EAPに基づき登録された患者のデータも重要とは思えるものの、管理されたデータでないため治験のデータと比べると精度は極めて低く、余程のことがない限りこのデータに基づき治療効果や副作用を議論することはないとともに、定量的な議論は不可能である。

 以上は“イレッサ”発売開始までの話であり、現在行われている“イレッサ”による間質性肺炎の国及びアストラゼネカ社を被告とした訴訟は後で詳細に述べるが、製造承認され販売開始された後経験された出来事について、この時点までの国及び会社側の対応、特に添付文書に記載された内容(間質性肺炎に対する注意喚起の順番)が法的に正しかったか否かについて争われている(イレッサ訴訟についての項を参照:後述)。

発売直後に間質性肺炎が多発
 “イレッサ”は2002年7月5日手術不能、または再発非小細胞肺がんを適応症として承認され、新しい作用機序の抗がん剤として発売された。その後“イレッサ”による重大な有害事象、特に急性肺障害、間質性肺炎(Interstitial Lung Disease:ILD)の報告が集積したため(2002年7月から10月15日までに183例、死亡例はその約半数の95例)、2002年10月15日緊急安全性情報が出された。

 イレッサ訴訟の地方裁判所による判決は販売開始後、この緊急安全性情報が出されるまでの間に見られたILDによる死亡を問題にしている。その後10月16日から12月26日までの間に261例のILDと107例の死亡例(ILD例の41.0%)が報告された。2002年12月16日にはゲフィチニブ安全性問題検討会に基づく通知が出された。

 トラスツズマブなどの抗体医薬も承認直後、多数の死亡例が報告されているが、恐らく状態の悪い患者に対し骨髄抑制が少ないという理由で安易に投与されたことによると示唆される。アストラゼネカ社は“イレッサ”投与における安全性確保のためILDの早期発見、及び診断・治療における有用な情報を得ることを目的とした専門家会議を組織した。

 本会合には筆者も当初委員として参加したが、途中から国立がんセンター(現国立がん研究センター)からの指示により出席を見合わせた。社会問題化し始めた“イレッサ”による間質性肺炎の会議に国立がんセンターが巻き込まれるのを嫌った運営部の指示であった。そのような事なかれ主義の体質が厚生労働省から出向してきた官僚にはあった。筆者にとっては不愉快な話であったが組織の一員として承知せざるをえなかった。その時は頭にきたが、振り返ると面白い後日談があるので脱線する。

 イレッサ訴訟の国側証人として出席した時のことである。当時(今もそうかもしれないが)国立がんセンターではセンター外での会議に出席する時は外勤、或いは出張届を提出する。施設の承認を得た後、会議に出席しその後報告書を提出する。報告書には会議出席により支払われた報酬の額が記載されるが、公務員の場合この報告書は5年間公開される。

 原告側の弁護士はこの報告書を全て集めるとともに、国立がんセンターの庶務課で会議出席のための申請書を入手し申請書と報告書の内容が一致するかを詳細に検討したようである。国立がんセンターの庶務課が本人の承諾もなく原告側の弁護士(国から見れば相手方)にこのような書類を易々と提供することも驚きであった。

 確か第2回目の会議の時と思うが、申請書を提出したが、施設側よりクレームが出たため出席しなかった。当然報告書がないのは当たり前である。一方、原告側弁護団は、外勤申請書と報告書がくい違うことについて筆者が偽っていると指摘したかったようである。それから先原告側弁護団は実に汚い手段で個人に対する攻撃をしかけてきた。原告団の弁護士事務所はまず、報告書を全てコピーするとともに、リストを作り自宅に送りつけてきた。年の瀬も押し迫った12月28日の夕方のことであった(忘年会会場へ自宅から電話がかかってきた)。筆者はこの書類を「見知らぬ人から送られてきた不審な書類」とみなし、開きもせず返送した。

 そうすると新年年始の日であったが、何と原告団の弁護士事務所はFAXでこの書類を国立がんセンターの庶務課宛に送ってきた。何と汚いことをする人達なのか、と思った。科学的な意見を善意で提供するためボランティアとして全く無償で貴重な時間を犠牲にして証人を引き受けたのにも拘わらず、点数稼ぎのパフォーマンスにあけくれる原告団の弁護士事務所のやり方には我慢が出来ず、裁判長宛に「このような汚い手段を用いる人達の反対尋問を受けることは出来ない」という内容の手紙を書いた(後で振り返ると相手の思うつぼだったのかもしれない。また何の目的であったのか理解できなかったが、実際法廷での筆者の対応を批判する文章を某雑誌に書いている医師もいた)。

 裁判所も困り、何らかの対応をしたため、反対尋問には出席した。法廷ではこの件に関して原告側の弁護士が懲りずに問いただしてきた。事実通りを返事したが、何か納得のいかない顔をしていた。当然ながら「これもパフォーマンスの一部」と解釈した。

 話を元に戻す。

 この専門会議は2002年12月5日を第1回とし、同年12月28日、2003年1月23日、2003年3月2日の計4回行われ、報告書を作成した(ゲフィチニブの急性肺障害、間質性肺炎に関する専門家会議最終報告:アストラゼネカ社)。その概略は以下の通りである。“イレッサ”服用中にILDを発症し、2002年12月13日までに自発報告された358例(うち死亡例114例)のうち、詳細な調査情報を得られたのは152例であった。この数字とその時点の処方患者数、約19,000例をベースにILDの発症率約1.9%(死亡率は約0.6%が算定された。)、またILD発症に影響を与える因子として性別(男性)組織型(扁平上皮がん)、特発性肺線維症(IPF)既往歴(有)、全身状態(PS不良)、喫煙歴(有)等が推定された。