非小細胞肺がん(NSCLC)の治療薬イレッサ(一般名:ゲフィチニブ)の誕生、蹉跌、再生、それらを巡る日本及び世界のがん医療の実際を、開発に当たった当事者自らが語る連載の第2回。イレッサの有効性を左右するEGFR(上皮成長因子因子受容体)の変異が発見される以前の国際的な臨床試験の数々を振り返る。迷走する臨床試験から得られる教訓とは何か?


前回までのあらすじ
 筆者の西條長宏氏が国立がんセンター(現国立がん研究センター)に籍を置いていた1972年当時、非小細胞肺がん(NSCLC)治療の主役はマイトマイシンCであった。その後新薬が次々と登場し、1990年代に入るとイリノテカン、パクリタキセル、ドセタキセル、ビノレルビン、ゲムシタビンが、2000年以降にはTS-1やペメトレキセドも投入された。これら薬剤の登場はNSCLCの治療の前進に大きく寄与した。しかし、比較臨床試験が行われた結果、薬剤効果の限界も見え始め、「NSCLCの化学療法はプラトーに達した」という空気が臨床現場に広がった。このようなときに現れたのが分子標的治療薬のゲフィチニブ(“イレッサ”)だった。当時、国立がんセンターや愛知県立がんセンターでは、培養細胞を使って“イレッサ”の作用機序の解析が進められていた。培養細胞の種類によって薬剤感受性が異なる可能性が示唆されていたが、臨床における個別化医療を提案するまでにはまだ長い道のりが必要だった。

(イラスト◎なかがわ みさこ)

 ゲフィチニブ(ZD1839、“イレッサ”)は新規な分子標的治療薬であるが、国内外で開発早期に実施された臨床試験の多くが、従来型の抗がん剤である“殺細胞性抗悪性腫瘍薬”の臨床評価と同じ手法によるものであった。その全てが分子標的の発現の有無に応じた患者選択を行うことなく、また分子標的そのものを誤って認識した状況下で進められた。後にその重要性が認識されることになる人種差についても全く考慮されることがなかった。

 これは“イレッサ”と同じ上皮成長因子受容体チロシンキナーゼ阻害薬(EGFR-TKI)であるエルロチニブ(erlotinib)についても同様である。結果として、膨大な臨床試験結果が示唆するように、“イレッサ”の効果予測因子と推定される臨床背景をもとに患者選択を行ったIPASS試験(IRESSA Pan-Asian Study、2008年に発表)の結果が得られるまでは、これら薬剤のデータについては、五里霧中の時代が続いた。

 エルロチニブを用いたBR-21研究(Shepherd FA et al, New Engl. J. Med. 353:123, 2005)の研究責任者であるFrances Shepherd博士ですら、EGFR-TKIについて第二次世界大戦中の英国宰相Winston Churchillの言葉を引用して 「A Riddle, Wrapped in a Mystery, Inside an Enigma」(“エニグマ暗号機の不可解さに包まれた謎かけである”。「なぞのまたなぞ」、とでも訳すのか?)と述べている。

 察するにShepherd博士自身もBR-21研究のpositive dataを完全には信用していなかったように思う。今回は、まず“イレッサ”について行われた臨床試験を振り返り、その問題点と解釈について述べる。日本で大問題となった間質性肺炎については次号で詳細に議論する。

1)V15-11 study(第1相試験)
(Fukuoka M et al, J. Clin. Oncol. 21:2237,2003)

 ZD1839の国内第1相試験は1998年8月〜2001年3月V15-11 studyとして行われた。筆者が国立がんセンター研究所(現国立がん研究センター研究所)の部長から臨床に復帰した頃である。

 ZD1839の第1相試験(適切な投与量、薬物動態などを検討する臨床試験)には非小細胞肺がん(NSCLC)患者23名(平均年齢63歳)が登録され、このうち5名が明らかな奏効域に入る腫瘍縮小を示した。「分子標的治療薬はがんの増殖は抑制するが縮小は示さない」と基礎研究者や情緒的発言を好む臨床医によってまことしやかに言われていたが、その誤った認識を完全に覆すエビデンスであった。

 興味あることに、投与量と効果には関連性を認めなかった。この事実は現在から見れば大変に重要な点であるが、当時は誰も気に留めなかった。