乳がんの治療薬トラスツズマブは血液脳関門を通過しないと信じられてきた。そのために、脳に転移したがんの治療には向かないというのが乳がん治療の常識だった。ところが、理化学研究所分子イメージング科学研究センター(神戸)と国立がん研究センター中央病院のグループが、新しい分子イメージング技術によって検討したところ、少なくとも投与されたトラスツズマブの一部が脳に転移した乳がんに到達していることが明らかになった。この技術は多くの抗体医薬の個別化治療や創薬プロセスに革命をもたらす可能性がある。


写真1 6月4日に文部科学省で行われた記者会見
左から理化学研究所分子イメージング科学研究センター・イメージング基盤ユニットのユニットリーダー高橋和弘氏、同副院長の藤原康弘氏、国立がん研究センター中央病院放射線診断科の栗原宏明氏、同センター長の渡辺恭良氏。

 6月4日午後2時、霞が関の文部科学省本館12階の会議室で、ある記者会見が開かれた。会見に臨んだのは、理化学研究所分子イメージング科学研究センター(神戸)センター長の渡辺恭良氏とイメージング基盤ユニットのユニットリーダーの高橋和弘氏、国立がん研究センター中央病院副院長で乳腺科腫瘍内科長の藤原康弘氏、同放射線診断科の栗原宏明氏の4氏だ(写真1)。発表の内容は、PET(陽電子放出断層画像法)によって、HER2陽性乳がんの原発巣と転移巣の分子イメージングに成功したというもの。がんの診断にPETを使用する場合、増殖が活発な細胞に取り込まれる放射性核種のフッ素18(18F)で標識したブドウ糖を使用するFDG−PETがある。しかし、この方法では、分子標的治療薬に感受性を持つがんだけを描出することはできない。今回、理化学研究所と国立がん研究センターのグループはHER2分子を抗体医薬・トラスツズマブに放射性核種64Cuを結合する技術を開発、HER2が発現している乳がんの病巣を検出することに成功したという。

ASCOで成果を報告した国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科 通院治療室医長の田村研治氏。(写真◎清水真帆呂)

 この技術を使えば、(1)トラスツズマブの適応の有無を確認するために、乳がんや胃がんの組織を採取する必要がなくなる(2)治療効果のモニタリングや耐性化した場合の原因の究明に応用できる(3)近年問題となっている有害事象の原因の探索や事前の発症予測などに使える―などの様々な用途が期待できるはずだ。このアイデア自体は世界でいくつかの研究グループが試みているが、実用可能性が最も高い位置にいるのは「日本のグループだ」と藤原氏は語っている。この成果は、研究の中心となった国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科 通院治療室医長の田村研治氏(写真)によって6月5日、第48回米国臨床腫瘍学会でも発表された。

腫瘍蓄積に適した半減期
 同グループが確立した技術には、いくつかの成功のポイントがある。その1つは、放射性核種としての64Cuの採用だ。現在、世界でトラスツズマブをプローブにした分子イメージングには、インジウム111(111In:半減期2.81日)を用いたSPECT(単光子放出断層画像法)、ジルコニウム89(89Zr:半減期3.25日)を使ってPET検査を行った研究が論文として報告されている。トラスツズマブの腫瘍内蓄積に長時間かかることを考慮すると、FDG−PETに使用される18Fの半減期が110分で短か過ぎるために、より半減期の長い放射性同位体が探索された結果だ。

 しかし、SPECTの画像は解像度も低く、検査の確実性も、被曝量の多さによる安全性にも課題があった。64Cuは半減期12.7時間で、現在のところ最も実用的な放射線同位体ということができる。ライバルは同じ64Cu−PETでトラスツズマブの生体内分子イメージングの臨床試験を進めている米国Chicago Medical CenterとMemorial Sloan−Kettering Cancer Centerだ。しかし、これらライバルは今回のASCOには報告を出していないという。

 記者会見の発表によると日本の研究グループは、この64Cuを使った新しいPETプローブ(64Cu−DOTA−Trastuzumab)を作製、ヒト腫瘍を移植したマウスで検討し、移植腫瘍のHER2発現量を反映したシグナルを確認、臨床試験へと駒を進めた。DOTA(ドータ)とは、キレート剤の1種で、64Cuとトラスツズマブを繋げる分子。64CuはDOTA内部に取り込まれ、DOTA自体は抗体Fc部分(定常領域)とアミド結合する。これは今回の成果の鍵となった技術だ。DOTAの特徴は、標識されることによってもHER2分子への親和性が変化しないこと、さらにトラスツズマブ以外の抗体の標識にも応用できることだ。

14例の乳がん患者で臨床試験
 臨床試験は、HER2陽性であることが確認され、トラスツズマブ投与を受けており、文書による同意を得た乳がん患者14例を対象に行われた。64Cu−DOTA−Trastuzumabを静脈注射し、6、24、48時間後にPET検査を実施したところ、最小直径2.0cmまでの腫瘍を描出でき、殆どの症例で、HER2陽性乳がんの原発巣に一致したシグナルが観察できた。