとえば乳がん患者が、化学療法のおかげで乳がんは治癒したものの、その薬のせいで後に白血病を発症する、というようなことも起きる。患者は一つの病気を治す代わりに、別の病気になるわけだが、少なくとも数年間は、がんから解放された生活を送ることができる。

 腫瘍はそれ自体、臓器と考えられるべきである。と言うのも、それらは、肝臓、心臓、肺などと同じく、私たちの体の一部であるからだ。ただシステムとして、うまくいっていないだけなのだ。かつてトルストイは「幸福な家族はみな似ているが、不幸な家族はそれぞれが違った形で不幸である」と言った。それと同じく、幸福な体はどれも似たようなものだが、それが壊れると、それぞれ異なる形で壊れていくのである。