では、この結果から治療法Bは治療法Aよりも費用対効果に劣るため、今後も従来の治療法Aを継続すべきであると結論づけて良いだろうか。このような考え方は恐らく臨床の現場では受け入れがたいものであろう。なぜなら治療法Bの方が5年後の生存率が高い、即ち高い効果が見込まれる治療法だからである。これは恐らく臨床現場に限ったことではなく、一般の国民の視点からも、より効果の高い治療法Bを望む声が大きいだろう。

 問題は、治療法Aを治療法Bに置き換えることにより追加的にかかる費用である。治療法Aを治療法Bに置き換えるためには追加で100人当たり5,000万円の医療費が必要となる。果たしてこの医療によって得られる成果はその追加投資に見合うものなのだろうか。これを検討することが重要なのである。そのために、費用対効果の分析においては、しばしば増分費用効果比(Incremental Cost Effectiveness Ratio: ICER)という指標が用いられる。ICERは追加的な費用を追加的な効果で割った指標で、以下の様に算出できる。

ICER=Bの費用−Aの費用/Bの効果−Aの効果
 もちろん、効果が高く、費用が今までよりも安くなるのであれば理想である。しかし、たとえ費用削減にならなくてもより高い効果が得られるのであれば、投資する価値があるかもしれない。

 先ほどの例でICERは(1.5億円−1億円)/(80人−60人)=250万円/1人救命となる。つまり、治療法Aを治療法Bに置き換えることにより、追加的に1人多く救命するためには250万円の費用がかかるという意味になる。ICERがどの程度までであれば効率的と判断できるかは検討が必要である。

 一般に医療のアウトカムの指標を疾患や治療法等に応じて1つに定め、増分費用効果比を算出して分析する方法を費用効果分析と呼ぶ。近年、多くの国で用いられるようになってきているアウトカム指標が質調整生存年(Quality Adjusted Life Years: QALY)である。QALYは生存年数に健康状態評価値で重み付けをした指標で、健康状態評価値は0が死亡、1が完全な健康と定義された尺度で表される。このような指標を用いることにより、生死に直接影響するような疾患だけでなく、主としてQuality of Life(QOL)に影響するような疾患についても、同じ尺度での評価が可能となる。そのため、費用対効果の分析を制度に応用し、医療資源配分を検討している国においては、しばしば用いられる指標である。

術後のトラスツズマブの費用対効果
 例えば、乳がんに対する治療法の費用対効果の評価研究として、術後補助療法としてのトラスツズマブ投与に関する研究を紹介する2)。本研究は、乳がんの術後患者のうち、HER2たんぱく質の過剰発現がある患者に対してトラスツズマブを投与する群を投与しない群と比較し、その費用対効果を分析している研究である。有効性の評価としては、日本からも参加しているHERA試験の結果を用いている。アウトカム指標としては生存年数の長さを用いて、医療費支払者の立場から公的医療保険制度下での医療費を費用としている。

 分析は、マルコフモデルというモデルを用いて50年間の推計を行っている。マルコフモデルは1時点での状態を設定し、一定期間の後(本研究の場合は1カ月後)に別の状態へ移行する確率を設定しておくことにより、状態間の推移を予測するモデルである。特に、がんの領域において長期の予後を推計する場合には、増悪時の対応やその後の経過などもモデル化する必要があり、臨床ガイドラインや専門家の意見をもとに設定している。

 結果として、トラスツズマブを1年投与した群は投与しなかった群と比べて、余命が平均1.24年延長し、追加で約330万円の費用がかかるため、増分費用効果比は約260万円/1年延命となった。つまり、この治療法により延命効果は得られるが医療費が多くかかるということになる。1年延命するために260万円追加で支払うことは費用対効果に優れるかどうかについては、様々な意見があり得るが、国内の調査でも1QALY増加に対しては500〜600万円程度が平均的な支払意思額の閾値であるとされており3)、この治療法が特に術後の転移・再発までの期間を延ばすことに貢献し、その間は比較的健康状態が良好に保たれることを考慮すると、1年延命のための260万円の追加投資は十分に費用対効果に優れる治療法であると考えられる。

税金による医療保障、制度を持つイギリス
 日本においてもこのような医療経済評価研究が行われるようになってきているものの、これを制度にどう活かしていくかは今後の議論である。諸外国においては、このような医療経済評価を制度に取り入れている国がある。代表的にはイギリスである。

 イギリスでは、国民保健サービス(National Health Service:以下NHS)と呼ばれる税金で賄われる医療保障制度を有している。税金を財源としているため、給付される医療については効率性が求められる。National Institute for Health and Clinical Excellence (NICE)は、1999年にNHSにおける臨床医療のレベル向上と資源の有効活用を促進するために設立された機関である4)。国が指定した医療技術や医薬品等について技術評価を行い、NHSでの使用を推奨するかどうかのガイダンスを出している。また、いくつかの疾患については標準的に推奨される方法をまとめた臨床ガイドラインも作成している。NICEにおける技術評価では効率性の評価を重視する点が特徴である。