低線量放射線被曝によって、甲状腺がんの増加など広域、長期の健康被害が懸念されている原発災害。「東京電力福島第一原発事故を受けた緊急被曝医療体制の再構築にむけて」と銘打った研究会が8月27日、埼玉県和光市で開催された。会の名称は「放射線事故医療研究会」。わが国を代表する被曝医療専門家が結集したこの会は、冒頭からさながら反省会の様相を示すことに。専門家らは何を見誤ったのか、そしてそこから何を得たのか。


写真1 第15回研究会長の国際医療福祉大学の鈴木元氏。
(写真◎柚木裕司)

 「東京電力福島第一原発事故は、私たちの想定を超す過酷事故となってしまった。これまでの地元医師会の医師らとの交流会では、過酷事故は起きないと説明してきた研究会の幹事の1人として、真摯に反省するとともに、福島県の皆様には心からお詫びしたい」

 第15回放射線事故医療研究会は、大会長である鈴木元氏(国際医療福祉大学クリニック院長)の基調講演の冒頭、自らの見込み違いを率直に認める発言での幕開けとなった。

 この日の研究会では鈴木氏に続き、事故直後から現地入りして対応に走り回った国立保健医療科学院や放射線医学総合研究所、日本原子力研究開発機構の関係者ら8名が事故後の対応と課題を報告した。

(左)写真2 会は今回の震災による犠牲者への黙祷で始まった。
(右)写真3 会場となった埼玉県和光市の国立保健医療科学院。

写真4 三菱重工神戸造船所の産業医である衣笠達也氏は防災作業員の健康管理を報告。

広域、多人数、低線量の被曝事故
 報告者の1人で、原発内で医療支援を行った三菱神戸病院の衣笠達也氏は、今回の事故の特徴を「広域に汚染され、多くの住民が被曝、その被曝線量は低線量であったこと」と指摘した。

 広域の汚染が引き起こされたことによって、事前に頼みの綱と想定されていた原発近くの医療機関の多くが機能不全に陥ってしまった。福島第一原発で放射線、放射能漏れを伴う事故が起きた場合、南相馬市立総合病院や双葉厚生病院など初期被曝医療機関に指定されている5つの病院が初期被曝医療に対応すると取り決められていた。ところが、地震、津波でほとんどの医療機関が診療を行うことができず、震災翌日の3月12日に設定された避難区域が「原発から20km圏内」へと拡大された結果、3つの初期被曝医療機関がこの避難区域に入ってしまった。震災直後から現地入りした放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センターの富永隆子氏によると「被曝医療機関として汚染のある患者を受け入れた医療機関がほとんどない」という状況となった。

オンサイト状態になったオフサイトセンター
 さらに今回の原発事故が、地震や津波も加わった複合災害であったことも事態を悪化させた。災害発生時には現地対策本部(オフサイトセンター;OFC)が設置され、災害対策の細かな指令を発することになっていた。大熊町OFCには、除染施設である福島県環境医学研究所が隣接されていたが、停電と断水があり対応可能なスタッフを確保できなかった。

写真5 放射線医学総合研究所のチームは事故直後から福島入りした。富永隆子氏が現場の状況を報告。

 そこで、汚染した傷病者を離れた医療機関に搬送する必要に迫られたが、緊急被曝医療への日ごろの訓練が限られた地域でしか実施されていなかったことがあだとなり、訓練されたスタッフや対応できる施設がない医療機関では、患者の受け入れを拒否される事態となった。3月14日には、福島第一原発3号機の水素爆発により、11名の負傷者が発生したが、「搬送先の確保が非常に困難になった」と富永氏は報告した。

 事故が起これば近隣の病院で迅速に対応するという想定が裏目にでた。結果論ではあるが、より広汎な被災を想定し、広域の医療機関を確保しておくべきだったいえよう。