医療機関への影響
 カンファレンスには企業関係者ばかりではなく、医師として国立がん研究センター中央病院通院治療センター長の田村研治氏も参加した。田村氏は、がんの新薬開発は、「最初から効果が得られる患者集団を絞り込むと創薬の成功確率が高まる一方開発費に見合った収益は得られず、効果が得られる集団を限定しなければ創薬の成功確率が下がるというジレンマに陥っている」と指摘した。

 こうした議論は製薬業界、診断薬業界を悩ませているばかりではなく、医療側にも大きな影響を与える可能性がある。

 クリゾチニブを有効に使うためには、EML4−ALKキメラ遺伝子を持つ患者を日常診療の中で選び出すシステムが必要だ。KohnoがNature Medicine誌(2012年)に報告したデータによるとNSCLCの1つである腺がんに限っていうと、53%はEGFR遺伝子変異陽性者である。ALK遺伝子変異は4%、新たなドライバー遺伝子変異と注目されるROS遺伝子変異陽性は1%に過ぎない。EGFR遺伝子変異の検査を実施した後、陰性と判断された患者群からALK遺伝子変異やROS遺伝子変異陽性者を選択しなければならない。

 さらに、小規模の臨床経験で新薬が承認されるということは、有害事象のプロファイルも十分に検証されることなく発売されるリスクを伴う。クリゾチニブの使用経験では、2012年4月現在世界で2000例に過ぎず、日本国内では150例どまりだ。したがって今後、こうした薬剤では市販後調査がますます重要なものになるだろう。

【PART 3】ドライバー遺伝子の有無で治療は分裂
―若者のがんと高齢者のがんは別の病気?

 正しい患者に正しい薬を正しいタイミングで投与する。このドクトリンががんの個別化医療の錦の御旗となってきた。EML4−ALKキメラ遺伝子陽性NSCLCを適応とするクリゾチニブの開発は、そのコンセプトの正当性を証明したかのように見える。一方で、がん医療は、個別化のジレンマとも呼ぶべき事態に遭遇していることも明らかになってきた。

 EML4−ALKキメラ遺伝子を報告した自治医科大学の間野博行氏は「ALK遺伝子変異の発見がほかの疾患に広がっている」として“ALKoma”という概念を提唱し、従来の定義を超えた疾患群にALK阻害薬を開発すべきだと主張している。こうした複数種類のがんに横断的な治療薬の開発は、個別化医療に伴う市場の断片化を緩和する可能性がある。既にALKキメラ遺伝子陽性患者をがんの種類別に横断的に登録して、クリゾチニブの有効性を検討するCREATE試験(第II相)が始まっている。

 こうしたドライバー遺伝子を日常診療から評価する試みも始まっている。静岡がんセンターでは、電子カルテに遺伝子変異の情報を書きこむ試みを2011年から開始。国立がん研究センター東病院では、週に1回の頻度でがん患者の遺伝子情報を基にカンファレンスを実施、治療法の選択に応用する試みを開始している。こうした遺伝子の情報は今後、新薬の臨床試験に際して、患者を登録するための適格基準に取り入れられることになることは必至だ。

ドライバー遺伝子がない高齢者がん
 遺伝子変異をベースにがん医療の再構築が進むことが予想されるが、一方でこうしたドライバー遺伝子が見当たらないがんも多い。実は、その方ががんの遺伝子変異の圧倒的多数派といえるのだ。ALKキメラ遺伝子を発見し、ドライバー遺伝子ハンティングの先頭を走る間野氏によると、「ドライバー遺伝子が関係するがんは全体の20%以下」だという。 

 ALK肺がんの平均年齢は50歳代前半とする報告が多いが、通常の肺がんよりも10歳以上も若い。若くしてがんに罹患する患者にはドライバー遺伝子が関与している可能性が高く、対照的に、従来の知見通り、複数の遺伝子変異の蓄積によってがんになるような患者では、このドライバー遺伝子が関与する可能性は低いと言われている。

がん創薬研究は分裂する?
 ドライバー遺伝子を持つがんは若年で発症し、予後も悪い。しかし、適切な分子標的治療薬による治療を受けることができれば、むしろほかのがんよりも予後は良くなるかもしれない。一方の「ドライバー遺伝子のないがん」では、そのような奏効率の高い薬剤は存在せず、これまで通り複数の薬剤を組み合わせたレジメンを、臨床試験を通して慎重に有用性を検討していく治療戦略が残る。

 国立がん研究センター中央病院の田村氏は、「2種類のがんに対する創薬は切り離して考えるべき」と語る。抗がん剤の開発はドライバー遺伝子という遺伝子変異によって進められようとしている。その過程で、がん治療薬の開発は、必然的に2極化していくことになりそうだ。