―何が問題になりましたか。

新井 HBOCやリスク低減両側卵巣卵管切除術について日本人のデータがほとんどないので、「遺伝性乳がんの日本人がどのくらい新たな乳がんや卵巣がんに罹患するリスクがあるのか、本当に介入の効果があるのか」という意見が出されました。ようやくHBOCの日本人の遺伝子変異の頻度に関するデータが公表された頃でしたし、当院の遺伝性乳がん患者にも卵巣がんや卵管がんの発症者が家系内に少なからず認められました。

 そこで、臨床試験として位置付けて、その結果を公表することで実施を承認する形となりました。臨床試験の課題名は「BRCA1/2遺伝子変異に基づく予防的両側卵巣卵管切除術(PBSO)の実施におけるfeasibility等諸問題に関する検討」で、目標エントリー症例は10例で、主要評価項目は、患者の長期予後と手術の安全性としました。

これからのがんの遺伝子医療
―卵巣がんとは別に、片方の乳房のがんを切除したときに、BRCA1/2変異陽性者には、残った乳房も切除する選択肢もあると聞きました。こちらの方も日本でも行われることになるでしょうか。

新井 予防的リスク低減乳房切除術については、乳がんの発症リスクを90%抑えたという海外の報告がありますが、生存期間の延長に関するエビデンスはありません。ただ、BRCA1に変異を有する一側乳がん女性が、診断後20年で6.8%が対側乳がんで死亡するという海外の試算もあります。長期の観察に基づいたデータが必要だと思います。一側の乳がんを手術したBRCA1/2変異を有する患者さんで、反対側の乳房切除を希望している患者さんもいます。そのような方はがん検診のたびにがんが発見されるのではないかという不安を強く抱えています。今後、各医療機関で予防的乳房切除術も一定のルールを決めて実施できるよう検討する必要があると思います。

―リスクが確認される臓器はがんになる前に切除してしまう―。この方法はほかのがんに拡がる可能性はありますか。

新井 既に日常的に予防的な切除が行われている遺伝性のがんに家族性大腸ポリポーシス(FAP)があります。FAPでは、ほぼ100%大腸ポリープが多発したり、大腸がんが発症するので、大腸全摘術が行われます。

 一方、BRCA1/2遺伝子に変異があっても100%ががんに罹患するわけではありませんので、結果的には発症しないケースにも予防的切除を行う場合があることになります。今後、同じBRCA1/2に変異を持っていてもどのようなケースが卵巣がんを発症しやすいのか、遺伝子レベルでの研究や食生活などの生活習慣の疫学的な調査での解明が待たれます。

 これまでのがんの遺伝カウンセリングでは、単一遺伝子の変異を原因として高率にがんを発症する病態を想定していました。しかし複数の罹患しやすさに関与している1塩基多型(SNP)の影響など、多くのがんはもっと複雑な機序で発症すると考えられています。

 このように罹患しやすさに関係している遺伝子の研究が進展しており、今後は、どこまでが遺伝性のがんであるかの境界が曖昧になってくるでしょう。ゲノム情報を適切に扱う医療者の介入が重要になります。

 HBOCのように単一の遺伝子の変異が原因で発症する家族性腫瘍における予防医療は、今後の全ゲノム情報を用いたいわゆる“パーソナルゲノム医療”の時代の先駆けともいえます。