20世紀は、「細菌説」が隆盛をきわめた時代だった。それは、感染症の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば感染症は治るという見方で、医学界の中心的なドグマになった。医師は検査によって病原菌を特定し、その菌に効果のある治療法を施した。治療はもっぱら侵入者、たとえば結核を引き起こす細菌や、マラリアをもたらす寄生生物などを狙って行われ、宿主である患者について理解しようとはしなかったし、どこで感染が起きているかということさえ考えようとしなかった。そういうわけで、同じ感染症にかかったすべての人に、同じ薬が使われた。

 「細菌説」の観点に立てば、医師の仕事は、病気を見分け(つまり、診断し)、最もよく知られた方法で治療することだ。そしてこの戦略には科学が関与する。なぜなら科学は、ある治療方法が効果的かどうかを客観的に調べることができるからだ。キニーネはマラリアの症状を和らげるか? ペニシリンは炭疽菌感染に効くだろうか?

 そして科学が効果的な治療法だと認定すれば、医師はそれを実行するだけだ。診断‐治療、診断‐治療……。その繰り返しである。だが果たしてこれが最善の方法なのだろうか。私たちは、科学が健康状態を改善してくれると信じている患者たちとともに、このようなやり方に疑問を持ち、ほかにもっと良い方法はないのかと考えてみる必要がある。心臓疾患やがんなど、外からの侵入者によらない病気の場合はなおさらだ。

 医学において科学的アプローチが採られるようになったのは、比較的最近のことだ。かつては西洋の医師も、インド古来の医術アーユルヴェーダのように、体内のさまざまな力のバランスを重んじていた。中世には、「怒りっぽさ」を減らし、「冷静さ」を増すといった医術が施された。それは体内で働くさまざまな力の秩序を整えようとするもので、東洋哲学に通じるものだった。しかし、体を全体で一つと見なす考え方やアプローチは、20世紀初頭にはほとんど失われ、医学が病原菌に偉大なる勝利を収めたことが、その流れを後押しした。しかし、細菌説が爆発的に流行し、抗生物質が発見された時代の最中である1923年2月4日に、名高い遺伝学者J・B・S・ホールデンは、ケンブリッジで次のように述べている。

 医学の近代の歴史を振り返ってみよう。1870年頃まで、医学は生理学を基盤としていた。当時、病気は、けががそうであるように、患者の視点で見られていた。その後、パスツールが感染症の原因を明かしたことにより、医学の様相は一転し、病気によっては根絶も可能になった。
 しかし、この変化のせいで医学は方向転換を強いられた。もし細菌が発見されていなかったら、相変わらず多くの人が敗血症やチフスで死んでいただろうが、腎臓病やがんの治療はもっと進んでいたかもしれない。がんなどの病気は、おそらく特定の生物を原因とするものではなく、また結核などの病気は、理由ははっきりしないが、かかりやすい人とそうでない人がいる。それらはパスツールのやり方が通用しない病気であり、治療においては、微生物ではなく、患者を見る必要がある。
 医師は、がんを治せないとしても、がん患者を可能なかぎり長生きさせることはできる。その際には生理学の知識が重要になる。生理学者ががんの予防法を発見すると言うつもりはないが、どの分野の人が取り組むにせよ(パスツールは、初めは結晶学者だった)、がんに立ち向かうには、生理学のデータが大いに活用されるだろう。病気が撲滅されれば、死は、眠りにつくような、自然で苦しみのない生理現象になるはずだ。そして誰もが寿命をまっとうするようになるのだ。