続々と考案されるがん治療の新しいアイデア。しかし、それらの少なからずが、臨床に到達することなく、姿を消していく。基礎研究者の閃きが多くのがん患者を救うためには、何が足りないのか。遺伝子操作したヘルペスウイルスを使ってがんの治癒に挑んで孤軍奮闘する脳外科医の声を聞いた。(聞き手:小崎丈太郎=本誌編集長)


藤堂具紀(とうどう・ともき)氏
1960年生まれ。85年東京大学医学部卒業。90年より2年間、独Erlangen−Nurnberg大学脳神経外科に留学。95年に米国Georgetown大学脳神経外科(Robert Martuza教授)にて遺伝子組み換えHSV−1を用いたウイルス療法の研究を開始、第2世代HSV−1(G207)の臨床試験にも関与。98年に同助教授に就任。2000年に米国Harvard大学Massachusetts総合病院脳神経外科助教授、03年より東大医学部脳神経外科講師。同大トランスレーショナルリサーチセンター特任教授を経て、11年より現職。
(写真◎柚木裕司)

―先生はどのような学会で活動しているのですか?

藤堂 主には日本癌学会、日本脳神経外科学会などです。

―日本癌学会はがんの基礎研究の成果が多く発表される学会ですね。基礎研究の発表は多いのに、臨床に到達する研究は極めて稀です。動物試験で非常に有望な結果が出て、一流の雑誌に報告されているのに、臨床試験に入ることができない。先生のウイルス療法は2009年から脳腫瘍の患者を対象にした臨床試験にたどりついた。それだけでも、大いに賞賛されるべきですね。

藤堂 以前に比べると、日本でも基礎研究を臨床につなげるインフラが整備されてきました。しかしその前に、研究をするからには、実績として残したいと考えることは研究者として当然です。一流の雑誌に論文を発表できることは、魅力は大きいものがあります。一方で、成果を臨床に進めて、製品にするのは全く次元の異なる仕事です。実用化しなければ苦労のすべては無駄になる。製品化への挑戦に報いるインセンティブがなければ、基礎研究の成果を実際の治療につなげていくのは困難です。

ウイルス療法に魅せられた理由
―先生は、1991年にScience誌に発表された米国のマルツーザ教授の論文を読んで共感し、30歳代半ばの95年に渡米して、同教授がいるGeorgetown大学の無給の研究員からスタート。98年には自分で研究費を申請できる助教授にまでなった。短期間に大きなキャリアアップだと思いますが、ご自身で振り返ってどこが良かったと思いますか?

藤堂 私は中学1年から高校1年まで米国で過ごしましたので、成果をあげることで自分の意見を主張できる米国の風土を知っていたということが大きいかもしれません。研究費獲得に貢献したときなどは、ポジションや昇給を求めたりしました。さらに日本では論文の数で研究の成果が判断されがちですが、米国は研究のための資金獲得できるかどうかが大きな評価材料になります。そもそも新しいアイデアにそって研究するときは、関連する論文が少ないことがよくあります。研究資金を自力で獲得する能力が、研究組織の中でも重要視されますから、それを示したことが大きかったと思います。

―脳腫瘍の治療方法には外科手術、放射線照射、薬物療法があります。それらの既存の治療法の外にあったウイルス療法に飛び込んだわけです。ほかにも腫瘍浸潤リンパ球を使ったリンパ球移入療法や遺伝子治療などが目に入ったと思いますが、なぜウイルス療法だったのですか?

藤堂 実は、医学部の学生時代からウイルスを使ってがんの治療ができるのではないかと漠然と考えていました。しかも専門は脳外科でしたから、マルツーザ先生がウイルスで脳腫瘍の治療を行おうとしていると知って、「なんだ、もうやっているじゃないか」と思い、妻子を連れて米国に渡りました。