避難者は安定ヨウ素剤を服用すべきだった?
 放射線被曝による健康障害で真っ先に問題視されるのが、放射性ヨウ素が取り込まれた結果起こる甲状腺がんの発生だ。安定ヨウ素剤を服用すれば、放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みが阻害され、甲状腺がんの予防に有効であると確認されている。この安定ヨウ素剤の服用を巡っても、事故後は情報が錯綜した。

 原子力安全委員会は、避難所で実施する体表面汚染スクリーニングにおいて、「体表面スクリーニングレベル10,000cpm以上なら安定ヨウ素剤を投与すべき」との助言を2度にわたり経済産業省緊急時対応センター(ERC)に送った。しかしこの情報が市町村に共有された形跡がない。政府対策本部から福島県知事に20km圏残留者の移動に際して安定ヨウ素剤の服用指示が出たのは3月16日の10時であり、この時点で福島県は「安定ヨウ素剤投与が必要な避難地区残留者はいない」と判断。

 一方、15日に住民に安定ヨウ素剤を配布した三春町では、一部の住民が服用。福島県は17日に回収を同町に指示し、21日には原子力災害対策現地本部から「安定ヨウ素剤の服用は本部の指示を受け、医療関係者の立会いのもとで服用するものであり、個人の判断で服用しない」(「安定ヨウ素剤の服用について」)という指示が県知事と関係市町村長に発出された。

 結果的に、本来対策が不要であった三春町の町民以外は安定ヨウ素剤を服用しなかったということになる。ヨウ素剤を過剰に服用すると甲状腺機能低下症などの副作用を引き起こすことは確かだ。したがって行政が適応のない安定ヨウ素剤の服用を制限する姿勢を打ち出したのは妥当といえる。

 それでも、鈴木氏は「避難した後でも安定ヨウ素剤を服用すべきだった」と指摘した。「避難すれば服用は不要と考えられたが、避難方向によっては避難終了直前まで、プルーム(放射線物質の濃度が高い空気の塊)曝露があったと考えられる。避難所到着時の服用には意味があった」。放射性ヨウ素を吸入した4時間後でも、安定ヨウ素剤の服用は50%の防護効果がある。

 国際原子力機関(IAEA)では、最初の7日間の被曝線量が50mSvを超えると判断した場合には、安定ヨウ素剤の使用を推奨している。当初の予定では、SPEEDIという放射能拡散・被曝線量予測シミュレーションと実際の放射線量をモニターして、対応を決定することになっていた。ところが放出された放射能の情報がないためSPEEDIは線量を計算できず、実際に線量を計測するモニタリング・ポストのほとんどが震災と津波で破壊され、データを収集することができなくなっていた。線量というリスクを正確に把握し、正しい対応―。この行動計画の前提が成立しなくなっていた。「今後は正確な線量が不明な場合でも状況を考慮して、行動を起こすことができる計画を用意しておくべきかもしれない」と鈴木氏は指摘する。

写真6 福島県立医大の長谷川有史氏は「大学としてフクシマに暮らすメリットを住民や作業員らに提供したい」という決意を表明。

情報が届かなかった福島県立医大
 突然、原発事故の渦中に投げ込まれた福島県立医科大学附属病院からも救命救急センターの医師の長谷川有史氏(助教)からの報告があった。同氏によると、原発の最も近くにある医大であったにもかかわらず、「事故が起こるまで、院内の除染施設の場所も院内緊急被曝医療マニュアルの存在も知らなかった」。「原発事故の発生もテレビで知った。行政サイドからの正式な情報提供というものは何もなかった」。その後刻々と変わる情勢を知る手段も、もっぱらテレビやラジオのニュースだったという。

 3月11日の地震や津波被害の発生直後には、低体温や骨盤骨折傷病者などの搬送が相次いだが、14〜15日になって4名の被曝傷病者が搬送されてきた。情報がなく、現場は半ばパニックとなったが、15日午後に被曝医療を専門とする長崎大学・広島大学合同REMAT(Radiation Emergency Medical Assistant Team)が来院、ここで初めて、原発事故の現状説明を受けたという。

「一度泣くと人間は強い」
 「スタッフは最初、悲観的、抑うつ的な精神状態に陥っていましたが、学外専門家のクライシスコミュニケーションにより蘇生され、肝をすえた。緊急被曝医療班の立ち上げは学外支援なしには不可能だった」(長谷川氏)。そこで緊急被曝医療班が発足したが、班員には「被曝医療は一定の危険を伴う業務である」ことをまず周知した。

 しかし事態を受け入れつつも、夜間の就寝時には、「医療スタッフの全員が一度はさめざめと泣いた」と長谷川氏は語った。「しかし一度泣くと、人間は強い。恐怖を吹っ切って事態収束に当たった。このプロセスは、(終末医療の専門家の)エリザベス・キューブラー・ロスが指摘した、がんであることを告知された患者の精神プロセスに近いと思った」